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中日感想

時間:2019-05-13 11:49:24下載本文作者:會員上傳
簡介:寫寫幫文庫小編為你整理了多篇相關的《中日感想》,但愿對你工作學習有幫助,當然你在寫寫幫文庫還可以找到更多《中日感想》。

第一篇:中日感想

中日感想

看到小泉參拜靖國神社。我覺得沒有必要再抗議了,有什么用呢?逼近人家去都去了,我們只能在背后說三倒四,我們能去阻止人家嗎?人家畢竟有自由吧,他想去哪就讓他去吧但是我們也不能這樣傻等著有照一日日本負荊請罪,況且日本會嗎?200%不會,大和民族具有兇狠、殘忍的性格,具有武士道精神的軍人不乏其人,為國而獻身、奮勇上戰場,戰敗剖腹,死不投降,效忠天皇的強烈軍國主義思想!他們會承認自己的失敗嗎?不會,因為日本從來就沒有認為他們被徹底打敗過,只是懼怕美國的元子彈會導致日本民族的滅亡,故投降仃戰,更不可能認為中國能打敗它;因為日本認為侵略亞洲各國是為了這些國家的安定,為了從西方手中解放出來;二戰中死去的,以及歷次戰爭中死去軍人,被認為是為國捐軀,不認為侵略中國和其它國家是非正義戰爭。有此種心態的日本,怎肯向中國和亞洲其它被侵略的國家道歉!有此種心態的日本怎不會修改教科書,美化侵略戰爭!有此種心態的日本怎不會參拜亡靈!有此種心態的日本,怎不會激起中國人民和亞洲其它國家的人民對它的仇恨!所以我們必須主動起來!但是我們能通過打仗來解決嗎?不能!雖說中國有13億人,但真真能上戰場的人有多少呢?再說日本的軍力,不知道是中國的幾倍,誰能胸有成竹的說一定能贏,我想即使是諸葛亮也未必能贏,再說日本是美國的一條狗,中國古話云‘打狗也要看主人’,你們說,這仗什么打,如何打!在說中國是愛好和平的,中國能破壞自己那么久才肅立起來的形象嗎?打仗不行,那么去世界法庭告日本吧,把日本的真面目,公布與眾!但是這個辦法也不行!都說日本是美國的狗,美國在當今世界中是什么地位,誰敢得罪這個國際警察?我想他的下場也不亞于阿富汗,伊拉克吧,甚至比他們的下場更慘不忍睹!所以這個辦法也不可以。

既然告官不行,打仗不行,那么我們只有從自身出發!要讓日本乖乖的登門照訪,我們必須教育好中國的下一代。日本人的教育方式是危機教育,他們時刻警戒著戰爭,時刻警戒著災難,但是中國人呢?中國的文化教育可以說是世界上做的最好的,但是道德教育呢?恐怕是倒著數的吧!這樣的教育國民的素質能提高多少呢,值得置疑!假如中國的教育在不改革,恐怕中國的希望將毀譽’黃金一代。都說一個中國人是條龍,一隊中國人是條蟲,這話一點也不假。為什么就是因為中國人有種想做英雄想做老大的心態。每個人都夢想君臨天下。即使在現在的公司里,大家想的也是有天我要做到總裁的位置,為了這個他會把事情做的很好,同時他害怕別人和他一樣強,成為他成為老大的阻礙。但是那些只看到日本電器的成功而對他們崇拜的人,你們是不是應該多看些書本,仔細思考下日本這個民族,你會發現,日本人永遠只是一堆零件做成的機器,他們沒有領袖,更成為不了東亞的老大。中國人做東西暫時馬虎些,但是中國成千上萬的英雄注定中國是亞洲不變的老大!

第二篇:《中日學前教育的比較》聽課感想

《中日學前教育的比較》聽課感想

古人云“一日為師,終身為父”,現在的人們也都說“教師是太陽底下最光輝的職業”,可見,從古至今,人們對教師這一職業的尊重與重視。“學高為師,德高為范”,作為未來的人民教師,我們一定要給孩子們提供最好的教育,當做他們的模范。

為了增強我們的教學技能,我們分別對《比較教育學》這一課程任選一個課題分組進行了深入的分析,從搜索資料、制作課件,到上臺講課,這一切都讓我們體會到了教師的責任,在備課的過程中,那種認真的態度確實很迷人,雖然我沒有上臺講課,但是參與到課件的制作當中,也能感受到一份當老師的自豪,聽同學們講課,更是有很多感觸。

看到這么多的課件,不由地感嘆同學們確實下了不少的功夫,做了不少的努力在這次講課上,不過,其中最吸引我的還是某某同學講的《中日學前教育的比較》,雖然這個話題范圍比較小,但是她卻從中日學前教育存在的問題、教育經費來源以及男女教師比例等各個方面為我們一一介紹,內容充實,并且劃分主題,課件結構安排的合理得當,層次分明,能夠引起同學們的興趣。

如果問我在這么多的講課者中,她哪一點吸引我,我會毫不猶豫地回答:她的自信。先說她從上臺就比較鎮靜,動作不緩不慢,落落大方,充分展示了她良好的心理素質,不過,在課前準備課件時出了一點兒小問題,但她并沒有表現出任何慌亂,而是從容不迫地解決了問題,使之成為課堂氛圍上的一個小插曲,這一點也充分展示了她淡定的氣質。俗話說“你自信的時候美極了”,她真的做到了這一點,很有教師的風采。

其次,她的講課內容很豐富,她能夠從《中日學前教育的比較》這一相對來說比較小的方面挖掘出較多的內容來進行闡述,比如:中日學前教育存在的問題、教育經費來源以及教師性別比例等各個方面進行比較,她對講課內容理解得非常到位。同時,她的內容結構設置得很合理,層次分明,層層遞進,讓同學們聽后思路清晰,簡單易懂。

當然了,她的教學課件制作優美,從分發揮了多媒體技術在課堂教學中的重要作用。她的PPT課件無論從課題材料還是從視聽效果上都非常富有意境,引人入勝,其課件的版式設計,主題分明,結構合理,內容豐富,讓人看后一目了然。其中,最吸引我的還是她搜集的日本學前教育卡通校車的圖片,讓人記憶猶新。她的課件中插入一些關于講課內容的圖片,圖文并茂,既形象又生動,吸引著同學們的注意力,也充分激發了同學們的學習興趣。

俗話說“臺上一分鐘,臺下十年功”,我相信某某同學在講臺上流暢的語言表達,面對同學們的鎮定自若,以及碰到問題時的波瀾不驚,并不是一朝一夕就能做到的,她肯定也是在臺下練習一次又一次,準備了很多遍才能達到這種效果。尤其是,她能夠不僅僅是照著課件讀,更能加上自己對授課內容的見解,同時注意與同學們的交流互動,這一點非常值得我們學習。

通過對某某同學的講課及課件制作的一系列分析,我深刻地體會到了當老師的不易,從資料搜集、版式設計、課件制作,到備課,到最后上臺講課,這一切的努力不為人知,只有自己才知道在準備過程中的認真與備課時的努力。“師者,所以傳道授業解惑也”,如果教師自己都沒能把所授內容吃透、理解明白,那何以傳授給學生們呢?由此,教師身上所背負的責任讓我們敬畏。

對比她的表現,我也看到了自己的不足,就是缺乏自信,以前從未在講臺上公開發言或演講,一站在講臺上,面對臺下這么多人的目光就容易緊張,我想:要克服這個不足,以后就要經常上臺演講,鍛煉自己的膽量,使自己擁有足夠的自信去展示自己的風采。同時,在以后的學習過程中,要吸取其他同學的好的做法,及時查找自身存在的問題。

“想要給學生一滴水,我們必須有一桶水”,作為未來的教師,我們必須抓好專業知識的學習,同時仍然要堅持不懈地提高我們的教學水平,增強教學技能,多和同學們溝通交流,取長補短,共同提高。不僅如此,還要及時結合自己在課堂上的表現做好每次實踐活動的課后反思工作,深刻反省本節課的教學語言、教學設計、教學方法,乃至課件制作、板書設計等,從同學們的表情及眼神中獲得有用的信息,并及時調整教學策略,只有這樣我們才能在日常的實踐中,提高我們的教學水平,增強我們的教學技能,慢慢走向成熟,成為一名自信的教師。

我相信只要我能堅持下去,一定也能像她一樣在課堂上游刃有余,實現高效的課堂教學,成為令人尊敬的教師!

第三篇:中日交流感想-我的日本同學們

中日交流小結

--我和日本同學們

高一2班 鄭文韜

上周,學校進行了中日交流活動。我與日本同學近距離接觸,結下了深厚的友誼。

“萬事開頭難”。與日本友人交談的開始是困難的。雖然事先我曾多次設想見面的場景,也準備了一些進行交流的辦法,但是真正見面后,尷尬、緊張不可避免地出現了。我如坐針氈、四處張望,偷偷地觀察坐在我身旁的那位日本同學。組員們的目光不時交匯,暗示對方開啟交流的大門。我戰戰兢兢地拍了一下那位日本同學的肩膀。他自然、友好地說了一聲“哈伊”(日語“是”)。我如釋重負,但話語還是結結巴巴、極不自然的。我竭力尋找交流的話題,聯想到日本足球在亞洲的霸主地位,我與他開始了這方面的交談,殊不知這是打開雙方心扉的一把鑰匙。

在車上,我一直琢磨著他的名字——Sodatsu Izumiya(泉谷深逵)。日本人的名字是復雜的,從另一個角度來看則是很有趣的。它不像中國人的名字的這樣富有深意,也不像歐美人的那樣直接。不過,泉谷這個姓氏倒是挺有意境美的。

來到了學校,我們在校門口列隊歡迎他們。我目不轉睛地盯著人群,生怕與他擦肩而過。我們倆幾乎同時看到了對方,他沖著我揮手,微笑著向我走來。由于有了剛才的鋪墊,這次交流順暢多了。我們繼續著中午未盡的話題。從各自喜歡的球星談到喜歡的球隊,再展望未來世界足壇的走勢,仿佛自己就是世界級名帥。交談中,我們不時大笑,也偶爾展開爭論。一旁的日本同學見我們交談甚歡,也湊過來加入了交流的行列。我在這時體會到了似水流年的滋味。在一片不舍中,第一天的活動落下了帷幕。

當天夜里,我反復回味著這天與他在一起的場景,憧憬著明天的到來。

有了第一天的經驗,對于第二天游覽上海的活動我更為期待、更有自信。我們早早地踏上旅途。在公交車上,他一直欣賞著窗外的景色,我也一路給他介紹。或許是他沉浸在上海這座城市中,又或是他對我這個導游感到滿意。他的臉上一直掛著笑容。在人民廣場,在南京路,在豫園,他深入了解了上海的傳統文化,并購買了不少傳統美食。見到游客的愉悅、暢快,我這個東道主有點不好意思了,我思索自己為何不曾發現朝夕相處的城市之中那么多美好的事物。生活不是簡單機械地度過每一天,而是要經常帶著一雙發現的眼睛,一個思考的頭腦和一顆享受的心。

在豫園的共同進餐是兩天活動的最高潮。幾組同學在飯店相會。他面對著目不暇接的美食,征詢著我的意見。不一會兒,他的盤中放滿了小籠、生煎、炒面等食物。飯間的氣氛空前熱烈,大家以飲料代酒,頻頻舉杯。我一邊向他引見我的同學,一邊拉著他一起舉杯。我假裝喝醉酒的樣子,拿起他的杯子,倒滿了飲料,用迷迷糊糊的眼神的盯著他,讓他一飲而盡。我們又一起慫恿旁邊的一位同學為我們高歌一曲。大家笑聲不斷,歡快不已。

下午,我們前去了運動城。他及日本朋友對于運動的熱情之高令我們驚異。這也是活動中的另一個高潮。這是我們在事先不曾想到的。

“天下沒有不散的筵席。”告別的一刻終要到來。事前我已想好了千言萬語,此刻卻有口難開。我與他及日本朋友們不斷地握手,不斷地告別,握了又握,說了又說。雖然表面我依然強作笑容,和他們說著“ Goodbye!See you again.”,但我知道,這一去即為永別。我終于能夠理解古人送別時長亭題詩、飲酒壯行、淚流滿面的緣由了。我想哭,卻發覺所有的淚水早已融為對他們的思念、牽掛,隨風飄逝了。

在某一天晚上,我佇立在陽臺上,凝視著滿天的繁星,期待尋找到屬于他的那一顆。

在某一班擁擠的公交車廂里,我注視著窗外,再次想起了與他共同度過的日子。

在某一天午夜,我突然從夢中驚醒,偷偷地啜泣,無數思念涌上心頭,再度想念起他。

各種交流歸根結底是人與人之間的交流。只要自己和他人充分為在一起的日子而高興,交流的各種目的自然而然也就達到了。人類文明便是在這種交流之中不斷進步。

“一葉浮萍歸大海,人生何處不相逢?”縱有萬水千山的阻隔,我和日本同學們的心無時無刻都在相遇。富士山傳來的清新的風是他們對我的思緒,長江口的波濤澎湃是我對他們的依戀!我們在各自心中永生!

第四篇:中日對照

おはようございます 早上好o ha yo u go za i ma su こんにちは 你好(白天問候語)kon ni chi ha こんばんは 晚上好kon ban ha お休(やす)みなさい 晚安 o ya su mi na sa i ありがとう 謝謝 a ri ga to u すみません 對不起 su mi ma se n こちらこそ哪里,是您….表謙虛 不,應該是我….才對 ko chi ra ko so いらっしゃいませ i ra ssya i ma se 去日本料理店時,開門的小姐通常都是這一句 いらっしゃい i ra ssya i 歡迎光臨,沒有前一句鄭重

おめでとう ございます o me de tou go za i ma su 祝賀你!(過生日等)さようなら sa yo u na ra 就是送別時說的再見啦 では また de ha ma ta 再見,相比之下,正式一些

じゃね/じゃ,また jya ne/jya,ma ta 再見/那么,回頭見(最常用的,和bye不相上下)失禮(しつれい)します si(xi)tu rei si ma su 打擾/告辭了,來拜訪人和離開人家時都可以用 お邪魔(じゃま)しました o jya ma si ma si ta 告辭了,離開時的客氣話

多用于到人家去拜訪,離開時說的話 お邪魔(じゃま)します o jya ma si ma su 也可用在剛來到人家時說

意思是打攪了,這是剛來拜訪時和走時 都使用頻率極高的一句話!ご苦労様(くろうさま)go ko ro u sa ma 您辛苦了(對同輩或晚輩說)

どういたしまして do u i ta si ma si te 別客氣,表謙虛 お元気(げんき)ですが o gen ki de su ga 元気です gen ki de su 你好嗎?我很好啊

お疲(つか)れ様 o tsu ka re sa ma 您辛苦了(對長輩或上司)おかげさまで o ka ge sa ma de 托福,很好

日本人認為自己全靠其它人幫助才能活下來,因此這句話也是他們很常用的 お大事(だいじ)に o da i ji ni 請多保重(探病)

しばらくでした si(xi)ba ra ku de si ta 久しぶりですね hi sa si(xi)bu ri de su ne しばらくですね si ba ra ku de su ne 都是好久不見的意思,可以互換 いただきます i ta da ki ma su 我開吃了

御馳走様(ごちそうさま)go chi so u sa ma 我吃完了

いいお天気(てんき)ですね i i o ten ki de su ne 天氣真好啊

(和小姑娘一起,尷尬時的話語吧)

暑(あつ)いですね a tu i de su ne 太熱了

寒(さむ)いですね sa mu i de su ne 太冷了

(和中國人一樣,日本人也有這種話,可以用來轉移話題-_-b…)

よく降りますね yo ku hu ri ma su ne 老是下雨啊

どうぞ do u zo 請 和中文的請一樣,加在句子前或單獨使用,都是敬語 お願(ねが)いします o ne ga i si ma su 有求于人的話,這句話是一定要說的 もしもし mo xi mo xi 打電話用的開頭語,相當于中文的“喂?” おかまいなく o ka ma i na ku 您別張羅了

申(もう)し訳(わけ)ありません mo u si wa ke a ri ma sen 更為鄭重的道歉

在正式場合下,多用這個,一般說話人都負有相關的責任,比如說,銀英中帝國敗在楊手下的人回來見菜茵哈特都要先來上這一句.御免(ごめん)なさい 對不起 go men na sa i 日本人和中國人說話一樣也講省略的,在Q版街霸中,春麗就常說:“ごめんな” お世話(せわ)になりました o se wa ni na ri ma si ta 承蒙關照

御免(ごめん)ください go me n ku da sa i 有人嗎?我能進來嗎?

どうも 萬能詞 do u mo 謝謝,對不起,您好,告辭...... 就我個人理解,找不著說什么時就說這個吧,反正意思多的是,能就付各種場合,總之在非正式場合下可以用來搪塞各種話題。行(い)ってきます 我走了 i tte ki ma su 行って參(まい)ります 更為客氣的說法 i tte ma i ri ma su いってらっしゃい 您慢走 i tte ra ssya i 關于這幾句,找相聚一刻來看吧,一刻館中的人每天出門時都要響子打招呼的。ただいま ta da i ma 我回來了

お帰(かえ)り お帰りなさい o ka e ri o ka e ri na sa i 您回來了

同上,不過是大家回來時說的!ちょっとお待(ま)ちください cyo tto o ma chi ku da sa i ちょっと待ってください cyo tto ma tte ku da sa i 等一下

お待たせしました o ma ta se si ma si ta 讓您久等了

上菜的時候,這句話是服務員必說的。恐(おそ)れ入(い)ります o so re i ri ma su 實在不好意思,不敢當

一般是聽人夸自己聽得高興時,才摸摸后腦,笑著說的,要不就是收了人家的禮物(日本人送禮成風,倒不一定有求于人才送禮的)時說的客套話 ご遠慮(えんりょ)なく 請別客氣 go en ryo na ku 遠慮なく 那我就不客氣了 en ryo na ku どうぞお先(さき)に 您先請 do u zo o sa ki ni お先に 我先了 o sa ki ni もうけっこうです mo u ke kko u de su 不用了(婉拒)

どちらへ 去哪啊? do chi ra he(e)并非真想知道要去哪兒,只是問候一下 所以回答也只是

ちょっとそこまて就是去那兒啊 cyo tto so ko ma de もうけっこうです mo u ke kko u de su 不用了(一般)

どうも、いいですよ do u mo,i i de su yo 不用了(婉拒)

第五篇:中日茶文化比較

要旨

中國のお茶の歴史は三國時代から遡る。長い間中國の茶が世界に影響を與え続けている名作は唐時代の陸羽が書いた「茶経」である。その時からお茶を飲む活動は次第に王候貴族から一般の庶民へと広がった。宋時代と明時代を通して茶道は大きく変化し茶の葉の改良、茶器の発展、また茶道思想の完善を経て、今のようになった。

日本のお茶は平安時代に僧侶の最澄によりお茶の苗を持ち帰た。その後、村田珠光、千利休、豊臣秀吉などの名人が茶道に新しい製作法や禪の思想を導入し日本獨特な文化蕓術となった。

中日の茶道は自國の文化や歴史の影響により違う所がたくさんある。例えば茶の葉の種類、茶道の規則と過程また國民の性格と美意識などの方面で食い違う。キーワード:茶道 中日文化 比較 茶道の活動 禪 摘要

中國的茶史可以上溯到三國時代。中國的茶在很長時間里對世界產生持久影響的是唐代陸羽寫的《茶經》。那時開始飲茶活動就逐漸從王公貴族普及到平民百姓。經過宋、明兩代茶道發生了很大變化。茶道從茶葉的改良、茶具的發展到茶道思想的完善逐漸成為今天的樣子。

日本的茶最初是在平安時代由和尚最澄從中國帶回日本的。之后,村田珠光、千利休、豐臣秀吉等人將茶道引入了新的制作方法以及禪宗思想使之成為日本特有的文化藝術。

中日茶道因本國歷史文化的不同在茶葉的種類、茶道規則以及國民性格、美意識等面有很大差異。

關鍵詞 茶道 中日文化 比較 茶道活動 禪 序論

茶道というと、みんな日本の茶道を頭の中に浮かぶだろう。中國ではいつも茶文化と言う。なぜ日本の場合は茶道と読むのか、それは道というのは日本の伝統的な文化の一つであり日本獨特な読み方だからである。みんなご存知のように日本のお茶は中國から伝われ、そして絶えず発展し今のようになった。この點から見ればと中國は日本の先生と言ってもいい。でも日本の茶道は中國のと同じものではなく中國と違う道を歩んでいた。なぜその違いが出てくるかそしてその違いがどこにあるか、私はそれについて詳しく解明したい。1.中國の茶文化 1.1 茶道の定義

みんなご存知のように茶道は中國に源を発した。茶道の定義も時代の変化によって変わった。最初茶道の定義を決めたのは唐の時代にお茶を飲むことによって道を得ると言う意味だ。茶道の歴史は今まで発展しつつあり、茶道に対する定義もいろいろあった。ある學者は茶道を文化蕓能としてお茶を飲む活動と文化を完璧に結び、つまりお茶の中には道があり、お茶を飲むことによって道を得ると定義した。ある専門家は茶道を一種の室內の蕓能と呼ばれる。これらの定義を纏めると茶道とはお茶を飲む活動の形で精神的な感じと思想上の需要を満足すると言う意味である。ここでの茶道の活動は茶を植えることや茶の葉に対する研究ではなく、茶器、お湯やまたお茶を飲む場所に対する選択や飾りかたを含む活動である。1.2 茶道の起源と発展 1.2.1 様々なお茶を飲む活動

中國はずっと昔からお茶を飲む習慣があった。「三國志」によると呉國の皇帝が宴會で酒を飲めない大臣にお茶を賜った。その時からお茶を飲む習慣が始まった。最初は生理上の需要を満足するだけで、茶を飲む環境や茶器、茶の葉の質に対する特別な要求がない。その後感覚器官によって茶を味わう活動が出てきた。つまり特定の環境の中でお茶をゆっくり飲み味覚、視覚などを利用してお茶を味わう。これによって美を求め、人生の秘密を探求するという精神的な享受に達する。

もう一つの活動はお茶を入れる蕓術(茶蕓)だ。つまりお茶を味わうことと違い、人の主體性によって茶器やお湯にぴったり合うものを選び、茶の色、味、形などの品質を充分に発揮する活動である。そして茶道の思想もの中に入れてきた。1.2.2 茶道の起源と発展

茶道は中國の伝統文化の一つとしてその起源と発展はお茶を飲む文化の発展につれて生み出されたものだ。そして茶道の産生や形成また復興などは人間が自然や社會に対する認識、改造及び人類の活動と深い関係がある。

世界で第一回「茶道」という言葉が現れたのは唐の時代である。その時茶道は王候貴族の間に大いに行なわれてみんな茶がら付き飲む。それによって茶道が一定の格式を形成した。唐時代には政治、経済、文化がすごく発展し社會も安定していた。その條件の下で様々な茶道の流派が形成された。その中で一つは修行の形での茶道だ。この種類の茶道は一日中三回だけお茶を飲むと道を得ることができる。これは一般の人々にとっては難しいことだ。修行の茶道は古時代の詩人の陶淵明は都會から出て田舎に入って隠居の生活を送り、自分の希望や気持ちを花や森あるいは水の中に寄せるというような修行と同じ、僧侶が素樸な生活を送り現実中の悩みや不幸なこと、または不平等なことを回避するために茶道によって修行することである。一回だけお茶を飲むのは道を得られない。三回ずつ飲むと人間の肉體と心が徹底的に浄化され、神仙と人間を一體にする境界に達する。もう一つは茶蕓の形で行う茶道である。この種類の茶道については陸羽さんの書いた「茶経」がその代表作である。「茶経」は世界で初めてお茶のことを系統的に述べる本であり、中國の茶の歴史の中でも一番深い影響がある本である。茶蕓とは茶器や水などがお湯に対する影響もしくは茶の木の種類、栽培、加工、茶の葉の化學的な変化を研究することによってどのように質のいい茶を生産するかを考える過程である。そのうちにいろいろな道という精神的なものを得るのはこの種類の茶道の鍵だ。例えば、美味しいお湯を作るためにいろいろな調味料を適量に入れ、適當な火で煮る必要があるという例から國を治める時適材適當し、各階層の人間関係をうまく処理する必要があることが分かった。もう一つの例を挙げよう。「茶経」によるとお湯に適する水は一番いいのは山の水であり、次は海の水であり、最後は井の中の水である。この三つの水を見分けるために工夫をすることから物事に対する研究は表面に止まるのではなく、細かい所まで區別し物事をうまく把握する能力を育成する必要があることが分かった。つまり蕓能という茶道は人類が世界のあらゆる物に対する認識のレベルや、身につける程度を反映する。三番目は風雅の種類の茶道だ。これは前の二つと違い、のどの乾きを癒すために飲むのではなく、お湯や茶器などを選び、いいお茶を飲むのではなく、お茶を入れる過程を実演する形で現れる。そのうちに蕓術の趣が含まれ、鑑賞性や美術感に富む。この茶道の代表作は唐時代に出來上がった「氏を閉じてかぐことを閉じる」という本である。その本によると風雅の茶道とはお茶を飲む活動を通じて人々に精神文化の需要に実演の形での茶道を提供するということだ。つまり、物質的な享受と文化蕓術の享受を結び、茶を飲む活動に鑑賞性や文化蕓術性に富まらせることだ。これらの三つの種類の茶道の出現及び茶蕓に趣味を持つグループの形成がこれからの茶道の発展に重要な影響を與えた。

宋時代になると風雅の茶道と茶蕓の茶道が主流になり、以下の二つの特徴を持っている。第一、風雅の茶道は王候貴族から一般の庶民に普及した。その時國が繁栄し國內も安定している。貧しい人もお茶のことに注目を集めた。茶器も複雑から簡単に変わり庶民に受けられやすくなった。第二、茶蕓の形での茶道及び茶道の思想が普及した。具體的に言うと、お茶の精細さ質の良さを比較することによって、人間が世の中の物事に対する認識や理解及び把握の能力を反映した。このような茶道の思想は一般の庶民の中に普及するのではなく王候貴族の間にもよく伝わた。人間は物質の生活が満足している上精神文化を追求するようになった。これも平和の社會に積極的な役割を果たした。

明時代の初め頃朱権を代表とする茶道が人気がある。唐時代の団茶は葉の形の茶に変わった。茶道の思想も変化した。お茶を飲んでいるうちにお客さんが自分の意見を述べ複雑な社會から離れ心を清潔する。朱権の『茶の明細』という本は茶道の過程を詳しく紹介した。明時代の末期になると茶道思想は哲理の意味が弱くなり今のようにお茶を味わう要求と大體同じになった。

清の時代には茶の葉に対する需要が拡大し有名な茶もそれにつれていろいろ出てきた。陶器の現れは茶器に大きな変化をもたらした。その時お茶の産地を重視し茶蕓の活動も簡単になり茶を味わうようになった。改革開放後中國の生産力がずいぶん発展し物質の生活にゆとりがある。精神文化に対する需要が絶えず増えることは茶道活動の発展に條件を提供した。お茶を飲む活動はお茶を飲むことからお茶を味わうことまで茶蕓から茶道までこのように少しずつ浸入し、より多くの科學的な內容や精神文化の內容を含むようになった。二十世紀八十年代後、茶蕓の実演という形での茶道が盛んになった。そして実演の形も沢山ある。例えば宗教の形、風俗の形、古時代の茶道を倣う形などいろいろある。このような茶道は茶の自然科學と人文精神、文化蕓術を結び、時代に応じて新しい內容と形式を含む。

2.日本の茶道

2.1 茶道の文化定義

日本の茶道は中國から渡來したものであり、千年あまりの歴史を持つ。そして日本の社會文化と人文文化の発展につれて完善され、大和民族の獨特の環境の下で宗教、哲學、論理、美學、自然が一體になった。茶道が唱えられた「素樸、純粋、典雅」という精神は日本の茶文化を「道」の境界まで高めた。茶道は日本の伝統文化の代表として國民の生活の中でも不可欠なものになった。茶道の目的は渇きを癒すのではなく同じ茶の本質の優劣を鑑別するのではなく複雑なプログラムと儀式を通して情操を育成し靜寂の境界に達するのである。2.2 日本のお茶の発展

中國の茶文化の歴史と比べると日本の茶道の歴史はそんなに長くなかった。歴史の資料によると、お茶が日本に初めて入ってきたのは平安時代であった。その時中國で留學していた僧侶の最澄によりお茶の苗を持ち帰ったそうである。奈良時代に上層の階級の間に喫茶の風習が始まった。その後、茶の木が近畿諸國をはじめ、各地に広く栽培された。鎌倉時代に栄西禪師をはじめ、沢山の禪僧が茶の製作方法と喫茶法を日本に伝えることによって茶道はどんどん進歩していた。喫茶の目的は鎌倉時代までは思想生活の伴侶として用いられたが(時には薬用)南北時代になると喫茶を遊戯的に用いた。つまり、闘茶として品種を飲み分ける競技の形で行なわれた。このような僧侶茶、武士茶は中國の茶文化に深い影響を受けた。これは日本茶道が生まれる前の歴史だ。本當の意味を持つ茶道は十五世紀の末ごろ村田珠光氏により創立された。村田珠光氏はお茶を飲む行為に思想を入れる初めての人であり、日本茶道の祖先と言ってもよい。その後武野紹鴎によりさらに推し広めていった。日本の茶道の精神も「茶と禪が一體になる」ような境地になった。千利休はもっと具體的かつ系統的な規則を定め茶道を庶民化にさせた。また茶會の種類、茶器の種類や茶室、庭の飾り方なども決めた。日本の茶道は今でも絶えず発展しているが茶道の基本的なものを決めたのはやはり千利休だ。でも茶道の大成については織田信長、豊臣秀吉の成果を無視してはならない。彼らは茶道を政治的に利用したが茶道に精神的な慰安を求めた。千利休は「謹敬清寂」を「和敬清寂」に変化させた。江戸時代に千利休の子孫と弟子が茶道を継続し「家元制度」注①を作り別の流派が現れた。千家流派は表千家、裏千家と武者小路千家三つの大きな流派になった。この時期は日本茶道の輝かしい時期であり、日本民族の特徴を持っている。また抹茶道、煎茶道も形成された。明治維新以來茶道に深刻な変化が現れ文化的な意味が強くなった。そして時代に応じて自國の特徴を持っていて今のようになった。

2.3 中國の茶文化が日本の茶道の発展に対する影響

日本の茶道の形成と発展が中國の茶文化と深い関係がある。まずお茶を飲む風俗は最初に日本に入ってきたのは平安時代のことだった。日本の天臺宗の創始者である最澄は中國の仏教の経典と茶の木を持って帰った。そして栄西は鎌倉時代にもう一度中國の茶を持ち帰り、「喫茶養生記」という書物を作った。その本は日本の茶道の歴史的な転機と言ってもよい。また栄西は茶に対する栽培、茶の葉の摘む方法、飲む方法を詳しく紹介した。それと同時に中國から寺のお茶の飲み方を導入しお茶を飲む禮儀を定めた。例えば団茶、抹茶、闘茶などは全部中國から伝わられたものだ。ほかには毎年の春と秋、奈良で行なわれた茶會特に唐式の茶會は日本の茶道の源である。それは中國の唐と宋時代の茶會によく似、茶を飲む庭の飾り方や點茶の儀式及び闘茶遊戯などが含まれる。これだけではなく栄西は平安時代の終わり頃中國の宋に學び日本に禪宗を開いた。禪文化は日本の伝統文化の中で重要な內容であり、禪宗の導入と伝播につれて形成された。日本の茶道から中國の仏教思想の跡もよく見られる。日本の茶道の和敬清寂という精神は仏教の教義の中にはっきり書かれてある。「茶禪一味」注②という茶禮もそれと同時に導入され、室町時代になると五山僧の間に次第に定著して行った。3.中日茶道の比較

日本の茶道は中國から伝えられたが先生と言える中國とは違う道を歩んでいた。そこには中日の茶道に違うところがあると思う。特に日本茶道は中國の茶文化に深く影響され、自民族の特徴と精神を結び日本獨自なものになった。3.1 茶の葉の種類 茶の葉の種類に対する標準が違い統一することができない。今の茶の學界には茶類に総合的な方法を取った。その方法によって中國の茶は二つに大きく分かれた。一つは基本的な茶であり、もう一つは再加工の茶である。基本的な茶には緑茶、紅茶、青茶、白茶、黃茶、黒茶、六つある。その中で緑茶は中國で一番歴史の長い、生産量も高い茶である。このような分類の方法は茶の作り方によるものだ。再加工の茶は前の六つの茶を原料として再加工後の茶である。その中には花茶、圧縮茶などがある。

日本の茶道に用いられた茶は主に緑茶である。そして茶の産地、栽培の方法、茶を摘む時期、茶を作る方法によって煎茶、ひき茶、玉露茶などの名前が付けられた。例えば、精製された茶の葉をスプンでひいて粉末としそれを茶碗の中に入れ、熱湯を注ぎかき回して飲む。煎茶は中國の明時代で流行したものであり、葉を乾燥し蒸したり揉んだり熱湯を注ぎその汁を飲む。玉露茶は煎茶の一種で今でも高級の茶として知られている。3.2 茶道の規則と過程

茶道の中での規範は人生の道徳心を涵養するために重要な內容であり、茶道の活動の各方面に含まれている。規範は人に良好な行為を養成させる。お茶を入れるなど細かいことや日常生活の中で規範を守り良好な気質、身振りを育成することができる。茶道を修行する人はその過程の中で禮儀、姿勢、順序、位置、服裝などいろいろな規範を守らなければならない。茶道の活動にあるマナーは茶道の種類によって違う。例えば、お辭儀の仕方、跪く仕方、また、握手、目付き、など厳しい規則がある。それらの禮儀はお禮を表し、お客さんに尊敬の意を表し、茶道の中身を協調する規範である。

日本の茶道の規則は禪宗寺でお菓子を食べる規則から來たのだ。僧侶たちは朝ごはんと晩御飯だけ食べ、お腹が空くのでお茶を飲み始めた。それとともに懐石注③を食べる。現代の日本の茶道は面積の小さい優雅の茶室で行われる。茶室の中には珍しい骨董や掛け軸が壁に掛けてある。真中にはお湯を沸かし、器具が置いてある。茶室は飾り方によって違う。歴史の中で有名な茶室は小堀遠州による弧蓬庵、古田織部による燕庵、千利休による草庵茶室、秀吉による黃金の茶室だ。

茶會の前に主な客と陪客を確かめる。茶會をよくするために主人は忙しく、いい茶菓子を選び、茶室を綺麗にする。茶道に用いられたお菓子と言うとお茶の引き立て役といわれる物であり、一服のお茶をいかに美味しい味わっていただくかという重要かつ欠かせないものだ。茶會中いろいろな厳しい約束がある。主人もお客も「一期一會」の思いで茶會に參加する。主人はあらゆる手を盡くしお客を持て成しお客の方もこれから會えなくなると思っていて茶會に參加する。両方ともお互いに協力し合うことと感じる。3.3 國民の性格

文化は國民の性格を反映すると言ったように中國の茶文化は中華民族の伝統に影響され中華民族の性格を反映した。中國は禮儀を重視する國と言われたとおり茶文化は友達同士の友情や家族同士の愛情を體現する。茶を飲む形によって友達になるということは一般の庶民の中に普及されているのではなく集団や國の禮儀にも用いられる。新年の際、會社や工場などで茶話會を行い、上司は會社員に感謝の気持ちを表す。だから中國の茶道は日本より実用性を重視する。そして日本より庶民化を持ち禮儀と形に拘らず、実用性を大切にする。日本ではそれと反対に、厳しい形式を守り道徳を養成するために茶道の活動を行う。それは日本民族の発展と深い関係がある。日本は小さい島國であり、人口の増加と個人の生存に矛盾が出てきた。個人は生きていくために周りの環境がどれほど悪くても我慢する。苦しい狀況の中で人間関係や、仕事をうまくいくためにいつも自分のことを我慢する。それは茶室の入り口が狹くて體を曲げて入らなければならないことからよく分かる。また悪い自然環境の中に形成した日本民族は集団意識も強いし、お互いに協力の意識も強い。茶道は集団による活動が多い。みんな連攜して平和の雰囲気を造る。最後、日本では厳しい身分制度を実行し規範と禮儀を重視する。茶會中厳格なコースを守り形式的な話を言わなければならない。その點から見れば、日本の茶道は本當にお茶を飲むのではなく、人間に禮儀の教育を行う道徳修養の儀式である。このような形式を重視し実用性をあまり重視しない文化は人間の間に自然的な付き合いに悪い影響を與えるのかもしれない。3.4 茶道の中の美意識

中國の茶道の中にある美意識は茶道の活動中のメロデイ、対稱、対比、異同、自然、対応比例などを通して表す。例えばメロデイは自然界の中に存在する永遠の変化と命のリズムを表し生き生きな表現の形式である。また、茶器の排列、動作や言語の音で表す。対稱の美は中國の古典美學にある規則であり、バランスと安定性を持つ美學だ。茶道の活動の中で靜態の物事の対稱もあれば動態の物事の対稱もある。人の位置や茶器の並び方などは中心線を基準として並ぶ。また、お茶を入れる動作や體の姿を対稱的に行うことを通して観賞側に目や心を楽しませる効果が出る。自然の美は人類が自然に対する追求から表す。自然の中で生活しているのは人間の生まれながらの希望である。お茶を入れる時、緑の茶の葉は水の中で自然に広がるのは一種の自然の美である。茶道の比例の美というのは物事の大きさに適當な比例があることだ。

日本の茶道の美意識の主旨は「素樸」ということである。それも禪の本質である。村田珠光は素樸な美を重視しお茶を飲む時日本産の器具を使うことを主張した。千利休は既成の美意識に拘らず小さい茶室を造り朝鮮の陶器を導入し茶道を庶民化する。日本の美意識は素樸のほかいろいろな美もある。自然の美は庭園、建築、花を挿すことなどの配置から人間の注目を集める。欠陥の美は粗末あるいは指紋のある茶碗を上品と見なすことから表すものである。3.5 茶道が反映した思想

中國の茶文化は儒家の思想を核心とし儒教、道教、仏教を一體にすることによって茶文化の內容を豊かにする。儒家文化の本質は実用で中國の茶文化は日本より庶民化を體現する。また儒家の「禮仁徳」と中庸の思想及び道家の「無為、自然、」の思想も茶文化に深い影響を與えた。だから中國の茶文化は自然の美を崇拝しているが日本ほど儀式を重視しないのである。

日本の茶道は主に中國の禪宗思想を反映した。また禪文化は日本の伝統文化の中で重要な內容である。敬と寂という思想は禪宗からきたものだ。敬とは真如の前にみんな平等の地位を持つという意味だ。茶室に入って身分を言わずお互いに尊敬する。つまり茶室の中には平和の世界である。寂とは靜寂でどんな時にも動かないで靜かな心を持つという意味だ。和は禪宗の「心が穏やか」の意味であり、お互いが仲良くすることだ。それだけではなく「茶禪一味」という思想も室町時代になると五山僧の間に次第に定著していった。ほかには日本茶道の形成は仏教との関係もある。清という思想は仏教の「清らかである」ということから來たのだ。結論

本論文は中日茶道についての資料を集め調査を通して纏めたものだ。日本の茶道は中國から導入したものだが、中國と違う道を歩んだ。私はこの疑問を持って中日の茶道の歴史と発展を考察し、中日茶道の相違點を分析した。日本の茶道は中國の茶道の影響を受けるほか、日本民族の発展や日本獨特な伝統文化からの影響も深い。だから中日茶道は茶の種類、茶道の規則と過程などの方面だけで違うのではなく、茶道が反映した國民の性格や思想も違う。中日の茶道の交流はこれから必ず絶えずに行われるうと思うが、実用性を重視する中國の茶道はより多くの日本人に受けられると私は思う。

本論文はこのような視點から中日茶道を比較したものである。個人の能力や知識の不足で文章の中に文法などの間違いや中日茶道に対する分析に足りないところがあると思うので、ご指導くださるようお願いする。謝辭

本研究を執筆するにあたり、始終適切な助言を賜り、また丁寧に指導して下さった王霜先生に感謝の意を表します。また、中須賀剛先生と黃金春先生をはじめ、多くの先生方が常に論文の書き方をご指導くださいました。本當にありがとうございました。注釈

①その流派の本家として、代々の蕓道を受け継いでいる家

②茶が、古來、飲み物として禪の寺院で用いられていたことは知られていたがそこでは禮を持って茶と接していた。特に元の時代にあっては、禮のうちでもっとも重用な禮とされた。やがて茶が日本に伝わると、こうした茶禮も同時にもたらされた。

③茶の湯で茶を勧める前に出す簡単な料理。參考文獻

【1】岡倉天心 茶內本 東京 巖波書庫 1988年

【2】膝 軍 《中日茶文化辯異與展望》 東京 東方出版社 1992年 【3】周文棠 《茶道》 ﹙2003年5月﹚ 浙江大學出版社 【4】趙丁 《茶的故事》﹙2003年1月﹚ 地震出版社 【5】周笑明 《日本國概況》﹙2000年9月﹚ 南開大學出版社 【6】雜志 《西北大學學報》﹙2005年7月﹚ 哲學社會科學版

【7】王勇,王寶平《 日本文化的歷史蹤跡 》﹙1991年﹚ 杭州大學出版社 【8】余悅 《中國茶韻》﹙2002年﹚ 北京 中央民族大學出版社,【9】雜志 第2卷第2期2003年6月北 《京林業大學學報》(杜會科學版)【10】傅樹勤 《茶神陸羽》 1984年 北京 農業出版社

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