第一篇:日語介紹中國春節(jié)
春節(jié) 春節(jié)
みなさんご存知かとは思いますが中國は舊暦でお祝いする習慣があり、毎年元旦(新暦の1月1日)が過ぎてからしばらくすると、また舊暦のお正月がやってきます。この日から1週間、連休が始まります。
春節(jié)「しゅんせつ」になると學(xué)校や會社はもちろん、レストラン、商店、市場も軒並みお休みです。人々は皆、地方の実家に帰ります。
大晦日の夜は、一家だんらんの大切な時で、一家の人たちがすべて集まって年越しのごちそう「年夜飯」に舌つづみを打つ。一晩中一睡もせず新年を迎える人も多く、これを「守歳」と呼びます。また、堤燈をつるし、五色の布を飾り、街中のあちこちで爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、舊正月を祝います。東南アジア、香港では小さなミカンがたくさんなった木に赤いお年玉袋をつり下げた『大吉大利』が街中で見かけられます。
春節(jié)には親戚や友人知人、商売上の付き合いのある人々の家を訪問し、賀辭を述べ、名刺がわりの挨拶狀(年賀狀の原形)にめでたい言葉が書かれた「拝牌」を渡します。もっとも最近では、インターネットでグリーティングカードを送るということも珍しいことではなくなってきました。子供たちが一番楽しみにしているのが、「紅包、圧歳銭」と呼ばれるお年玉です。
春節(jié)の由來
春節(jié)の由來には色々ありますが、一番有名なのが、大昔「年」という獰猛な獣がいて、毎年舊暦12月30日の夜に姿を現(xiàn)し、人を食べていたといいます。この獣を退治するため、人々は食物を供え、身を潛めて隠れていました。獣がそれを食べに來ると皆、赤い服を著て、松明をともし、爆竹をならして獣を袋叩きにしました。獣は驚いて逃げ出し、人々は大喜びしたといいます。
その後、毎年この時期になるとお互いに祝福し合い、「萬事如意=全てうまくいきますように」、「恭喜発財=お金持ちになれますように」と書いた紅色の「春聯(lián)=新年に門や入口の戸に貼る、おめでたい対句」を玄関に貼り出し爆竹を打ち鳴らすようになりました。
最近、中國都市部では爆竹や花火による火事が頻繁に発生するなどの理由で、規(guī)制されるようになりました。
春節(jié)カレンダー
舊暦12月23日:「祭竈節(jié)」「送竈」
この日、一家の諸事をつぶさに見てきた竈(かまど)の神である「竈神(そうしん、竈君とも言う)」が、「玉皇上帝」に報告のために天に上る旅にでます?!赣窕噬系邸工系澜踏葋柦踏位煜à长螭长Γ─筏郡猡韦?、元始天尊のような神格の高い神ではなく、ふつうの人間が直接関わりあうことのできる最高の神であると考えられています?!父^神」の報告を受けて審査し、人間の言行の善悪を判斷します。善行が多ければ幸福を授け、悪行が多ければ厄災(zāi)を科します。ですから、人々は竈神のご機嫌をとったり、“甘い報告”をしてもらうために飴をお備えする習慣もあるようです。
舊暦12月24日:「掃房日」
掃房日のいわれは、昔、人には「三屍神」というとても意地の悪い、人の悪口が大好きな神が著いており、この三屍神は天に上っては大神様に人間世界での天の悪口噓八百を並べて報告していた為、本當のことを知らない怒った天は人間世界の蜘蛛の巣が張っている家はすべて潰すよう命令しました。これを見た三屍神は楽しくてたまらず、自分で家々に蜘蛛の巣を掛けてまわりました。しかしある日竈神がこれを発見し、竈王爺と相談し、人々に蜘蛛の巣を張らないよう、毎年12月24日に掃除をするよういいつけました。それからぴたりと潰される家もなくなったということです。竈祭りが終わるといよいよ年越しの準備が始まります。
舊暦12月31日:「除夕」「年三十」=大晦日 除夕(じょせき)、竈の神様が帰って來る日です。お備えの餃子を一家で包みます。このときの餃子は「元寶」という昔の金の形(船にお饅頭が乗っているような形)に包み、山盛り盛られた餃子はお金持ちになる意味をもち、更に餃子に綺麗に洗ったコインを包みんでおき、一番先に食べ當てた人はその年金持ちになると言われています。餃子には新と舊が入れ替わる「更歳交子」という意味もあります。餃子を食べる習慣は、12月、寒く耳も凍る様子を見た醫(yī)者が、貧乏な人にも寒さを凌げる食事として考えられたとも言われています。その為昔の餃子の具は羊肉や唐辛子等體溫を高める作用のある材料が使われていました。
春聯(lián)を家々の玄関の左右に分けて貼ります。また玄関のドアは、翌日の正月一日の朝まで開けてはいけないと言われています。
夕飯を食べ終ると、年長者が子供たちに「紅包·圧歳銭(お年玉)」をあげます。紅包は親から子へ、既婚者から未婚者に贈られるものでした。今では舊正月前のボーナスを「紅包」と呼んでいます。紅色は力、愉快、楽しい運を象徴する中國人の大好きな色です。「圧」は邪悪な神を押しつぶし、「歳」は「崇」と同じ発音のため、圧歳銭をもらった子供は平安に一年を過ごすと言われました。
大晦日の夜は、一睡もせず夜を明かす習慣があります。深夜零時になると家の中にいた悪鬼や妖魔、悪霊を一気に退散させて、歳神様を呼びこもうという意味を込め、爆竹が朝まで鳴り響きます。これは殘酷で獰猛な人を食う「年」という動物を撃退するためで、明かりをつけたまま一家全員起きています。
舊暦1月1日 初一
年始回り「拝年」を始める。元日、1月1日は奇數(shù)の重なる日なので女性は外出しないほうがいいとされます。男性は親戚や友人知人、商売上の付き合いのある人々の家を訪問し、賀辭を述べます。名刺がわりの挨拶狀(年賀狀の原形)にめでたい言葉が書かれた「拝牌」を渡し、子供たちに「紅包」を渡します。
~挨拶の言葉いろいろ~ 「恭喜發(fā)財」 財産がたまるように恭しく喜びましょう 「萬事如意」、「五福臨門」、「新春大吉」、「五穀豊穣」、「財源廣進」、「財運亨通」、「金玉満堂」、「千金百順」 財を成し豊かになることから家族の幸せと、願い事がかなうように 「新年好」 良いお年を 「新年快楽」 楽しい一年を
「新年萬事如意」 自分が思った通りの一年を
「新年心想事成」 自分は思う事が実現(xiàn)出來るように
舊正月の二日目
親戚や親友、隣人への引き続き年始回り「拝年」を行います。2日から女性も晴れ著を著て年始の挨拶にでかけます。
男性たちは酒を飲み、麻雀などの博打に1年の運を託します。正月には「破」、「苦」、「空」、「割」、「砕」、「終」、「絶」、「亡」、「失」などが縁起の悪い言葉は口にしてはいけません。
結(jié)婚して家を出た娘たちが両親の家へ戻ってくる日でもあります。新婚の場合は、その夫も贈物をもって一緒に顔を見せます。
舊正月4日目 初詣。
午後には、竈の神が従者とともに玉帝のところから帰って來るのを迎えるために、お供え物の準備をします。竈の神が帰ると、神の監(jiān)視から解放されていた期間も終わりです。
舊正月5日目 初五·破五 福の神の誕生日
酒肴を並べて、福の神を迎えます。お供え物は祭壇から下げられ、いつもの生活に戻る日です。
昔の習慣では、農(nóng)暦の12月23日から、正月の15日までは「大年(新年を迎える期間)」とされていますが、本當の「新年」は、大晦日の日から新春の初五(農(nóng)暦正月五日)までで、この五日間は、「火」を點けず、「鋏み」に觸れず、「包丁」にも觸らない生活をします。伝説によると、火をつけて料理を作ると「火事の災(zāi)」にあい、鋏みを使うと「口喧嘩の災(zāi)?にあい、針で裁縫をすると「目の災(zāi)」にあい、包丁を使うと「出血の災(zāi)」にあい、又、ゴミを捨てずに「寶を貯める」とされていますが、一年間苦労してきた家庭の主婦を休ませるという意味もあります。
「破五」の意味は、この日を過ぎればすべての禁固が解禁されて、本當に新しい春を迎え、新しい年が始まるとの意味です。この日を迎える為、北方の多くの家庭では餃子を作り、又わざわざ何個かを破って「破五」を迎えるのです?!赋跷濉工稳栅闲麓氦问激蓼辘坤堡扦胜?、「財神(財産を配る神)」の誕生日とも言われています。
舊正月1月15日:「元宵節(jié)」
正月最後の行事が15日の「元宵節(jié)(げんしょうせつ)」です。
第二篇:日語介紹中國傳統(tǒng)文化
日語介紹中國傳統(tǒng)文化
伝統(tǒng)的行事 傳統(tǒng)節(jié)日(注:以下的時間為中國陰歷)
春節(jié) 舊正月:春節(jié)(しゅんせつ)
舊暦による正月のことで、中國では一番賑(にぎ)やかに行われる祝祭日、普段離れて暮らしていた家族や親類も集まって、「春聯(lián)(しゅんれん)」を飾り、部屋の壁には新しい年畫(ねんが)を掲げ(かかげ)、窓や壁には切り紙を張って美しく飾ります。都會では三日間の休日ですが、農(nóng)家の人は一周間から二周間は休みます。田舎ではもっと長かったです。舊暦12月23日のかまどの神を送る祭りから、新年15日の元宵節(jié)(げんしょうせつ)まで続いたそうです。北方は餃子、南はワンタンとか「年糕」(日本の餅に似ているもの)を食べる習慣があります。
小知識:國內(nèi)北方人吃餃子,日語寫作“餃子(ぎょうざ)”;南方人吃年糕,日語寫作“餅(もち)”。
元宵節(jié) 1月15日:元宵節(jié)(げんしょうせつ)
「燈篭祭(とうろうさい)」とも呼ばれ、その日はアン入りの白玉団子(しろたまだんご)を食べたり、燈篭游びをしたりします?!冈工仙疤恰ⅴ触蕖ⅴ毳?、ナツメなどを混ぜ合わせたアンを丸め、餅の粉(こな)の上で雪だるまのように転がして作ります。ピンポン玉ぐらいの大きさで、ゆでるか油で揚げて食べます。燈篭游びは都會と農(nóng)村で違います。都會では燈篭に「謎語(なぞなぞ)」を書いて人に當てさせ、農(nóng)村では自分たちの作った龍の燈篭を持って踴ったり或いは「燈篭踴り」などをしたりして楽しんでいます。:元宵節(jié)必吃的湯圓日語寫作“白玉団子(しろたまだんご)”。
龍?zhí)ь^ 2月2日:春龍節(jié)(しゅんりゅうせつ)
「龍?zhí)ь^(りゅうたいとう)」とも言い、龍が冬眠(とうみん)から覚(さ)め動き出す日とされ、炒めた野菜を包んで食べます。もう長い冬も過ぎたことだし、お祭り騒ぎをやめて、野良(のら)仕事にかかろうという意味合いがこめられているそうです。小知識:民諺說“二月二剃龍頭,一年都有精神頭”。每逢二月二這一天,家家理發(fā)店都是顧客盈門,生意興隆。
清明節(jié) 4月5日:清明節(jié)(せいめいつ)
冬至(とうじ)から數(shù)えて105日目から三日間、地方によっては「寒食節(jié)(かんしょくせつ)」とも言います。そのころのなると、野山も緑に包まれて、明るさを増すので、家の入り口に青柳(あおやなぎ)を挿し、人々は先祖のお墓參りをします。その日になると、冷や飯(ひやめし)を食べる習慣があります。「清明節(jié)」のことを俗に「踏青日(とうせいじつ)」とも呼ばれ、郊外へ游びに行きます。
小知識:日本的清明節(jié)寫作“お墓參り(おはかまいり)”,掃墓就是“お墓參りをする ”。
端午節(jié) 5月5日:端午節(jié)(たんごせつ)
昔厄除け(やくよけ)のための日でした。「端午節(jié)」を迎えると、家の入り口にヨモギを挿し、菖蒲(しょうぶ)をかけ、粽(ちまき)を食べ、川や湖の畔(ほとり)で「竜船競爭(りゅうせんきょうそう)」(ボートレース)を行います。5月5日は戦國(せんごく)時代の愛國詩人屈原(くつげん)が湖南省汨羅江の流れに身を投じた日なので、彼の死を悲しむ人々が船を出して川を探したのに由來(ゆらい)すると伝えられています。粽には川底(かわそこ)の屈原がお腹をすかさないようにとの意味合いが込められています。
小知識:日本的端午節(jié)其實是兒童節(jié),我之前詳細的介紹過日本的兒童節(jié),有興趣了解的同學(xué)可以看這篇文章:日本人如何過兒童節(jié)?
七夕 7月7日:七夕(たなばた)
「牽牛(けんぎゅう)」と「織姫(おりひめ)」が天の川(あまのがわ)を渡って年に一度出會うのは日本と同じ伝説ですが、清代はこの日を「乞巧節(jié)(きつこうせつ)」とも言い、若い女性の糸繰り(いとくり)や裁縫(さいほう)の腕が上がるよう織姫星(ぼし)に祈る習慣もあります。水を入れた茶碗に針を入れ、針の沈み方で手蕓(しゅげい)の上達を占(うらな)います。また「牽牛」と「織姫」が再會すれば必ず泣くので、この日は雨が降るとされ、晩に葡萄棚(だな)やいんげん豆の棚の下に隠れると、二人の話が聞こえるそうです。
小知識:看了上面的文章,大家應(yīng)該知道牛郎“牽牛(けんぎゅう)”、織女“織姫(おりひめ)”用日文怎么說了吧。
中秋節(jié) 8月15日:仲秋節(jié)(ちゅうしゅうせつ)
仲秋の名月(めいげつ)、8月15日の夜は庭に果物や月餅(げっぺい)を盛ったテーブルを據(jù)(す)え、これを食べながら月見(つきみ)をして、一家円満(いっかえんまん)と長壽(ちょうじゅ)、そして作物の農(nóng)作を祈ります。2000年前の周代に「天子(てんし)」が月を祭ったのが始まりで、唐代から民間に広がり、宋代に「月餅」が流行したそうです。中國の「月餅」は約150種あり、伝説は日本と違って「嫦娥(じょうが)」が月の宮殿で舞い、「呉剛(ごごう)」が桂(かつら)の木に斧(おの)を振るっていて、玉兎(ぎょくと)が薬を作っているところです。仲秋節(jié)のお酒は「桂花酒(けいかしゅ)」(もくせいのさけ)です。
小知識:特別注意,月餅的日文發(fā)音為“げっぺい”。
重陽節(jié) 9月9日:重陽節(jié)(ちょうようせつ)
唐代は仲秋節(jié)以上に盛んでした?!傅歉撸à趣Δ长Γ工趣い盲?、厄除けのため、高いところに登って災(zāi)難を逃れたのが起こりで、後には高いところで、菊の花を入れた「菊花酒」を飲み、菊やなつめを入れた「菊糕」という蒸し菓子を食べながら、詩をつくり、秋の菊を監(jiān)賞するようになりました。菊が盛りの季節(jié)で、昔は菊の宴が行われました。今ではあっちこっちの公園で菊の展示會があります。今では、「老人節(jié)」となっています。臘八 12月8日:臘八(せきはち)
この日は一年で最も寒いとされ、米、粟(あわ)、餅(もち)、高梁、落花生、なつめ、サンザシ、小豆、クルミ、向日葵(ひまわり)の種、蓮の実など8種類以上のもので作ったお粥 ── 「臘八粥」を食べたり、祖先に供えたり、隣の人や親戚に送ったりします。
祭灶節(jié) 12月23日:祭竈節(jié)(さいそうせつ)竈(かまど)の神「竈王爺(そうおうや)」を送る祭日で、北京では「関東糖」とか「高粱飴(こうりゃんあめ)」などを食べます。「竈王爺」は日本の荒神(こうじん)に當たる神で、一家の善きこと、悪しきことを司(つかさど)りますが、この日に天に登り、除夜(じょや)の夜に戻ると言われています。民間では「小年(しょうねん)とも言われます。
第三篇:日語中如何介紹春節(jié)
[鍵入文字]
日語中如何介紹春節(jié)
春節(jié) 春節(jié)
みなさんご存知かとは思いますが中國は舊暦でお祝いする習慣があり、毎年元旦(新暦の1月1日)が過ぎてからしばらくすると、また舊暦のお正月がやってきます。この日から1週間、連休が始まります。
春節(jié)「しゅんせつ」になると學(xué)校や會社はもちろん、レストラン、商店、市場も軒並みお休みです。人々は皆、地方の実家に帰ります。
大晦日の夜は、一家だんらんの大切な時で、一家の人たちがすべて集まって年越しのごちそう「年夜飯」に舌つづみを打つ。一晩中一睡もせず新年を迎える人も多く、これを「守歳」と呼びます。また、堤燈をつるし、五色の布を飾り、街中のあちこちで爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、舊正月を祝います。東南アジア、香港では小さなミカンがたくさんなった木に赤いお年玉袋をつり下げた『大吉大利』が街中で見かけられます。
春節(jié)には親戚や友人知人、商売上の付き合いのある人々の家を訪問し、賀辭を述べ、名刺がわりの挨拶狀(年賀狀の原形)にめでたい言葉が書かれた「拝牌」を渡します。もっとも最近では、インターネットでグリーティングカードを送るということも珍しいことではなくなってきました。子供たちが一番楽しみにしているのが、「紅包、圧歳銭」と呼ばれるお年玉です。
春節(jié)の由來
春節(jié)の由來には色々ありますが、一番有名なのが、大昔「年」という獰猛な獣がいて、毎年舊暦12月30日の夜に姿を現(xiàn)し、人を食べていたといいます。この獣を退治するため、人々は食物を供え、身を潛めて隠れていました。獣がそれを食べに來ると皆、赤い服を著て、松明をともし、爆竹をならして獣を袋叩きにしました。獣は驚いて逃げ出し、人々は大喜びしたといいます。
[鍵入文字]
日語中如何介紹春節(jié)
その後、毎年この時期になるとお互いに祝福し合い、「萬事如意=全てうまくいきますように」、「恭喜発財=お金持ちになれますように」と書いた紅色の「春聯(lián)=新年に門や入口の戸に貼る、おめでたい対句」を玄関に貼り出し爆竹を打ち鳴らすようになりました。
最近、中國都市部では爆竹や花火による火事が頻繁に発生するなどの理由で、規(guī)制されるようになりました。
春節(jié)カレンダー
舊暦12月23日:「祭竈節(jié)」「送竈」
この日、一家の諸事をつぶさに見てきた竈(かまど)の神である「竈神(そうしん、竈君とも言う)」が、「玉皇上帝」に報告のために天に上る旅にでます。「玉皇上帝」は道教と仏教の混淆(こんこう)したもので、元始天尊のような神格の高い神ではなく、ふつうの人間が直接関わりあうことのできる最高の神であると考えられています?!父^神」の報告を受けて審査し、人間の言行の善悪を判斷します。善行が多ければ幸福を授け、悪行が多ければ厄災(zāi)を科します。ですから、人々は竈神のご機嫌をとったり、“甘い報告”をしてもらうために飴をお備えする習慣もあるようです。
舊暦12月24日:「掃房日」
掃房日のいわれは、昔、人には「三屍神」というとても意地の悪い、人の悪口が大好きな神が著いており、この三屍神は天に上っては大神様に人間世界での天の悪口噓八百を並べて報告していた為、本當のことを知らない怒った天は人間世界の蜘蛛の巣が張っている家はすべて潰すよう命令しました。これを見た三屍神は楽しくてたまらず、自分で家々に蜘蛛の巣を掛けてまわりました。しかしある日竈神がこれを発見し、竈王爺と相談し、人々に蜘蛛の巣を張らないよう、毎年12月24日に掃除をするよういいつけました。それからぴたりと潰される家もなくなったということです。竈祭りが終わるといよいよ年越しの準備が始まります。
[鍵入文字]
日語中如何介紹春節(jié)
舊暦12月31日:「除夕」「年三十」=大晦日
除夕(じょせき)、竈の神様が帰って來る日です。お備えの餃子を一家で包みます。このときの餃子は「元寶」という昔の金の形(船にお饅頭が乗っているような形)に包み、山盛り盛られた餃子はお金持ちになる意味をもち、更に餃子に綺麗に洗ったコインを包みんでおき、一番先に食べ當てた人はその年金持ちになると言われています。餃子には新と舊が入れ替わる「更歳交子」という意味もあります。餃子を食べる習慣は、12月、寒く耳も凍る様子を見た醫(yī)者が、貧乏な人にも寒さを凌げる食事として考えられたとも言われています。その為昔の餃子の具は羊肉や唐辛子等體溫を高める作用のある材料が使われていました。
春聯(lián)を家々の玄関の左右に分けて貼ります。また玄関のドアは、翌日の正月一日の朝まで開けてはいけないと言われています。
夕飯を食べ終ると、年長者が子供たちに「紅包·圧歳銭(お年玉)」をあげます。紅包は親から子へ、既婚者から未婚者に贈られるものでした。今では舊正月前のボーナスを「紅包」と呼んでいます。紅色は力、愉快、楽しい運を象徴する中國人の大好きな色です?!笀R」は邪悪な神を押しつぶし、「歳」は「崇」と同じ発音のため、圧歳銭をもらった子供は平安に一年を過ごすと言われました。
大晦日の夜は、一睡もせず夜を明かす習慣があります。深夜零時になると家の中にいた悪鬼や妖魔、悪霊を一気に退散させて、歳神様を呼びこもうという意味を込め、爆竹が朝まで鳴り響きます。これは殘酷で獰猛な人を食う「年」という動物を撃退するためで、明かりをつけたまま一家全員起きています。
舊暦1月1日 初一
年始回り「拝年」を始める。元日、1月1日は奇數(shù)の重なる日なので女性は外出しないほ
[鍵入文字]
日語中如何介紹春節(jié)
うがいいとされます。男性は親戚や友人知人、商売上の付き合いのある人々の家を訪問し、賀辭を述べます。名刺がわりの挨拶狀(年賀狀の原形)にめでたい言葉が書かれた「拝牌」を渡し、子供たちに「紅包」を渡します?!ま伽窝匀~いろいろ~
「恭喜發(fā)財」 財産がたまるように恭しく喜びましょう
「萬事如意」、「五福臨門」、「新春大吉」、「五穀豊穣」、「財源廣進」、「財運亨通」、「金玉満堂」、「千金百順」 財を成し豊かになることから家族の幸せと、願い事がかなうように
「新年好」 良いお年を 「新年快楽」 楽しい一年を
「新年萬事如意」 自分が思った通りの一年を 「新年心想事成」 自分は思う事が実現(xiàn)出來るように
舊正月の二日目
親戚や親友、隣人への引き続き年始回り「拝年」を行います。2日から女性も晴れ著を著て年始の挨拶にでかけます。男性たちは酒を飲み、麻雀などの博打に1年の運を託します。
正月には「破」、「苦」、「空」、「割」、「砕」、「終」、「絶」、「亡」、「失」などが縁起の悪い言葉は口にしてはいけません。
結(jié)婚して家を出た娘たちが両親の家へ戻ってくる日でもあります。新婚の場合は、その夫も贈物をもって一緒に顔を見せます。
舊正月4日目 初詣。
午後には、竈の神が従者とともに玉帝のところから帰って來るのを迎えるために、お供え物の準備をします。竈の神が帰ると、神の監(jiān)視から解放されていた期間も終わりです。
[鍵入文字]
日語中如何介紹春節(jié)
舊正月5日目 初五·破五 福の神の誕生日
酒肴を並べて、福の神を迎えます。お供え物は祭壇から下げられ、いつもの生活に戻る日です。
昔の習慣では、農(nóng)暦の12月23日から、正月の15日までは「大年(新年を迎える期間)」とされていますが、本當の「新年」は、大晦日の日から新春の初五(農(nóng)暦正月五日)までで、この五日間は、「火」を點けず、「鋏み」に觸れず、「包丁」にも觸らない生活をします。伝説によると、火をつけて料理を作ると「火事の災(zāi)」にあい、鋏みを使うと「口喧嘩の災(zāi)?にあい、針で裁縫をすると「目の災(zāi)」にあい、包丁を使うと「出血の災(zāi)」にあい、又、ゴミを捨てずに「寶を貯める」とされていますが、一年間苦労してきた家庭の主婦を休ませるという意味もあります。
「破五」の意味は、この日を過ぎればすべての禁固が解禁されて、本當に新しい春を迎え、新しい年が始まるとの意味です。この日を迎える為、北方の多くの家庭では餃子を作り、又わざわざ何個かを破って「破五」を迎えるのです。「初五」の日は新春の始まりだけでなく、「財神(財産を配る神)」の誕生日とも言われています。
舊正月1月15日:「元宵節(jié)」
正月最後の行事が15日の「元宵節(jié)(げんしょうせつ)」です。
第四篇:用日語介紹中國節(jié)日
春節(jié) 舊正月:春節(jié)(しゅんせつ)
舊暦による正月のことで、中國では一番賑(にぎ)やかに行われる祝祭日、普段離れて暮らしていた家族や親類も集まって、「春聯(lián)(しゅんれん)」を飾り、部屋の壁には新しい年畫(ねんが)を掲げ(かかげ)、窓や壁には切り紙を張って美しく飾ります。都會では三日間の休日ですが、農(nóng)家の人は一周間から二周間は休みます。田舎ではもっと長かったです。舊暦12月23日のかまどの神を送る祭りから、新年15日の元宵節(jié)(げんしょうせつ)まで続いたそうです。北方は餃子、南はワンタンとか「年糕」(日本の餅に似ているもの)を食べる習慣があります。小知識:國內(nèi)北方人吃餃子,日語寫作“餃子(ぎょうざ)”;南方人吃年糕,日語寫作“餅(もち)”。
元宵節(jié) 1月15日:元宵節(jié)(げんしょうせつ)
「燈篭祭(とうろうさい)」とも呼ばれ、その日はアン入りの白玉団子(しろたまだんご)を食べたり、燈篭游びをしたりします?!冈工仙疤恰ⅴ触?、クルミ、ナツメなどを混ぜ合わせたアンを丸め、餅の粉(こな)の上で雪だるまのように転がして作ります。ピンポン玉ぐらいの大きさで、ゆでるか油で揚げて食べます。燈篭游びは都會と農(nóng)村で違います。都會では燈篭に「謎語(なぞなぞ)」を書いて人に當てさせ、農(nóng)村では自分たちの作った龍の燈篭を持って踴ったり或いは「燈篭踴り」などをしたりして楽しんでいます。:元宵節(jié)必吃的湯圓日語寫作“白玉団子(しろたまだんご)”。龍?zhí)ь^ 2月2日:春龍節(jié)(しゅんりゅうせつ)
「龍?zhí)ь^(りゅうたいとう)」とも言い、龍が冬眠(とうみん)から覚(さ)め動き出す日とされ、炒めた野菜を包んで食べます。もう長い冬も過ぎたことだし、お祭り騒ぎをやめて、野良(のら)仕事にかかろうという意味合いがこめられているそうです。
小知識:民諺說“二月二剃龍頭,一年都有精神頭”。每逢二月二這一天,家家理發(fā)店都是顧客盈門,生意興隆。
清明節(jié) 4月5日:清明節(jié)(せいめいつ)
冬至(とうじ)から數(shù)えて105日目から三日間、地方によっては「寒食節(jié)(かんしょくせつ)」とも言います。そのころのなると、野山も緑に包まれて、明るさを増すので、家の入り口に青柳(あおやなぎ)を挿し、人々は先祖のお墓參りをします。その日になると、冷や飯(ひやめし)を食べる習慣があります。「清明節(jié)」のことを俗に「踏青日(とうせいじつ)」とも呼ばれ、郊外へ游びに行きます。小知識:日本的清明節(jié)寫作“お墓參り(おはかまいり)”,掃墓就是“お墓參りをする ”。端午節(jié) 5月5日:端午節(jié)(たんごせつ)
昔厄除け(やくよけ)のための日でした?!付宋绻?jié)」を迎えると、家の入り口にヨモギを挿し、菖蒲(しょうぶ)をかけ、粽(ちまき)を食べ、川や湖の畔(ほとり)で「竜船競爭(りゅうせんきょうそう)」(ボートレース)を行います。5月5日は戦國(せんごく)時代の愛國詩人屈原(くつげん)が湖南省汨羅江の流れに身を投じた日なので、彼の死を悲しむ人々が船を出して川を探したのに由來(ゆらい)すると伝えられています。粽には川底(かわそこ)の屈原がお腹をすかさないようにとの意味合いが込められています。
小知識:日本的端午節(jié)其實是兒童節(jié),我之前詳細的介紹過日本的兒童節(jié),有興趣了解的同學(xué)可以看這篇文章:日本人如何過兒童節(jié)? 七夕 7月7日:七夕(たなばた)
「牽牛(けんぎゅう)」と「織姫(おりひめ)」が天の川(あまのがわ)を渡って年に一度出會うのは日本と同じ伝説ですが、清代はこの日を「乞巧節(jié)(きつこうせつ)」とも言い、若い女性の糸繰り(いとくり)や裁縫(さいほう)の腕が上がるよう織姫星(ぼし)に祈る習慣もあります。水を入れた茶碗に針を入れ、針の沈み方で手蕓(しゅげい)の上達を占(うらな)います。また「牽牛」と「織姫」が再會すれば必ず泣くので、この日は雨が降るとされ、晩に葡萄棚(だな)やいんげん豆の棚の下に隠れると、二人の話が聞こえるそうです。
小知識:看了上面的文章,大家應(yīng)該知道牛郎“牽牛(けんぎゅう)”、織女“織姫(おりひめ)”用日文怎么說了吧。
中秋節(jié) 8月15日:仲秋節(jié)(ちゅうしゅうせつ)
仲秋の名月(めいげつ)、8月15日の夜は庭に果物や月餅(げっぺい)を盛ったテーブルを據(jù)(す)え、これを食べながら月見(つきみ)をして、一家円満(いっかえんまん)と長壽(ちょうじゅ)、そして作物の農(nóng)作を祈ります。2000年前の周代に「天子(てんし)」が月を祭ったのが始まりで、唐代から民間に広がり、宋代に「月餅」が流行したそうです。中國の「月餅」は約150種あり、伝説は日本と違って「嫦娥(じょうが)」が月の宮殿で舞い、「呉剛(ごごう)」が桂(かつら)の木に斧(おの)を振るっていて、玉兎(ぎょくと)が薬を作っているところです。仲秋節(jié)のお酒は「桂花酒(けいかしゅ)」(もくせいのさけ)です。
小知識:特別注意,月餅的日文發(fā)音為“げっぺい”。重陽節(jié) 9月9日:重陽節(jié)(ちょうようせつ)
唐代は仲秋節(jié)以上に盛んでした?!傅歉撸à趣Δ长Γ工趣い盲啤⒍虺堡韦郡帷⒏撙い趣长恧说扦盲茷?zāi)難を逃れたのが起こりで、後には高いところで、菊の花を入れた「菊花酒」を飲み、菊やなつめを入れた「菊糕」という蒸し菓子を食べながら、詩をつくり、秋の菊を監(jiān)賞するようになりました。菊が盛りの季節(jié)で、昔は菊の宴が行われました。今ではあっちこっちの公園で菊の展示會があります。今では、「老人節(jié)」となっています。臘八 12月8日:臘八(せきはち)
この日は一年で最も寒いとされ、米、粟(あわ)、餅(もち)、高梁、落花生、なつめ、サンザシ、小豆、クルミ、向日葵(ひまわり)の種、蓮の実など8種類以上のもので作ったお粥 ── 「臘八粥」を食べたり、祖先に供えたり、隣の人や親戚に送ったりします。
祭灶節(jié) 12月23日:祭竈節(jié)(さいそうせつ)
竈(かまど)の神「竈王爺(そうおうや)」を送る祭日で、北京では「関東糖」とか「高粱飴(こうりゃんあめ)」などを食べます?!父^王爺」は日本の荒神(こうじん)に當たる神で、一家の善きこと、悪しきことを司(つかさど)りますが、この日に天に登り、除夜(じょや)の夜に戻ると言われています。民間では「小年(しょうねん)とも言われます。
第五篇:中國春節(jié)民俗介紹
中國春節(jié)民俗
臘月二十五接玉皇
舊俗認為灶神上天后,天帝玉皇于農(nóng)歷十二月二十五日親自下界,查察人間善惡,并定來年禍福,所以家家祭之以祈福,稱為“接玉皇”。這一天起居、言語都要謹慎,爭取好表現(xiàn),以博取玉皇歡心,降福來年。
臘月二十七/二十八洗浴
傳統(tǒng)民俗中在這兩天要集中地洗澡、洗衣,除去一年的晦氣,準備迎接來年的新春,京城有“二十七洗疚疾,二十八洗邋遢”的諺語。臘月二十六洗浴為“洗福祿”。
臘月二十九小除夕
除夕前一日,叫“小除夕”,家置酒宴,人們往來拜訪叫“別歲”。焚香于戶外,叫“天香”,通常要三天。
臘月三十——除夕/貼門神/貼春聯(lián)/守歲/吃年夜飯/壓歲錢/祭祖/送財神
除夕是指每年農(nóng)歷臘月的最后一天的晚上,它與春節(jié)(正月初一)首尾相連?!俺Α敝械摹俺弊质恰叭?;易;交替”的意思,除夕的意思是“月窮歲盡”,人們都要除舊部新,有舊歲至此而除,來年另換新歲的意思,是農(nóng)歷全年最后的一個晚上。故此期間的活動都圍繞著除舊部新,消災(zāi)祈福為中心。
門神像左右戶各一張,后代常把一對門神畫成一文一武。門神分三類:第一類是“大門門神”,多貼在車門或整間大門上,高約四五尺,寬約二三尺。第二類是“街門門神”,多貼小街門上,高約二尺,寬約一尺。這兩種門神都是一黑臉一白臉兩位尊神。白左黑右,白善易,黑獰惡,各手執(zhí)槊鉞。第三類是“屋門門神”,較街門門神稍小有限,也是黑白二神,但也有黑白二神是坐像的。屋門最多是貼“麒麟送子”像,兩個傅粉涂脂梳太子冠的娃娃,各乘麒麟。這種門神,本應(yīng)貼在新結(jié)婚的屋門上,以取吉利,后來也就作普通街門的新年點綴品了。
春聯(lián)真正普及始于明代,與朱元璋的提倡有關(guān)。據(jù)清人陳尚古的《簪云樓雜說》中記載,有一年朱元璋準備過年時,下令每家門上都要貼一幅春聯(lián),以示慶賀。
貼福字、貼窗花、貼年畫、貼掛千。
年畫是我國的一種古老的民間藝術(shù),他反映了人民大眾的風俗和信仰,寄托著人們對未來的希望。年畫,也和春聯(lián)一樣,起源于“門神”。春聯(lián)由神荼、郁壘的名字而向文字發(fā)展,而年畫依然沿著繪畫方向發(fā)展。隨著木板印刷術(shù)的興起,年畫的內(nèi)容已不僅限于門神之類,而漸漸把財神請到家里,進而在一些年畫作坊中產(chǎn)生了《福祿壽三星圖》、《天官賜?!?、《五谷豐登》、《六畜興旺》、《迎春接?!返炔噬戤?、以滿足人們喜慶祈年的美好愿望。
因明太祖朱元璋提倡春節(jié)貼春聯(lián),年畫也受其影響隨之而盛行開來,全國出現(xiàn)了年畫三個重要產(chǎn)地:蘇州桃花塢,天津楊柳青和山東濰坊;形成了我國年畫的三大流派。
民國初年,上海鄭曼陀將月歷和年畫二者結(jié)合起來。這是年畫的一種新形式。這種合二而一的年畫,以后發(fā)展成掛歷。掛千,就是用吉祥語鐫于紅紙之上,長尺有咫,粘之門前,與桃符相輝映。其上有八仙人物的,為佛前所掛。掛千民戶多用它,世家大族用它的較少。其黃紙長三寸,紅紙長寸余,是“小掛千”,為市肆所用。最早的掛千當是以制錢(銅錢)串掛的,與壓歲錢一樣,有壓勝的作用。