第一篇:日本語作文
小學校から、外國語の勉強について
高校二年生七クラス 鄭XX
指導先生 呉先生
私は中學から、高校二年まで英語を勉強していました。生まれ付きの“英語ダメ”かもしれませんが、いくら勉強しても、なかなか上手になれません。今、習っている外國語は日本語です。高校一年の時から習い始めて、もうすぐ一年になります。高校は日本語の外の授業が多いです。大好きでそれに大切な日本語に使う時間が足りなくて、困っているんですが。自信を持って、頑張って、良い成績を取れるだろうと思っています。もっと、早く、日本語の勉強を始めたら、こんな苦労はしなかったでしょう。
また、小さい時から、外國語を勉強すれば、綺麗な発音を身に付けるのにも、単語を覚えるのにも、いいと思います。とにかく、しっかりした外國語の基礎を作るのには、早く勉強したほうがいいと思います。
それから、今、世界各國間の交流がまちまち盛さんになります。小學校の時から、外國語の勉強を通して、國際理解を深めることもできますし、広い視野を持つこともできます。ですから、小學校から、外國語の勉強を始めることに賛成します。翻譯
關于從小學開始學習外語
高二(7)班
鄭XX 指導老師
吳老師
我從高中開始學習日語。可能生下來就是英語白癡吧,不管怎么學習,也沒有進步。現在,我正在學習日語。我是從高一開始學習的,快一年了。在高中,除了日語之外,還有很多學科。即使非常喜歡,卻沒有能真正使用日語的時間。我感到十分困擾。但我還是滿懷自信,努力地想取得好成績。要是我更早的開始學習日語,可能就不要這么辛苦了吧?
從小時候開始學習外語的話,就會有漂亮的發音,也會很容易記住單詞。所以,為了有牢固的外語基礎,還是早點開始學習比較好。
再加上,現在世界各國之間的交流越來越來頻繁了。從小學開始,精通外語,既可以加深對國外的理解,也可以擴展視野。所以,我贊成從小學開始學習外語。
第二篇:日本語作文
中國人がいつも大聲で喋るのはなんでなのか
2組呂強 黑龍江大學
多くの外國人は中國人がなぜいつも大聲で喋るであろうかという疑問を持っているようだ。中國人によってこの質問の答えはちょっと違うと思う。それについて自分の考えを述べてみようと思う。
中國人にとして私はある中國人の悪い習慣に対して恥ずかしいが、全世界の人民がその悪い習慣に対して、友好的で理解のある態度を本當に持ってほしいのである。外國人は中國人がいつも大聲で喋るということについて嫌な気持がとても強いというのは中國のことをよく知ないからだと思っている。
最初、歴史的と地理的な原因に考えてみよう。中華民族は農耕民族であるし、広い田畑で耕作した時、距離が遠いので交流のために大聲で喋らなければならない。また、中國の山岳地帯が多いので通信が呼びに頼むという話があった。例えば、四川盆地の中で山多くの重慶と平原多くの成都が300キロメ-トルしかの距離がなくて、しかし、地形のために成都人は重慶人より聲が大きいのである。それで、何千年、何萬年の間に中國人の先祖代々は大聲で喋るという習慣になった。
また、それは中國人の強い群體意識に関係もあると思うのである。第一の面、群體意識の強い人にとって群體の中で他人に注意されるためにどうすればいいという意識が人間の本性であるし、もし人は教育水準が低いである狀況下で人の多い公共場所で自分の感じが十分に表現するために、自分の存在感をよく満足するために大聲で喋るということが理解できるようになるはずである。第二の面、歴史的な原因に中國人の群體意識が強いから、長い間にプライバシーを重視されなかった。例えば、中國の六、七十年代に公明正大という言葉を言われすぎて、誰でも秘密などがあれば批判された。
人民の文明程度は國の経済の発展によって決まっているという言葉がよく言われる。近代の中國は立ち遅れていたので、國家と人民がかつて一度貧困な狀況で過ごして、政府と人民が毎日毎日衣食の問題を解決するために忙しくかけ回っていて、人民の修養を高める精力がなくてなるのはもちろんのことであった。今の中國はもう発展途上國で九十年代になっては初めて國家の経済が発
展できるようになって、人民の生活水準が高められるようになったのであった。それで、経済が基礎にとして、初めて中國の國民教育のレベルは高められるようになったのであった。しかし、一人或いは民族の文明程度は數十年の間に高められない。
しかし、中國政府と中國人民が自分の文明程度と修養を高めているのはみんなが見えるし、中國と世界各國の友好交流の深めに伴って、時間の移り変わりに従って、世界各國の人民は文明國家があるべきの立派な姿を見えることを信じる。
例えば、中日友好のために、中國人と日本人は雙方の文化や歴史などよくお互いに交流すればいいと思うのである。政府間の交流より民間の交流は深くに雙方の人民の生活を知るということによいのである。例えば、日本人は中國への旅行の頻度を増えて、中國人の日常生活をよく體験することができるようになる。また、日中大學生の交流を加え、雙方の文化や歴史などよく習えるようになる。そうすると、必ず、誤解が少なくなるようになって、日本人は中國人の習慣に対して理解できる態度を持つことになる。さらに、経済と社會の発展につれて、きっと中國人の文明程度と修養が絶えずに高まることができて、最後に禮儀作法の正しい民族が見えることになる。
それらはなぜ中國人いつも大聲で喋るという問題が派生した自分の考えと感想である。実は、ある不満の聲や誤解などが出て來て、そして、解決されるという過程が世界各國の友好交流を進めるという過程のである。それで、今からどんな問題があっても、交流は最も適切な解決方法であると思う。
第三篇:日本語の作文
心に影響する言葉
今、三年生にして、自分のことをよく知るかどうか分からなかった、なんとなく殘念な人生だと思う。自信に満ちた態度をして、人生の目標を向かって、一生懸命に進めることはどうだろうか。
高校時代の時、大學に入學できるために、毎日必死に勉強することになる。だが、成績が上がらず、下がっていく一方だ。なぜこんな結果になるのか、いつもとおりこんな成績を持って、自分の能力がだめだと思う。母がこのことを知って、「誰でも失敗することもある、でも、それを乗り越えてこそ、新しい自分が生まれる。何度も経験して成長した自分が得られるだから」といった。その時、私はとても驚きになった、母が私のことを怒ったどろか、勵ましんだことをくれた。私は頑張ったことを聞きくれたので、すごくうれしかった。元気になったが、自信がない。自分は本當にこの能力を持ったか、とても心配だと思う。こんな時、母の言葉を思い出して、最後まで自信を持って、このことを頑張って、成功することになるだろう。
また、こんなこともあった、ある日、先生のところに行った、先生が「王さん、大丈夫、入學試験合格できるから、元気になって、自信を持ったからよかった」と言った。先生の話をよく考えた末に、自分の問題がやっと発見した、以前は自信を捨てて、自分の能力を埋めて、目標ははっきりしていない、したがってそのまま進歩できない。
先生と母が同じことを言うとおり、自信の問題だ。もし、自分は自分のことを信じなっかたら、誰もあなたのことを信じられないと思う。まず、自信を持って、皆頑張れば誰でもできる。失敗してもいい、失敗は自分の欠點を教えてくれる友達。勉強だって、生活だって、何度もチャレンジして頑張ればきっと成功するだろう。そしてそこには必ずすばらしい未來が待っている。今までいつも母と先生の言葉をよく考えて、大きな影響を與えることになった。
おうびてい1002
第四篇:作文 私と日本語
私と日本語
日本語について、何だか複雑な気持ちを持っています。最近、その感じはもっと深くなります。おもしろいですか、それとも、つまらないですか、私はちょっとわかりません。その気持ちにつれて、さまざまな互いに逆なことをしに始めます。教室で、メモを真面目に取るときがありますけど、先生の話を聞かないときもあります。寮で、よく予習と複習したいですけど、パソコンゲームには大量な時間がかかります。いつか、私は日本語が苦手だと思って、自信が持っていません。
書きここに、昔のことを思い出します。大學に進み始めるとき、十分な勤勉でした。課文はどんな長いでも覚られるし、テストの成績もいいでした。そのときは自信満々で、日本語の難しさはぜんぜん分かりませんでした。
しかし、そんな狀況は間も無く変わりました。それぞれな用事が來て、時間が少なくなっています。ギターを弾いたり、ドラムを學ったり、學生會の活動に參加したりして、毎日とても忙しいです。最近は広州語で話すのが興味を持って、よく勉強しています。それに、英語のテストの準備も進めます。それは全部で日本語に替わています。今、わたしは大変な心配です。
日本語學っ科の學生として、日本語は一番大切なものだと考えます。だから、これから頑張らなければなりません。必ず、今度の冬休みをきっかけ、もう一度上っています。
第五篇:日本語作文ーー遠足
遠足
楽しみにしていた5月8日の學校の遠足がついに近づいてきました。
5月8日、朝7時半にみんな學校で集合して、バスのところに行きました。8時頃バスが予定通りに出発し、それから途中で先生が車窓案內してくれて、サントリーと明治大學の大體の場所を知りました。10時30分に西湖いやしの里根場に著いて、皆がよろいかぶとと著物を體験したり、古民家を見たりしましてとても楽しかったです。それから、バスに乗ってお晝ごはんを食べに行きました。
晝食は「光風閣クワルビレストラン」という立派なところで、どんどん食べて、おなかいっぱいでも食べられないぐらい食べてしまいました。
食事が終わったあと、西湖の岸伝いに歩きました。それから、バスに乗って富士芝桜まつりを見に行きました。初めて見た芝桜は驚くほどきれいでした。帰り途中でみんなが疲れていて、眠ってしまいました。
とにかく、この度の遠足は楽しくて、とても満足しました