第一篇:中日商務禮儀的比較
中日商務禮儀的比較
商務禮儀的核心作用是為了體現人與人之間的相互尊重。由于不同國家間文化傳統的差異,世界上各個國家間的商務禮儀文化也是既有其國際性,又有其民族性。全球經濟一體化使文化背景不同的各國企業走到一起,而往往由于商務禮儀的細微之差,有的企業取得了巨大的成功,有的卻一敗涂地。因此,在與他國企業進行商務活動之前,就必須了解跨國商務禮儀的差異。以下是一些中國和日本商務禮儀的不同之處。
一、中國的主要商務禮儀
在用餐過程中,談話焦點應該集中于對廚師的大力恭維;社會交往一般要比約定時間稍微早到一些;在餐館用餐,避免談到疾病、死亡或者不幸事件,因為這被認為是不吉利的;中國人在講話過程中不做夸張的動作或者面部表情,而且不欣賞別人做出類似動作;送禮很重要,而且要儀式化,禮物的價值不要太高,否則會使中國人尷尬甚至拒絕禮物;中國人收禮之前先要拒絕若干次,所以送禮的人一定要堅持,直到中國人接受為止;接受邀請去中國人家里做客時一般要帶禮物,可以是水果、糖或者從本國帶來的紀念品;互相介紹相當正式,中國人一般是用點頭或者輕微的鞠躬作為打招呼的方式,不過握手還是最常見和恰當的;如果受到意外的鼓掌歡迎,最好是以鼓掌來回敬;約會必須提前確定;在商務和社交中必須準時,準備好足夠數量的名片,最好一面是英文,一面是中文;在正式文件和談話中提到中國時,應該使用全稱“中華人民共和國”;你在訪問中會被邀請參加宴會,但在用餐中一般不談商務,如果可能,最好回請;商務著裝偏保守,男士應穿西裝、打領帶,女士應穿套裝、裙子或褲子也可。
二、日本的主要商務禮儀
進日本人家的時候,一般來說要脫鞋,將鞋尖對著門口的方向,可模仿主人的動作;大部分日本 人在談話時避免與對方目光對視;使用筷子吃飯時,不要用筷子指人,也不要把筷子插在米飯碗里;在與日本人交談時,只有你確認對方已經結婚并有孩子的情況下,才可問及對方的配偶和孩子,如果向沒有結婚或沒有生育的人問候配偶和孩子,會讓日本人感到尷尬;如果被邀請到日本人家做客,一般可以帶巧克力、餅干或者糕點作為禮物,最好在大超市購買禮物,并且包裝;給日本人送禮時,日本人一般不會當面拆開禮物;鞠躬是日本人見面打招呼的傳統習慣,但也習慣握手,如果對方向你鞠躬,你也要向對方鞠躬,深度應與對方相當或稍微深一些;與日本人見面時使用敬語,比如與山田先生見面時應該稱對方為“山田桑”;在第一次見面時遞上名片,名片最好是用日語和英語雙語。注意用雙手,接到名片認真閱讀以后,小心翼翼地收好;商務約會要提前確定,準時抵達;娛樂是商務交往中的重要內容,一般是在下班時間去酒吧或者餐館,在這種場合雖然也可能涉及商務,但主要是建立友好的關系;商務穿著偏正式和保守,男人穿西服,女人也要著套裝;商務禮品在日本非常重要,禮物必須包裝,一般在第一次見面時呈上;注意日本人不喜歡當眾否決別人的意見,他們不說“不”,但用一個不那么堅決和真誠的“是”來表示“不”的意思。
三、見面禮儀的比較
在交往中,見面時行一個標準的見面禮,會給對方留下深刻而又美好的印象,是直接體現出施禮者良好的修養的需要。作為四大文明古國之一,中國的見面禮儀可分為握手禮、鞠躬禮、致意。握手禮:握手是一種溝通思想、交流感情、增進友誼的重要方式。與他人握手時,目光注視對方,微笑致意,不可心不在焉、左顧右盼,不可戴帽子和手套與人握手。在正常情況下,握手的時間不宜超過3秒,必須站立握手,以示對他人的尊重、禮貌。握手也講究一定的順序:一般講究“尊者決定”,即待女士、長輩、已婚者、職位高者伸出手來之后,男士、晚輩、未婚者、職位低者方可伸出手去呼應。若一個人要與許多人握手,那么有禮貌的順序是:先長輩后晚輩,先主人后客人,先上級后下級,先女士后男士。鞠躬禮:鞠躬,意即彎身行禮,是對他人敬佩的一種禮節方式。鞠躬前雙眼禮貌地注視對方,以表尊重的誠意。鞠躬時必須立正、脫帽,鄭重,嘴里不能吃任何東西,或是邊鞠躬邊說與行禮無關的話。致意:致意是一種不出聲的問候禮節,常用于相識的人在社交場合打招呼。在社交場合里,人們往往采用招手致意、欠身致意、脫帽致意等形式來表達友善之意。日本人平時見面要互相問候,行鞠躬禮, 15度是一般禮節, 30度為普通禮節, 45度是最尊敬的禮節。如果是熟人或老朋友,可以主動握手或擁抱。初次見面要行90度鞠躬禮,男士雙手垂下貼腿鞠躬,女士將左手壓在右手放在小腹前鞠躬,并口念“初次見面,請多關照”。同時日本人對名稱和頭銜也很講究,他們喜歡稱呼對方頭銜而不直呼其名。
四、談判禮儀的比較
商務談判是交易雙方為了各自的目的就一項涉及雙方利益的標的物進行洽商,最終解決爭議、達成協議、簽訂合同的過程。促使商務談判成功的因素很多,但禮儀在談判中的效應占有十分重要的位置。在談判中以禮待人,不僅體現著自身的教養與素質,而且還會對談判對手的思想、情感產生一定程度的影響。中國的談判禮儀可分為談判準備、談判初、談判中、簽約禮儀四大部分。談判準備:商務談判之前首先要確定談判人員,與對方談判代表的身份、職務要相當。談判代表要有良好的綜合素質,談判前應整理好自己的儀容儀表,穿著要整潔正式、莊重。男士應刮凈胡須,穿西服必須打領帶。女士穿著不宜太性感,不宜穿細高跟鞋,應化淡妝。布置好談判會場,采用長方形或橢圓形的談判桌,門右手座位或對面座位為尊,應讓給客方。談判前應對談判主題、內容、議程作好充分準備,制定好計劃、目標及談判策略。談判初:談判雙方接觸的第一印象十分重要,言談舉止要盡可能創造出友好、輕松的良好談判氣氛。作自我介紹時要自然大方,不可露傲慢之意。被介紹到的人應起立一下微笑示意,可以禮貌地道:“幸會”、“請多關照”之類。詢問對方要客氣,如“請教尊姓大名”等。如有名片,要雙手接遞。介紹完畢,可選擇雙方共同感興趣的話題進行交談。稍作寒暄,以溝通感情,創造溫和氣氛。談判之初的姿態動作也對把握談判氣氛起著重大作用,應目光注視對方時,目光應停留于對方雙眼至前額的三角區域正方,這樣使對方感到被關注,覺得你誠懇嚴肅。手心沖上比沖下好,手勢自然,不宜亂打手勢,以免造成輕浮之感。切忌雙臂在胸前交叉,那樣顯得十分傲慢無禮。談判之初的重要任務是摸清對方的底細,因此要認真聽對方談話,細心觀察對方舉止表情,并適當給予回應,這樣既可了解對方意圖,又可表現出尊重與禮貌。談判中:這是談判的實質性階段,主要是報價、查詢、磋商、解決矛盾、處理冷場。報價:要明確無誤,恪守信用,不欺蒙對方。在談判中報價不得變換不定,對方一旦接受價格,即不再更改。查詢:事先要準備好有關問題,選擇氣氛和諧時提出,態度要開誠布公。切忌氣氛比較冷淡或緊張時查詢,言辭不可過激或追問不休,以免引起對方反感甚至惱怒。但對原則性問題應當力爭不讓。對方回答查問時不宜隨意打斷,答完時要向解答者表示謝意。磋商:討價還價事關雙方利益,容易因情急而失禮,因此更要注意保持風度,應心平氣和,求大同,容許存小異。發言措詞應文明禮貌。解決矛盾要就事論事,保持耐心、冷靜,不可因發生矛盾就怒氣沖沖,甚至進行人身攻擊或侮辱對方。處理冷場:此時主方要靈活處理,可以暫時轉移話題,稍作松弛。如果確實已無話可說,則應當機立斷,暫時中止談判,稍作休息后再重新進行。主方要主動提出話題,不要讓冷場持續過長。簽約:簽約儀式上,雙方參加談判的全體人員都要出席,共同進入會場,相互致意握手,一起入座。雙方都應設有助簽人員,分立在各自一方代表簽約人外側,其余人排列站立在各自一方代表身后。助簽人員要協助簽字人員打開文本,用手指明簽字位置。雙方代表各在己方的文本上簽字,然后由助簽人員互相交換,代表再在對方文本上簽字。簽字完畢后,雙方應同時起立,交換文本,并相互握手,祝賀合作成功。其他隨行人員則應該以熱烈的掌聲表示喜悅和祝賀。
第二篇:中日茶文化比較
要旨
中國のお茶の歴史は三國時代から遡る。長い間中國の茶が世界に影響を與え続けている名作は唐時代の陸羽が書いた「茶経」である。その時からお茶を飲む活動は次第に王候貴族から一般の庶民へと広がった。宋時代と明時代を通して茶道は大きく変化し茶の葉の改良、茶器の発展、また茶道思想の完善を経て、今のようになった。
日本のお茶は平安時代に僧侶の最澄によりお茶の苗を持ち帰た。その後、村田珠光、千利休、豊臣秀吉などの名人が茶道に新しい製作法や禪の思想を導入し日本獨特な文化蕓術となった。
中日の茶道は自國の文化や歴史の影響により違う所がたくさんある。例えば茶の葉の種類、茶道の規則と過程また國民の性格と美意識などの方面で食い違う。キーワード:茶道 中日文化 比較 茶道の活動 禪 摘要
中國的茶史可以上溯到三國時代。中國的茶在很長時間里對世界產生持久影響的是唐代陸羽寫的《茶經》。那時開始飲茶活動就逐漸從王公貴族普及到平民百姓。經過宋、明兩代茶道發生了很大變化。茶道從茶葉的改良、茶具的發展到茶道思想的完善逐漸成為今天的樣子。
日本的茶最初是在平安時代由和尚最澄從中國帶回日本的。之后,村田珠光、千利休、豐臣秀吉等人將茶道引入了新的制作方法以及禪宗思想使之成為日本特有的文化藝術。
中日茶道因本國歷史文化的不同在茶葉的種類、茶道規則以及國民性格、美意識等面有很大差異。
關鍵詞 茶道 中日文化 比較 茶道活動 禪 序論
茶道というと、みんな日本の茶道を頭の中に浮かぶだろう。中國ではいつも茶文化と言う。なぜ日本の場合は茶道と読むのか、それは道というのは日本の伝統的な文化の一つであり日本獨特な読み方だからである。みんなご存知のように日本のお茶は中國から伝われ、そして絶えず発展し今のようになった。この點から見ればと中國は日本の先生と言ってもいい。でも日本の茶道は中國のと同じものではなく中國と違う道を歩んでいた。なぜその違いが出てくるかそしてその違いがどこにあるか、私はそれについて詳しく解明したい。1.中國の茶文化 1.1 茶道の定義
みんなご存知のように茶道は中國に源を発した。茶道の定義も時代の変化によって変わった。最初茶道の定義を決めたのは唐の時代にお茶を飲むことによって道を得ると言う意味だ。茶道の歴史は今まで発展しつつあり、茶道に対する定義もいろいろあった。ある學者は茶道を文化蕓能としてお茶を飲む活動と文化を完璧に結び、つまりお茶の中には道があり、お茶を飲むことによって道を得ると定義した。ある専門家は茶道を一種の室內の蕓能と呼ばれる。これらの定義を纏めると茶道とはお茶を飲む活動の形で精神的な感じと思想上の需要を満足すると言う意味である。ここでの茶道の活動は茶を植えることや茶の葉に対する研究ではなく、茶器、お湯やまたお茶を飲む場所に対する選択や飾りかたを含む活動である。1.2 茶道の起源と発展 1.2.1 様々なお茶を飲む活動
中國はずっと昔からお茶を飲む習慣があった。「三國志」によると呉國の皇帝が宴會で酒を飲めない大臣にお茶を賜った。その時からお茶を飲む習慣が始まった。最初は生理上の需要を満足するだけで、茶を飲む環境や茶器、茶の葉の質に対する特別な要求がない。その後感覚器官によって茶を味わう活動が出てきた。つまり特定の環境の中でお茶をゆっくり飲み味覚、視覚などを利用してお茶を味わう。これによって美を求め、人生の秘密を探求するという精神的な享受に達する。
もう一つの活動はお茶を入れる蕓術(茶蕓)だ。つまりお茶を味わうことと違い、人の主體性によって茶器やお湯にぴったり合うものを選び、茶の色、味、形などの品質を充分に発揮する活動である。そして茶道の思想もの中に入れてきた。1.2.2 茶道の起源と発展
茶道は中國の伝統文化の一つとしてその起源と発展はお茶を飲む文化の発展につれて生み出されたものだ。そして茶道の産生や形成また復興などは人間が自然や社會に対する認識、改造及び人類の活動と深い関係がある。
世界で第一回「茶道」という言葉が現れたのは唐の時代である。その時茶道は王候貴族の間に大いに行なわれてみんな茶がら付き飲む。それによって茶道が一定の格式を形成した。唐時代には政治、経済、文化がすごく発展し社會も安定していた。その條件の下で様々な茶道の流派が形成された。その中で一つは修行の形での茶道だ。この種類の茶道は一日中三回だけお茶を飲むと道を得ることができる。これは一般の人々にとっては難しいことだ。修行の茶道は古時代の詩人の陶淵明は都會から出て田舎に入って隠居の生活を送り、自分の希望や気持ちを花や森あるいは水の中に寄せるというような修行と同じ、僧侶が素樸な生活を送り現実中の悩みや不幸なこと、または不平等なことを回避するために茶道によって修行することである。一回だけお茶を飲むのは道を得られない。三回ずつ飲むと人間の肉體と心が徹底的に浄化され、神仙と人間を一體にする境界に達する。もう一つは茶蕓の形で行う茶道である。この種類の茶道については陸羽さんの書いた「茶経」がその代表作である。「茶経」は世界で初めてお茶のことを系統的に述べる本であり、中國の茶の歴史の中でも一番深い影響がある本である。茶蕓とは茶器や水などがお湯に対する影響もしくは茶の木の種類、栽培、加工、茶の葉の化學的な変化を研究することによってどのように質のいい茶を生産するかを考える過程である。そのうちにいろいろな道という精神的なものを得るのはこの種類の茶道の鍵だ。例えば、美味しいお湯を作るためにいろいろな調味料を適量に入れ、適當な火で煮る必要があるという例から國を治める時適材適當し、各階層の人間関係をうまく処理する必要があることが分かった。もう一つの例を挙げよう。「茶経」によるとお湯に適する水は一番いいのは山の水であり、次は海の水であり、最後は井の中の水である。この三つの水を見分けるために工夫をすることから物事に対する研究は表面に止まるのではなく、細かい所まで區別し物事をうまく把握する能力を育成する必要があることが分かった。つまり蕓能という茶道は人類が世界のあらゆる物に対する認識のレベルや、身につける程度を反映する。三番目は風雅の種類の茶道だ。これは前の二つと違い、のどの乾きを癒すために飲むのではなく、お湯や茶器などを選び、いいお茶を飲むのではなく、お茶を入れる過程を実演する形で現れる。そのうちに蕓術の趣が含まれ、鑑賞性や美術感に富む。この茶道の代表作は唐時代に出來上がった「氏を閉じてかぐことを閉じる」という本である。その本によると風雅の茶道とはお茶を飲む活動を通じて人々に精神文化の需要に実演の形での茶道を提供するということだ。つまり、物質的な享受と文化蕓術の享受を結び、茶を飲む活動に鑑賞性や文化蕓術性に富まらせることだ。これらの三つの種類の茶道の出現及び茶蕓に趣味を持つグループの形成がこれからの茶道の発展に重要な影響を與えた。
宋時代になると風雅の茶道と茶蕓の茶道が主流になり、以下の二つの特徴を持っている。第一、風雅の茶道は王候貴族から一般の庶民に普及した。その時國が繁栄し國內も安定している。貧しい人もお茶のことに注目を集めた。茶器も複雑から簡単に変わり庶民に受けられやすくなった。第二、茶蕓の形での茶道及び茶道の思想が普及した。具體的に言うと、お茶の精細さ質の良さを比較することによって、人間が世の中の物事に対する認識や理解及び把握の能力を反映した。このような茶道の思想は一般の庶民の中に普及するのではなく王候貴族の間にもよく伝わた。人間は物質の生活が満足している上精神文化を追求するようになった。これも平和の社會に積極的な役割を果たした。
明時代の初め頃朱権を代表とする茶道が人気がある。唐時代の団茶は葉の形の茶に変わった。茶道の思想も変化した。お茶を飲んでいるうちにお客さんが自分の意見を述べ複雑な社會から離れ心を清潔する。朱権の『茶の明細』という本は茶道の過程を詳しく紹介した。明時代の末期になると茶道思想は哲理の意味が弱くなり今のようにお茶を味わう要求と大體同じになった。
清の時代には茶の葉に対する需要が拡大し有名な茶もそれにつれていろいろ出てきた。陶器の現れは茶器に大きな変化をもたらした。その時お茶の産地を重視し茶蕓の活動も簡単になり茶を味わうようになった。改革開放後中國の生産力がずいぶん発展し物質の生活にゆとりがある。精神文化に対する需要が絶えず増えることは茶道活動の発展に條件を提供した。お茶を飲む活動はお茶を飲むことからお茶を味わうことまで茶蕓から茶道までこのように少しずつ浸入し、より多くの科學的な內容や精神文化の內容を含むようになった。二十世紀八十年代後、茶蕓の実演という形での茶道が盛んになった。そして実演の形も沢山ある。例えば宗教の形、風俗の形、古時代の茶道を倣う形などいろいろある。このような茶道は茶の自然科學と人文精神、文化蕓術を結び、時代に応じて新しい內容と形式を含む。
2.日本の茶道
2.1 茶道の文化定義
日本の茶道は中國から渡來したものであり、千年あまりの歴史を持つ。そして日本の社會文化と人文文化の発展につれて完善され、大和民族の獨特の環境の下で宗教、哲學、論理、美學、自然が一體になった。茶道が唱えられた「素樸、純粋、典雅」という精神は日本の茶文化を「道」の境界まで高めた。茶道は日本の伝統文化の代表として國民の生活の中でも不可欠なものになった。茶道の目的は渇きを癒すのではなく同じ茶の本質の優劣を鑑別するのではなく複雑なプログラムと儀式を通して情操を育成し靜寂の境界に達するのである。2.2 日本のお茶の発展
中國の茶文化の歴史と比べると日本の茶道の歴史はそんなに長くなかった。歴史の資料によると、お茶が日本に初めて入ってきたのは平安時代であった。その時中國で留學していた僧侶の最澄によりお茶の苗を持ち帰ったそうである。奈良時代に上層の階級の間に喫茶の風習が始まった。その後、茶の木が近畿諸國をはじめ、各地に広く栽培された。鎌倉時代に栄西禪師をはじめ、沢山の禪僧が茶の製作方法と喫茶法を日本に伝えることによって茶道はどんどん進歩していた。喫茶の目的は鎌倉時代までは思想生活の伴侶として用いられたが(時には薬用)南北時代になると喫茶を遊戯的に用いた。つまり、闘茶として品種を飲み分ける競技の形で行なわれた。このような僧侶茶、武士茶は中國の茶文化に深い影響を受けた。これは日本茶道が生まれる前の歴史だ。本當の意味を持つ茶道は十五世紀の末ごろ村田珠光氏により創立された。村田珠光氏はお茶を飲む行為に思想を入れる初めての人であり、日本茶道の祖先と言ってもよい。その後武野紹鴎によりさらに推し広めていった。日本の茶道の精神も「茶と禪が一體になる」ような境地になった。千利休はもっと具體的かつ系統的な規則を定め茶道を庶民化にさせた。また茶會の種類、茶器の種類や茶室、庭の飾り方なども決めた。日本の茶道は今でも絶えず発展しているが茶道の基本的なものを決めたのはやはり千利休だ。でも茶道の大成については織田信長、豊臣秀吉の成果を無視してはならない。彼らは茶道を政治的に利用したが茶道に精神的な慰安を求めた。千利休は「謹敬清寂」を「和敬清寂」に変化させた。江戸時代に千利休の子孫と弟子が茶道を継続し「家元制度」注①を作り別の流派が現れた。千家流派は表千家、裏千家と武者小路千家三つの大きな流派になった。この時期は日本茶道の輝かしい時期であり、日本民族の特徴を持っている。また抹茶道、煎茶道も形成された。明治維新以來茶道に深刻な変化が現れ文化的な意味が強くなった。そして時代に応じて自國の特徴を持っていて今のようになった。
2.3 中國の茶文化が日本の茶道の発展に対する影響
日本の茶道の形成と発展が中國の茶文化と深い関係がある。まずお茶を飲む風俗は最初に日本に入ってきたのは平安時代のことだった。日本の天臺宗の創始者である最澄は中國の仏教の経典と茶の木を持って帰った。そして栄西は鎌倉時代にもう一度中國の茶を持ち帰り、「喫茶養生記」という書物を作った。その本は日本の茶道の歴史的な転機と言ってもよい。また栄西は茶に対する栽培、茶の葉の摘む方法、飲む方法を詳しく紹介した。それと同時に中國から寺のお茶の飲み方を導入しお茶を飲む禮儀を定めた。例えば団茶、抹茶、闘茶などは全部中國から伝わられたものだ。ほかには毎年の春と秋、奈良で行なわれた茶會特に唐式の茶會は日本の茶道の源である。それは中國の唐と宋時代の茶會によく似、茶を飲む庭の飾り方や點茶の儀式及び闘茶遊戯などが含まれる。これだけではなく栄西は平安時代の終わり頃中國の宋に學び日本に禪宗を開いた。禪文化は日本の伝統文化の中で重要な內容であり、禪宗の導入と伝播につれて形成された。日本の茶道から中國の仏教思想の跡もよく見られる。日本の茶道の和敬清寂という精神は仏教の教義の中にはっきり書かれてある。「茶禪一味」注②という茶禮もそれと同時に導入され、室町時代になると五山僧の間に次第に定著して行った。3.中日茶道の比較
日本の茶道は中國から伝えられたが先生と言える中國とは違う道を歩んでいた。そこには中日の茶道に違うところがあると思う。特に日本茶道は中國の茶文化に深く影響され、自民族の特徴と精神を結び日本獨自なものになった。3.1 茶の葉の種類 茶の葉の種類に対する標準が違い統一することができない。今の茶の學界には茶類に総合的な方法を取った。その方法によって中國の茶は二つに大きく分かれた。一つは基本的な茶であり、もう一つは再加工の茶である。基本的な茶には緑茶、紅茶、青茶、白茶、黃茶、黒茶、六つある。その中で緑茶は中國で一番歴史の長い、生産量も高い茶である。このような分類の方法は茶の作り方によるものだ。再加工の茶は前の六つの茶を原料として再加工後の茶である。その中には花茶、圧縮茶などがある。
日本の茶道に用いられた茶は主に緑茶である。そして茶の産地、栽培の方法、茶を摘む時期、茶を作る方法によって煎茶、ひき茶、玉露茶などの名前が付けられた。例えば、精製された茶の葉をスプンでひいて粉末としそれを茶碗の中に入れ、熱湯を注ぎかき回して飲む。煎茶は中國の明時代で流行したものであり、葉を乾燥し蒸したり揉んだり熱湯を注ぎその汁を飲む。玉露茶は煎茶の一種で今でも高級の茶として知られている。3.2 茶道の規則と過程
茶道の中での規範は人生の道徳心を涵養するために重要な內容であり、茶道の活動の各方面に含まれている。規範は人に良好な行為を養成させる。お茶を入れるなど細かいことや日常生活の中で規範を守り良好な気質、身振りを育成することができる。茶道を修行する人はその過程の中で禮儀、姿勢、順序、位置、服裝などいろいろな規範を守らなければならない。茶道の活動にあるマナーは茶道の種類によって違う。例えば、お辭儀の仕方、跪く仕方、また、握手、目付き、など厳しい規則がある。それらの禮儀はお禮を表し、お客さんに尊敬の意を表し、茶道の中身を協調する規範である。
日本の茶道の規則は禪宗寺でお菓子を食べる規則から來たのだ。僧侶たちは朝ごはんと晩御飯だけ食べ、お腹が空くのでお茶を飲み始めた。それとともに懐石注③を食べる。現代の日本の茶道は面積の小さい優雅の茶室で行われる。茶室の中には珍しい骨董や掛け軸が壁に掛けてある。真中にはお湯を沸かし、器具が置いてある。茶室は飾り方によって違う。歴史の中で有名な茶室は小堀遠州による弧蓬庵、古田織部による燕庵、千利休による草庵茶室、秀吉による黃金の茶室だ。
茶會の前に主な客と陪客を確かめる。茶會をよくするために主人は忙しく、いい茶菓子を選び、茶室を綺麗にする。茶道に用いられたお菓子と言うとお茶の引き立て役といわれる物であり、一服のお茶をいかに美味しい味わっていただくかという重要かつ欠かせないものだ。茶會中いろいろな厳しい約束がある。主人もお客も「一期一會」の思いで茶會に參加する。主人はあらゆる手を盡くしお客を持て成しお客の方もこれから會えなくなると思っていて茶會に參加する。両方ともお互いに協力し合うことと感じる。3.3 國民の性格
文化は國民の性格を反映すると言ったように中國の茶文化は中華民族の伝統に影響され中華民族の性格を反映した。中國は禮儀を重視する國と言われたとおり茶文化は友達同士の友情や家族同士の愛情を體現する。茶を飲む形によって友達になるということは一般の庶民の中に普及されているのではなく集団や國の禮儀にも用いられる。新年の際、會社や工場などで茶話會を行い、上司は會社員に感謝の気持ちを表す。だから中國の茶道は日本より実用性を重視する。そして日本より庶民化を持ち禮儀と形に拘らず、実用性を大切にする。日本ではそれと反対に、厳しい形式を守り道徳を養成するために茶道の活動を行う。それは日本民族の発展と深い関係がある。日本は小さい島國であり、人口の増加と個人の生存に矛盾が出てきた。個人は生きていくために周りの環境がどれほど悪くても我慢する。苦しい狀況の中で人間関係や、仕事をうまくいくためにいつも自分のことを我慢する。それは茶室の入り口が狹くて體を曲げて入らなければならないことからよく分かる。また悪い自然環境の中に形成した日本民族は集団意識も強いし、お互いに協力の意識も強い。茶道は集団による活動が多い。みんな連攜して平和の雰囲気を造る。最後、日本では厳しい身分制度を実行し規範と禮儀を重視する。茶會中厳格なコースを守り形式的な話を言わなければならない。その點から見れば、日本の茶道は本當にお茶を飲むのではなく、人間に禮儀の教育を行う道徳修養の儀式である。このような形式を重視し実用性をあまり重視しない文化は人間の間に自然的な付き合いに悪い影響を與えるのかもしれない。3.4 茶道の中の美意識
中國の茶道の中にある美意識は茶道の活動中のメロデイ、対稱、対比、異同、自然、対応比例などを通して表す。例えばメロデイは自然界の中に存在する永遠の変化と命のリズムを表し生き生きな表現の形式である。また、茶器の排列、動作や言語の音で表す。対稱の美は中國の古典美學にある規則であり、バランスと安定性を持つ美學だ。茶道の活動の中で靜態の物事の対稱もあれば動態の物事の対稱もある。人の位置や茶器の並び方などは中心線を基準として並ぶ。また、お茶を入れる動作や體の姿を対稱的に行うことを通して観賞側に目や心を楽しませる効果が出る。自然の美は人類が自然に対する追求から表す。自然の中で生活しているのは人間の生まれながらの希望である。お茶を入れる時、緑の茶の葉は水の中で自然に広がるのは一種の自然の美である。茶道の比例の美というのは物事の大きさに適當な比例があることだ。
日本の茶道の美意識の主旨は「素樸」ということである。それも禪の本質である。村田珠光は素樸な美を重視しお茶を飲む時日本産の器具を使うことを主張した。千利休は既成の美意識に拘らず小さい茶室を造り朝鮮の陶器を導入し茶道を庶民化する。日本の美意識は素樸のほかいろいろな美もある。自然の美は庭園、建築、花を挿すことなどの配置から人間の注目を集める。欠陥の美は粗末あるいは指紋のある茶碗を上品と見なすことから表すものである。3.5 茶道が反映した思想
中國の茶文化は儒家の思想を核心とし儒教、道教、仏教を一體にすることによって茶文化の內容を豊かにする。儒家文化の本質は実用で中國の茶文化は日本より庶民化を體現する。また儒家の「禮仁徳」と中庸の思想及び道家の「無為、自然、」の思想も茶文化に深い影響を與えた。だから中國の茶文化は自然の美を崇拝しているが日本ほど儀式を重視しないのである。
日本の茶道は主に中國の禪宗思想を反映した。また禪文化は日本の伝統文化の中で重要な內容である。敬と寂という思想は禪宗からきたものだ。敬とは真如の前にみんな平等の地位を持つという意味だ。茶室に入って身分を言わずお互いに尊敬する。つまり茶室の中には平和の世界である。寂とは靜寂でどんな時にも動かないで靜かな心を持つという意味だ。和は禪宗の「心が穏やか」の意味であり、お互いが仲良くすることだ。それだけではなく「茶禪一味」という思想も室町時代になると五山僧の間に次第に定著していった。ほかには日本茶道の形成は仏教との関係もある。清という思想は仏教の「清らかである」ということから來たのだ。結論
本論文は中日茶道についての資料を集め調査を通して纏めたものだ。日本の茶道は中國から導入したものだが、中國と違う道を歩んだ。私はこの疑問を持って中日の茶道の歴史と発展を考察し、中日茶道の相違點を分析した。日本の茶道は中國の茶道の影響を受けるほか、日本民族の発展や日本獨特な伝統文化からの影響も深い。だから中日茶道は茶の種類、茶道の規則と過程などの方面だけで違うのではなく、茶道が反映した國民の性格や思想も違う。中日の茶道の交流はこれから必ず絶えずに行われるうと思うが、実用性を重視する中國の茶道はより多くの日本人に受けられると私は思う。
本論文はこのような視點から中日茶道を比較したものである。個人の能力や知識の不足で文章の中に文法などの間違いや中日茶道に対する分析に足りないところがあると思うので、ご指導くださるようお願いする。謝辭
本研究を執筆するにあたり、始終適切な助言を賜り、また丁寧に指導して下さった王霜先生に感謝の意を表します。また、中須賀剛先生と黃金春先生をはじめ、多くの先生方が常に論文の書き方をご指導くださいました。本當にありがとうございました。注釈
①その流派の本家として、代々の蕓道を受け継いでいる家
②茶が、古來、飲み物として禪の寺院で用いられていたことは知られていたがそこでは禮を持って茶と接していた。特に元の時代にあっては、禮のうちでもっとも重用な禮とされた。やがて茶が日本に伝わると、こうした茶禮も同時にもたらされた。
③茶の湯で茶を勧める前に出す簡単な料理。參考文獻
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【2】膝 軍 《中日茶文化辯異與展望》 東京 東方出版社 1992年 【3】周文棠 《茶道》 ﹙2003年5月﹚ 浙江大學出版社 【4】趙丁 《茶的故事》﹙2003年1月﹚ 地震出版社 【5】周笑明 《日本國概況》﹙2000年9月﹚ 南開大學出版社 【6】雜志 《西北大學學報》﹙2005年7月﹚ 哲學社會科學版
【7】王勇,王寶平《 日本文化的歷史蹤跡 》﹙1991年﹚ 杭州大學出版社 【8】余悅 《中國茶韻》﹙2002年﹚ 北京 中央民族大學出版社,【9】雜志 第2卷第2期2003年6月北 《京林業大學學報》(杜會科學版)【10】傅樹勤 《茶神陸羽》 1984年 北京 農業出版社
第三篇:中日文化比較心得
中日文化心得體會
這一學期選修了賈老師的中日文化課程,由于課程沖突,好多次沒有去成,但我覺得通過這次課程讓我認識到了中日文化的區別。
我們為什么總是討厭日本人,也許是因為日本文化幾乎全是中國傳過去的,本來就是個蠻夷之地,蕞爾一島;但它后來卻又侵略中國,進行大屠殺這種慘無人道的行徑。最重要的是那種不認罪的態度——否則,我也說不清中國人為什么要仇日不仇英法美。八國聯軍燒了我們的圓明園、屠殺了義和團。
其實關于國際關系,國家利益才真正左右一個國家的態度,本來就變得比狗臉還快,翻臉不認人常有。象我們這樣持久地排日并不理智。我也無意為日本辯護,它有自己的民族劣根性,但日本文化和眾多文化一起沖進中國大門,與年輕一代人緊密融合,再拒絕出去,絕不可能。
日本文化的確在影響這一代人,中國文化必然有比不上它的地方——沒有什么文化和制度完美,任何文化都有不如別人的地方,我國改革開放不是去挑別人的毛病,而是學別人的優點,我們必須清醒。
中國人行事以中庸著稱,但做道德判斷卻相當偏激。或者說二元化,不是君子一定是小人,不是好人一定是壞人,不是清官就是貪官;有句迎合皇上的話就是奸佞弄臣,非得抬著棺材死諫才叫忠臣。清官如岳飛、海瑞,要么被陷害死,要么與整個官場為敵。再比如,父母死了要守三年孝,什么事都不準干,一門心思地悲哀。當時,有個“大孝子”倒是守了二十年的孝——在這期間生了五個孩子,傳為笑談,但此人除此之外,沒有殺人放火,沒有違法勾當,孔融卻一聲令下就把他殺了,中國人虛偽得可以。孔融還以“不孝”的罪名殺了另一個他認為在父親墳前哭得不悲的人——最后,曹操仍借著“不孝”的罪名殺了孔融,倒算首尾呼應。
而且似乎日本文化是更為靈活的,從物語文學可以看出,很早就可以抒發個人的情感。而中國,文人似乎永遠是不得志的,活象一群怨婦。蘇軾和辛棄疾并稱蘇辛,但辛不如蘇,蘇是士大夫兼文人,辛的范圍就窄多了,幾乎是職業“詞人”,而填詞不是正業,是野狐禪,只有科場和官場不得志,才去搞這種雜學,試想辛的心態會好嗎?柏楊先生說:“日本雖然幾乎吸收了中國的一切,但沒有吸收科舉,所以在明治維新可以一下完全崛起。”日本從中國吸收最多的似乎是李白、白居易而不是孔孟之道,可見它是有挑選的,決不接受文化傾銷,倒是真的“拿來主義”。他拿到了羅盤,用作指南針,而不像中國人用它看風水;他們拿到火藥,做出炮彈,而不像中國人用來放煙花。
說起來,如果日本都是從中國來的,但如今日本顯然比中國發達;日本會挑選、會繼承、會總結、會發揚。他們比中國更早學會向前看,中國官員在彈劾變法,日本在全民維新;日本沒有中國的“利不十,不變法”,雖然也陷入閉關鎖國,但立刻清醒,認清形勢,抓住一切條件發展。而中國則被侵略得都快不知道自己是被誰侵略的了,還想維護“天朝尊嚴”,就是自取滅亡。天朝的幻想就和吸鴉片或精神勝利一樣,它讓我們永遠認不清局勢、不知道發展。
日本人還有強烈的危機意識,是受東西方文化沖擊的產物。日本決不是什么地大物博,主要能源多靠進口。要發展,又不能輕易得罪美國,韓國仇日,俄羅斯強大,中國崛起,日本其實很難熬,居安思危就尤其很重要。空調不低于28℃是潛規則,結果到哪都是28℃;煮雞蛋也要考慮怎么省一半的天然氣。日本地震也很多,他們的孩子必須隨時明白在危險中怎么做。
而中國,仿佛是小農意識太久了,沒回過神,從來不知道什么時候危險,杞人憂天的少,莫名其妙枉死的多。安逸舒適一天,不想明天會有什么,不直面問題隱患,正如魯迅先生打過的比方,只關注燒麥或北極,不看骯臟的桌子和地面。
說了很多中國人的缺點和日本的優點,不是媚外,崇洋和媚外根本是兩個不同的概念,柏楊先生明確闡述,崇洋但不媚外。我們要學別人的優點,而不是自我陶醉,日本文化有自己的劣根性,正如中國文化有自己的劣根性一樣,任何國家,任何民族都不例外。問題在于如何保持清醒的頭腦,懂得批判亦懂得前進。
10電子信息
周 培
第四篇:中日幼兒園體育比較
中、日幼兒園體育教育比較淺析
文⊙王云紅黃芳(河北醫科大學河北省國際教育交流服務中心)
摘要:本文利用文獻資料法對中、日兩國幼兒體育教育進行比較,分析我國幼兒體育現狀和差距,旨在探討我國幼兒體育教育改進的方向。
關鍵詞:中國;日本;幼兒;體育教育
一、日、中幼兒體育教育的橫向比較 下面從四個方面作一比較:
1、觀念上:
日本重視科學指導和自然適應訓練。教師很注意幼兒體育鍛煉的科學性。如:記錄幼兒在一周中心率的變化,觀察研究幼兒生活節奏和保育的關系;在幼兒體育運動后,及時測量幼兒機體生理活動反應,為掌握體育鍛煉的運動量和時間提供科學依據;通過拍攝幼兒體育活動的錄像,分析體育活動對幼兒身體發育的影響,分析幼兒動作發展情況,研究如何培
養幼兒正確的動作。
日本兒童衣服普遍穿得很少,體質較好。如5月初的日本,氣溫一般在2 0攝氏度左右,幼兒園的小朋友卻只穿汗衫、短褲,即使在冬天兒童也是穿短褲的。在一天的活動中,兒童喝的全是涼的自來水(日本自來水消毒過濾較好,可以直接飲用)。午飯是孩子們早晨從家中帶來的,在5月份的氣溫下,孩子們的盒飯不蒸熱,中午直接吃冷食。這種做法可以鍛煉孩子們的腸胃功能和增強他們對環境的適應能力。
中國由于獨生子女較多,使我們對幼兒的衛生和安全問題非常重視,對幼兒的過度保護及對幼兒行為的過渡限制成為幼兒體育良好開展的瓶頸大部分幼兒園追隨社會上重視學習知識的風氣,特別重視知識技能傳授,開設了彈琴、畫畫、外語等興趣班。對孩子的安全教育和衛生教育、疾病預防十分重視,而對幼兒體育教育不夠重視。有的把幼兒體育專業化和成人
化,認為只有開展這種體育才是體育教育,戶外游戲只是瞎玩,對幼兒體育研究 的很不深入。
2、環境場地和設備建設:(1)日本一般幼兒園都有寬敞的體育活動場,地面一般鋪著一種特制的紅色沙土,松軟而富有彈性。孩子早晨到園后,就身著汗衫、短褲,有的還赤著腳,在運動場上進行各項體育活動。場地四周設有各種運動器具,如秋千、單杠、平梯、山洞、滑梯、蕩繩;此外還有一個大型多功能的攀登架,孩子們既可以攀登,滑滑梯,又可以在網繩上爬行。單杠、平梯在我國幼兒園中很少設置,擔心懸吊動作會使孩子肩關節發生脫臼和肌肉扭傷。從實際情況看,這類運動很受幼兒喜愛。在運動場的一端有一個面積較大的沙坑(約有1 6平方米),配合玩沙游戲備有木鏟、水桶、簸箕等。在這樣的沙坑中,教師幾乎可以帶領全班幼兒在沙坑里挖山洞、堆沙丘、開水溝等。(2)體育設備多,條件好,注意利用園內的自然條件,開展體育活動。如他們在兩棵樹的樹干上架一根較粗的木頭,在木頭上系著兩根粗繩,繩上打著幾個結,一根較粗的木頭,在木頭上系著兩根粗繩,繩上打著幾個結,幼兒坐在繩末端的結上,雙手拉住繩,前后晃蕩,猶如蕩秋千。他們還在沙坑兩邊的樹干上,分別在上下結兩根粗繩,讓年齡稍大的幼兒雙手
拉著上面的繩子,雙腳踩著下面的繩子,從一端一步步地走向另一端。通過這類活動,可以鍛煉、培養幼兒的勇敢精神、平衡力和靈活性。而我國的人口眾多,幼兒教育事業這幾年處在高速發展階段,幼兒入園率迅猛提高,而國家對幼兒園投入遠遠不夠,從城市人口劇增,而幼兒園人數嚴重超員一般都達到每班40-50名。國家規定為35名以下。年齡越小人數越少。雖然人數很多,但場地普遍狹小,人均不足2平米的戶外場地,人均不足1.5平米的室內活動場地的幼兒園在大中城市普遍存在。幼兒園雖然也有豐富的各種器械,但人均配置嚴重不足,嚴重限制了幼兒活動。
3、活動時間:
日本幼兒戶外活動較長:孩子們從上午8:30入園一直可以活動到10:15(10:3 0有一次全班性的集體活動)。在這段時間里,每個幼兒都可以充分地活動,體力、腦力得到一定的鍛煉。我國大部分幼兒園重視知識技能學習,規定幼兒園每天上下午有一個小時戶外活動,但大部分幼兒園活動時間較短。而且有很多園為保證孩子安全,只要天氣有所變化,就不組織幼兒戶外活動,有的幼兒園只讓孩子戶外做操就回班學習。
4、組織自由開放:
日本幼兒園戶外活動及沒有區域的限制,也沒有班級和年齡的限制,活動以幼兒為中心展開,幼兒可以根據自己的需要探索環境和自由地與任何孩子、教師交往,教師只是根據需要援助指導幼兒。允許幼兒根據自己的水平嘗試一些非常規的、看似危險的活動方式。而我國大部分的幼兒園對每班孩子每天的活動地點、內容作了限制和規定,限制孩子的活動方式,更多地用同一種方式要求幼兒,一般不允許嘗試非正規的活動方法,禁止幼兒在活動中進行看似危險的探索。教師在幼兒體育教育中更重視指導的直接性,場地安排的秩序性,防范安全 事故的嚴密性。
二、比較結果
1、觀念上:日本注重活動的科學性研究,允許冒險。中國幼兒體育注重安全 教育,缺乏全面重視。
2、環境上:日本更注重高質量的豐富的物質環境的創設,我國因為資源投入不足,整體環境較差。
3、內容上:日本注重自然適應性自由活動,我國則注重全面保護下的器械游 戲。
4、時間上:日本幼兒園每天大部分時間組織幼兒戶外運動,而我國幼兒活動 時間較短。
5、組織上:日本重視自主自由的活動探索,注重科學研究制定合理的指導方
案,進行科學性指導,我國對孩子的活動限制太多,對幼兒體育教育研究不夠深入。
三、結果討論與啟示
(一)轉變教師觀念,樹立體育教育的大教育觀。
體育對幼兒的作用不僅是增強體質,它有著更為重要的教育功能。體育在促進幼兒身體發育、智力、和環境適應力及社會性發展方面有著特殊的教育作用。幼兒通過運動和感覺來認識環境,運動不僅有助于身體的健康發展,還有助于自尊和自信的確立。兒童這種對自己身體運動的掌控能力可遷移到日常生活中去,使他們能在各種不同的情境中應付自如。身體動作
也是社會交往的手段之一。注重培養幼兒自然適應能力,日本的自然適應法則在培養幼兒良好的自然適應方面給了我們良好的借鑒。
(二)把休閑體育和終身體育結合起來,把健康和發展放在首位。
幼兒休閑的自由體育游戲生活化,并與終身體育現結合才能真正為幼兒健康和發展服務。我們不僅要保證幼兒活動的游戲性,還要進行系統化的體育研究。日本的自主體育可以培養孩子更多的體育興趣滿足孩子的探索活動,增加鍛煉的自覺性,為其一生的打下基礎。
(三)增加幼兒園活動場地面積和
環境建設,保證幼兒開展活動的空間和時間。從日本的幼兒園體育教育可以看出,十分重視幼兒體育教育,特別是在提供給幼兒大量場地空間及材料環境方面給我們借鑒,空間是活動的物質保證,足夠的空間可以減少場狹小帶來的擁擠危險。在狹小的幼兒園,要盡量利用攀援墻、吊繩等空間玩具拓展空間。還可以利用社區場地遠足等開展活動。保證幼兒的活動時間才能使幼兒身體得到充分鍛煉,教師應該保證每天幼兒2個小時以上的戶外活動時間。
(四)幼兒體育教育要進一步開放化和科學化,提高幼兒身體的綜合素質。把孩子看成一個獨立的個體,尊重孩子的運動興趣和愛好,在體育教育中給孩子一定自主冒險的自由,進一步開放我們的頭腦,容納更多的運動方式和內容。進一步加強幼兒體育科學化研究,進一步加強家園結合,充分利用家庭資源,提高家長認識。重視幼兒體育的實效性就要加強幼兒身體素質練習。總之:要進一步提高人們對幼兒體育的重視,并進行科學理念和方法的指導,才能使我國的幼兒體育教育上一個新臺階。參考文獻:
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第五篇:中日企業文化比較研究
中日企業文化比較研究
摘要:20世紀80年代初,企業文化就被提出,自此以后越來越受到企業界和理論界的重視,成為企業加強管理、提高市場競爭能力的內在要求。由于不同國家所處的社會、歷史和文化背景不同,企業文化現象也千差萬別。本文將以中日為例,探討中日企業文化的區別與融通之處,其融通之處是中日兩國企業交流的基礎,其區別則是互相借鑒、互相學習、互相提高的基礎。如果我們中國的民營企業能夠在實踐中吸取和借鑒日本優秀的企業文化,一方面能為企業文化建設帶來新的思想,另一方面也能為中國企業進入日本市場奠定基礎。本文也將結合松下和海爾的企業文化建設來展開討論,從某種程度上說,松下和海爾的企業文化就是中日企業文化的縮影。相關結論也為中國企業處理在日本發展時由文化差異引起的問題的解決提供建議。-
關鍵詞:中日 企業文化 比較啟示
正文:
1、企業文化的由來、內涵和作用
企業文化這一概念來自西方,企業文化的內容卻形成于東方。本世紀三、四十年代,日本的企業界開始出現了企業的經營哲學,這就是企業文化的萌芽。到了80年代,美國加利福尼亞大學的日裔美籍管理學教授威廉·大內,憑借自己所兼備的日、美兩國文化以及心理素質的優勢,提出了企業文化理論。大內及其他學者發現一些企業中形成的特殊企業文化成為企業發展的強大動力,經過總結、推廣,被視為現代企業走向成功的管理意識革命,從而進入了以企業文化為核心的管理時代。
何為企業文化?國內外專家學者的說法并不統一。我們認為:企業文化是本國民族文化與現代文化相互影響在企業中的具體反映,是企業所形成的具有自身特色的思想、意識、觀念等意識形態和行為方式,以及與之相適應的制度和組織機構。企業文化以企業精神為核心,由三個層次組成:
(1)最外層:即企業的物質文化層。包括企業生產經營的物質基礎。這是企業精神文化的物質體現和外在表現,具有物質特性,構成企業的硬文化。
(2)中間層:即企業的制度文化層。包括企業領導體制、人際關系及其為開展正常生產經營活動所制訂的各項規章制度。它是企業物質和精神文化的中介。
(3)最內層:即企業精神,屬于企業文化的軟文化,是企業文化的內核。物質文化、制度文 化和精神文化從不同側面反映了企業文化的豐富內涵。
由此可見,企業文化實質上是企業內部的物質、制度和精神諸要素的動態平衡和最佳結合。其精髓是提高人的文化素質,重視人的社會價值,尊重人的獨立人格。企業文化對企業和職工的行動發揮滲透、潛移、感染等作用,具有傳統的企業管理方法難以相比的管理功能。它通過打破傳統觀念,樹立與發展戰略相適應的新觀念,使職工理解經營戰略,通過價值觀體系的建立和調整,形成強大的實施經營戰略的精神動力;通過組織制度的調整,提供戰略實施的組織制度保證;通過科學文化技術培訓,使職工勝任戰略實施的職責。大量事實證明:企業成 功的決定性因素并不全在于擁有先進的技術和設備,企業文化在企業中起著不可替代的作用。
2.中國的企業文化的特點
早在企業文化沒引進中國以前,不少企業中就存在著類似企業文化的企業精神:如“三老四
嚴”的“大慶精神”、“鞍鋼憲法”等等。80年代中后期引入企業文化理論后,越來越多的企業提出了自己的企業文化理論,突出了以人為中心的企業經營管理模式。企業文化在當代企業中正發揮著越來越重要的作用。中國在企業文化建設方面有許多特點,主要表現在以下四個方面:
(1)自強自信、艱苦奮斗的民族精神。翻開中國的近、現代史,我們就會發現,中國人民為民主和自由的斗爭一刻也未停止過,中國人民也從未被帝國主義列強下倒過。不屈不撓的斗爭,磨練了中華兒女的意志和毅力,造就了自力更生、艱苦奮斗的民族精神。這種精神在中國社會及當代企業中起著不可忽視的作用。所以中國企業在企業文化建設中也將表現出不甘落后、追求卓越的頑強精神。
(2)博大精深的儒家文化。儒家文化產生于中國,因此在中國發展以人為本的企業文化理論有其得天獨厚之處。諸如,儒家文化中倡導人勤勞、愛國、孝敬父母、和為貴、與人為善等一直是中華民族的傳統精神,也是企業文化的靈魂。這也啟示我們企業的領導者如何不只憑權力建立威信和征服人心,而靠“個人魅力”去影響員工,增強自身的道德、關心員工的成長等,這樣才能等去獲得職工的服從和信賴。
(3)“人治”、“ 情治” 與“ 法治” 相結合企業文化。雖然改革開放以來我國許多企業都在進行企業文化建設工作, 而且也取得了十分明顯的成效, 但從總體上來說, 我國的企業文化建設活動仍然處在起步階段, 所以法治化的局面并未真正形成, “人治”的成分仍然 相當多。諸如長官意志,說話隨意性的和模糊性的習慣, 裙帶關系等行為隨處可見, 嚴重制約了企業的規范化和制度化的發展歷程。
(4)個性不明顯。如果從作為個體的企業這個角度進行比較, 我國大部分國有企業也并未形成自己有特色的企業文化, 國外許多企業大多有自己的特色鮮明的個性化企業文化, 他們各自的企業文化實質上形成自身的象征和標志。例如美國IBM 公司的“ 服務”文化, 日本SONY 公司的“開拓者” 精神等都是與眾不同的很富有個性特點的企業文化實例。
以中國代表性企業----------海爾公司為例。90年代, 建立企業文化在中國企業界被廣泛提及。其中最具代表性企業是綜合家電廠家海爾集團公司。海爾公司在短短的20年里從一個瀕臨倒閉的總校企業成長為躍居世界第五位的家電廠家。海爾之所以能實現快速增長, 其中一個重要原因就是擁有自己優秀而獨特的企業文化。海爾的企業文化是企業在多年的發展過程中形成的獨具特色的文化體系, 海爾公司的經營理念是以人為本、追求卓越、敢于創新。海爾按照廣義文化觀的要求, 以觀念創新為引導, 以制度創新為手段,實現技術創新、產品創新的效果, 并以物質文化創新實現“敬業報國“、創世界名牌的企業精神與追求。海爾的文化管理, 是基于中國特有的民族文化傳統和社會心理, 密切結合社會轉型的現實, “兼收并蓄、創新發展、自成一家”(張瑞敏)的中國式管理的典范之一。張瑞敏認為,現代化首先是人的現代化, 現代化的主題是人, 因此人的意識和價值就有著特殊地位。海爾把人當作主體, 一切以人為中心的理念, 在企業內部營造信任人、關心人、理解人的文化氛圍。你擁有多大的發展空間, 企業就為你搭建多大的發展舞臺。海爾的目標是創世界名牌, 振興民族產業。這一理念與員工個人價值的追求完全一致, 成為企業強大的推動力。在這種力量的推動下, 在創新理念引導下, 海爾從無到有, 從小到大, 從大到強, 從中國走向了世界。
海爾的企業文化是中國企業文化建設的成功代表,海爾擯棄中國企業文化中很多不適應現代化企業發展的因素,將中國優秀傳統文化與企業自身企業文化建設相結合,形成自己獨特的、適應企業國際化發展戰略的文化,是這種文化支撐著海爾的持續發展,我們很多企業在發展到一定程度后往往忽略企業文化建設,認為文化很虛,不如領導的決策、硬制度來得實在,花人力物力去搞企業文化還不如多買幾套設備,這在短期看是對企業有利的,但眼光放長遠一點,這就行不通,企業也許發展四年、五年后就缺乏發展動力了,到時企業還得花更大的代價去搞企業文化建設,企業文化做得好,員工素質就上來了,潛移默化地就按照企
業文化的引導去參與企業的各項任務,而且不用上級領導不停地指示才會去做,這樣企業管理成本就下來了,另一方面,員工的工作積極性提高,工作效率也高。綜合來看,企業文化是對企業長遠發展百利而無一弊的,我們企業要牢記這一點。
3.日本企業文化的特點
(1)忠誠精神和“ 家”的 觀念
“忠”和“誠”是大和民族價值觀的最高境界,忠誠與否成為社會衡量個人人格的最高標準, 市場經濟條件下則是企業考評員工最基本要求。以廠為家, 愛崗敬業, 企業就是員工家的縮影, 員工與企業保持家的血緣, 就是把企業當成家來看業的薪酬制度和激勵機制主要是終身雇傭制、年功序列制和資歷等級制, 并通過這些強化企業為家的理念, 使員工與企業合為一體, 使員工對企業形成強烈的認同感、歸屬感和忠誠心, 為企業盡忠, 對家長(企業主)感恩。日本企業廣泛存在家族主義、家庭理念, 企業也在有意識地營造“家庭”氣氛。在企業內, 員工與管理者、員工與員工之間有著家庭成員般的感受, 把企業看成是“自家的企業”;在企業外, 員工主動維護本企業的利益和形象, 以為企業服務為榮, 以企業為家, 有著崇高的自豪感。一個人一旦選擇了某一企業, 其命運就同該企業聯系在一起, 企業的成敗與自身的利益密切相關, 企業成為員工的衣食父母, 員工的經濟地位完全取決于企業的經營狀況,甚至員工的社會地位也取決于供職企業的地位。所以, 企業內家族式的人際關系, 使個人對企業有極大的同心力, 每一員工都主動為企業的存續和發展而奮斗。在今天的日本, 一個人全部生活的幸福,實際上仍取決于他是否受雇于一個大企業。員工以“家”的態度來對待企業, 不僅是為了企業發展,同時也是為了自身利益。從企業角度看, 員工對企業的忠誠感、經驗與資歷對企業的潛在貢獻遠比其他物質資源、資金、技術重要。企業也把員工視為家庭成員, 努力為員工提供物質保障和精神動力, 員工不僅是企業的一種生產要素, 也是企業的主人。
(2)集體主義和團隊精神。
日本企業雖然等級森嚴, 但在管理、決策上仍以集體主義傾向見長。日本企業的集體主義觀念外化為團隊精神, 員工的團隊精神是以個人加入特定企業為前提的, 個人進入某一企業, 成為企業的一員,個人利益與企業命運即成一體并維系終身。日本企業十分重視并充分發揮非正式組織在企業管理上的效能。因此, 企業的團隊精神不僅表現外在形式上, 而且也體現在心理感知上。日本企業非常重視集體努力與協作, 推崇團體智慧, 發揮整體優勢, 講究和諧統一, 培育共存共榮的團體意識, 企業認為員工的積極性是企業的重要資源, 企業要為員工營造一個愉快、溫馨的環境, 員工也需要一個和諧、互動、認同的集體。個體被融合在團體中, 團體意識被強化, 個體要想在企業中獲得成功, 必須與周圍同化, 求同的企業文化客觀上有利員工的責任感、事業心和團隊精神的發揮。日本企業的決策方式是一種自上而平和, 自下而互相結合的集體決策形式, 既能群策群力, 集思廣益, 保證決策的科學性與合理性, 又能調動員工的參與意識, 使計劃得到順利落實。
(3)人本主義精神
日本文化吸收了儒學“人和” 思想, 還把它引入到企業文化中來, 并得以淋漓盡致的發揮, 進而升華為人本主義。日本企業管理者認為, “人和”不僅是人生哲學和倫理觀念, 也是企業的管理哲學。在企業管理中, 各項規章制度只是管理的外化形式,而企業員工共同的價值理念、群體意識和精神面貌這些是內在本質的東西。日本企業文化是在“和合”理念基礎上, 經過潛移默化逐漸形成了以人為本的管理思想。日本企業文化強調“以人為核心”來培養人和使用人, 在企業生產經營諸要素中, “人”是最重要的資源, 沒有高素質人的管理, 機器、設備、各種原材料就不能發揮最大效率。“人和” 是一種精神境界, 企業不僅是一個以追求利潤最大化為目標的經濟體, 而且應當成為滿足企業全體成員人文需求的精神家園。在企業管理者、所有者與員工之間, 員工與員工之間, 除了在本職工作上的通力配合外, 還需要不斷
增加相互之間的親密感與信任感, 努力創造一個友善、愉快、和諧的氛圍, 使員工擁有極大的滿足感、歸屬感, 能在工作中體味出工作樂趣。企業不僅要為員工創造舒適的工作環境, 為員工及家庭提供物質生活保障, 還要尊重員工的精神需求, 特別是為員工設計自我發展、自我實現的人生舞臺, 充分調動員工的積極性和創造性, 使員工與企業成為一個集物質利益與精神需求合二為一的命運共同體, 使員工自覺、主動地為企業工作, 為企業發展著想, 從而起到事半功倍的效果。所以, 索尼公司總裁盛田昭夫說: “日本企業的成功并無任何秘訣和不可與外人言傳的公式。不是理論, 不是計劃, 也不是政府政策, 而是人, 只有人才能使企業獲得成功。
縱觀日本的大量成功的企業的企業文化建設,松下公司的企業文化是日本優秀企業文化的代名詞。松下的企業文化內涵十分豐富,但其中最具特色、給人留下最深刻印象的,還是自來水哲學。早在松下電器產業公司建立之初,其創始人松下幸之助就以自來水的供給為例,闡述了他的創辦企業宗旨及經營信念。他認為,松下公司所生產的產品,首先要價格便宜,廣大消費者能買得起,其次要貨源充足,保證市場的大量需求,就好比日常生活中不可缺少的自來水一樣,既價格便宜又源源不斷。按照松下的企業哲學,那就是社會培育了企業,企業應該滿足社會的需要。而與此同時,企業也將得到社會的酬勞。松下的企業文化中另一重要層面就是以人為本的經營理念,這點正是日本企業文化的最大特點。每當新入公司的員工進行培訓時,經營者們都說這樣一句話:松下公司是制造人才的地方,也同時制造產品,但在制造產品之前先培育人才。可以看出,優秀的企業文化是企業成功的決定因素。松下公司正是因為擁有了這種優秀、獨特的企業文化,才使企業經營獲得了成功。
4.中日企業文化比較分析
(1)中日企業文化的共性。
中日兩國同在亞洲,并且彼此毗鄰,盡管中日兩國企業文化的淵源存在著諸多的差異,但是,在社會結構、倫理道德價值觀等方面仍具有一致性,這使得中日兩國企業有著許多共性文化特征。如日本企業所倡導的“工業報國”、“團結一致”、“家庭式的美德”、“人和”與“忠誠心”,以及團隊精神、家庭式經營等等,與中國企業所奉行和提倡的“富強國家”、“實業救國”、“科學救國”、“愛廠如家”、“識大體、顧全局”、“以誠相待、以信為本”等等,都或多或少地反映出儒家道德道德的影子。從這點上來看兩國企業文化是共通的。
具體來說,中日企業文化的共性特征表現為:
1.家族化的特性。中日社會結構都有家族化的共性,這在一定程度上形成了中日企業的經營也都具有家族色彩。日本企業的家族式或泛家族式經營、年功序列制、終身雇傭制,中國傳統計劃經濟下國營企業的“鐵飯碗”等等,都帶有家族特征。由于家族是一個穩定的整體,不需要流動,是與生俱來的。這就促使企業員工終身全力在企業內部經營,缺乏流動性。員工把企業視為了包含濃厚道德意識的“第二個家庭”企業的經營者被擬化為社會家庭的家長。
2.穩定性。
社會結構的家族化保障了中日企業的穩定,但傳統倫理價值觀的束縛卻使這種穩定走向了極至。中日傳統倫理價值觀均受中國傳統儒家思想影響較深,諸如仁、義、禮、智、忠、孝、和等行為準則已深入人心。特別是在日本社會中,“忠”被放到倫理道德準則的金字塔尖,是涵蓋一切倫理標準的最高美德。員工進入公司,有一種對公司感恩報得,從一而終的感情。另外,這種忠誠還表現為對企業文化存續的認同,使得企業文化持久延續、難以變異。中國企業也有同樣的特點,“鐵飯碗”的觀念長期使職工思想穩定,樂知天命,企業領導“不求無功但求無過”的消極心態,又在一定程度上促使企業文化遵循其應有的模式一成不變。中古傳統文化中的“中庸”、“平衡”也在引導企業追求平穩、中性的發展,既不激進也不萎縮,這在一
定程度上強化了企業文化的穩定性特征。
3.情感性、微妙性和親密性。
由于中日企業文化都有視企業為大家族的特點,所以其中必然存在家族內部“和為貴”、“仁愛”、“禮讓”等特征。具體來說,中國企業文化以儒家倫理為核心,以情感為基礎,注重感情投資,倡導諸如“關心職工生活”、“互尊互信互助互諒”等等。日本企業常向員工昭示“禮貌謙讓”、“感恩戴德”、“待人親切”等信條,企業主、廠長、經理等扮演著嚴父慈母的角色,并通過自身示范和講解,向員工傳播企業經營哲學和人生價值觀。
當然,作為兩個相互毗鄰的國家,其企業文化的共性特征遠不止以上所列舉的幾種,只不過它們是兩國企業文化中最具特點、最為明顯的共性特征。這種共性特征是中日兩國企業交流的基礎,日本有豐田、松下這樣的大公司,中國也有聯想、華為、海爾這樣成功的企業,有這樣的企業文化共性基礎,中國企業到日本發展或者說日本企業到中國發展就更有成功實現的可能性。你比如說華為到日本發展,派出中國的員工,招聘日本員工,建廠生產產品,兩國員工或管理者需要交流、溝通,由于有一些共性文化的基礎,溝通起來就方便自然很多,減少很多管理成本,我們很容易理解日本企業的家族化特性,因為我們中國企業也有這種特點,這樣,日本企業的終身雇傭制、家族式經營我們中國公司就可以繼承,完全沒必要引入新的機制,同時在與其他企業的交流中,我們也能根據其文化特點推斷它們的一些經營戰略,這樣對于中國企業參與與日本企業的競爭或合作都有利。所謂知彼知己百戰不殆,正是這個道理。
對于中日兩國更多的中小型企業來說,出口進口是中日兩國企業最重要的交流方式,這貌似與企業文化沒什么關系,其實不然,產品設計、產品促銷往往也體現著一個企業的文化,以產品促銷來說,從本質上講,產品的促銷溝通過程也就是幫助顧客認知產品、改善產品形象的過程,從而也是提升產品競爭力的過程。在溝通過程中,準確地對目標顧客的文化心理的把握,以及對其意識深層中的愿望的迎合,往往可以使產品在廣大溝通受眾的心目中形成奪目的暈輪,從而使本企業產品輕而易舉地搶占到顧客心靈位置的制高點。中國企業出口產品到日本,因為有企業文化的共性根基在,所以我們企業設計產品、在日本進行促銷就有優勢,產品賣得好,企業就能發展更好。當然,這種優勢在在日本對中國的出口也同樣體現。日本貿易振興機構16日公布的“2011年上半年(1~6月)日中貿易”數據顯示,貿易總額為1631億5101萬美元,比上年同期增長17.9%,創上半年貿易總額的歷史新高。這么大的中日貿易額也暗示這兩國企業文化中強勁的共性特征。
研究中日企業文化的共性,以這種共性為基礎,增進相互之間的了解,加強相互之間的交流,為兩國企業提供更大的發展空間,兩國企業要把握好這樣的契機,積極需求與對方的交流,追求企業的長遠發展,實現兩國企業的雙贏。
(2)中日企業文化的差異性。
盡管中日企業文化深受傳統文化中家族化、儒家倫理價值觀的影響,表現出一定的相似特征。但是由于企業文化淵源上的諸多不同,也導致兩國企業文化在一定程度上存在著差異。具體表現為:
1.個體與群體
中日社會結構都表現出家族化的特點,其企業文化理念中群體意識都很強。但是在企業內部,個體價值觀、個性自由的體現卻差異明顯。日本人很早就注意到個人主義在某些方面的重要的作用。但他們也清醒地意識到,極端的個人主義將會導致社會和組織協調的困難。只有將個人主義融入群體和諧之中,個人在群體中的價值才能得以充分的發揮。于是,他們將個
人主義與東方文化巧妙融合在一起,形成了既重視個人表現,又講究群體和諧的獨具特色的日本式“個人主義”。在對待群體與個體的關系問題上,中國文化強調整體和諧統一,但卻忽視個性價值表現。特別是在傳統的中央集權計劃經濟的氛圍中,中國企業“集體主義”中的統一、整體的一面被無限夸大,群體與個體被對立起來,對外缺乏競爭與協作精神,最終形成中國企業內部活性的不足。
2.物質與精神。
中日均深受儒家思想的影響,但兩國對儒家思想的認識卻并不相同。中國把“仁”作為核心,常有“重義輕利”之舉,即過分的追求名分道德,正當的物質利益要求被視為“利欲熏心”。這種輕視物質利益的傳統觀念導致了我國企業管理的激勵結構失衡,管理者一味重視“精神激勵”,而輕視“物質激勵”對發揮員工能動性的作用。當西方現代物質利益觀念流入中國時,“傳統文化中提倡倫理中心的原則又與之發生了沖突,又出現了片面追求物質刺激的傾向,從一個極端走向另一個極端”。這反映出中國企業文化中對“義”和“利”理解的不足。日本人習慣于把外來文化加以“日本式”的改造。在對待中國傳統儒家文化方面,他們既看到了儒家文化中“重義輕利”思想對企業發展和員工激勵的局限性,也認識到在一定條件下中國儒家文化中節欲、勤奮的觀念,對企業發展壯大和員工激勵的積極作用。他們巧妙的利用中國傳統文化的這種雙重性,把獲取物質利益視為人的正常需求,用物質利益激勵員工去努力工作,同時教育員工應勤儉節約,不必奢侈浪費。這樣,“他們既接受了中國儒教崇尚簡樸、勤勞的美德,又巧妙地避開了中國文化中抑制物質欲望的觀念”。二戰后,日本工人的生活水平遠遠低于歐美國家的工人,但個人儲蓄率卻遠遠高于其他發達國家。正是日本的高儲蓄率,幫助了日本戰后經濟的迅速發展。
對于中日企業文化差異的比較中,我們可以看出中國企業文化中的局限性,中國的市場經濟發展并不成熟,日本經歷二戰后迅速崛起,已形成了成熟市場經濟體制,其企業文化也相對中國更為成熟,這使我們應該認識到的。認識到這種差異是中日兩國企業文化相互學習的基礎,特別是對中國而言,這種差異為我們的企業向日本企業學習提供了契機,我們要學習日本企業如何將個人主義與集體主義相結合來發揮企業文化巨大的引導作用,將物質激勵與精神激勵相結合來發揮巨大的激勵作用,學習如何將西方先進的企業管理理論與國內傳統文化相結合。。。這都是我們企業想進一步發展必須去做的,去學習改進的。
5.結語
企業文化的機能就在于給予企業共同的思維和行為模式據此能夠統一企業內部,形成巨大的“合力”,發揮出“整體效應”,企業文化的建設是現代企業走上長遠發展道路的基石,企業文化不是一朝一夕能形成的,它需要企業的長久積累,通過學習先進的企業文化企業可以為自己企業注入新的文化基因,不斷升級改造原有文化中不足的方面,以此支撐為企業的長久發展。通過中日企業文化的詳細比較,一方面,我們能看到兩國企業文化中共性的特征,這些共性使我們兩國企業交流的基礎,也是交流的機會,它能促進兩國經濟上的發展,為雙方企業提供契機,我們中國企業要把握好這樣的機會;另一方面,我們也能發現兩國企業文化中的差異要素,差異的存在有其必然性也有其要性,因為它可以增進雙方的優勢互補,只要運用得當,對方優秀的企業文化完全可以用來完善自己企業文化建設中的不足。整體上看,日本的企業文化建設更有其先進之處,日本企業在發展過程中,積極吸收西方先進的管理經驗,并結合自身條件,形成日本獨特的企業文化,是這種企業文化支撐著日本企業的長足發展。所以才有了世界著名的豐田、索尼、松下……..中國企業最缺少的還是學習力,企業文化建設尤為如此,我們很多企業發展到一定程度后就固步自封了,沒有學習的動力了,企業文化沒有新的基因注入,老的模式不能適應市場的變化,這樣的企業必然缺乏進一步發展的動力。中國的企業要認識到這一點,這也能從日本文化建設中學習來,要將這種學習力融入到企業文化中,這是根本,這種學習能力注入企業文化中,必然引導企業積極尋求與外界交流,這樣才能學到先進的管理經驗,將其引入企業文化建設中,讓企業文化保持一種“動態平衡”,動態是相對于外界環境變化,平衡是相對于企業已建立的文化。只有如此,我們的企業文化建設才能適應新經濟條件下市場經濟的不斷發展,只有如此,企業文化才能成為促進企業不斷發展的重要力量。
參考文獻:
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