第一篇:初級日語經讀短文三十篇(范文模版)
手紙
恵子さん、お元気ですか。
毎日暑いですが、私は元気ですから、安心してください。日本に來てから、もう二カ月です。日本語の勉強は面白いですが、少し難しいです。いつも學校の友達と日本語で話しますが、時々言葉を忘れます。ですから、ちょっと心配です。
明日は休みですから、勉強がありません。ですから、今晩早く寢ます。また手紙を書きます。
體に気を付けてください。さようなら。
張立 美智子さんへ
元気ですか。私はウィーンにいます。ここはちょっと寒いです。ウィーンはとてもきれいな町です。
昨日はお城を見ました。古かったですが、とてもきれいでした。たくさんの寫真を撮りました。夜はクラシックのコンサートに行きました。よかったです。ウィーンにはカフェがたくさんあります。毎日カフェでコーヒーを飲みます。ケーキも食べます。とても美味しいです。
四月に帰ります。また日本で會いましょうね。
山田良子 みちこ
3スミスさんの手紙
恵子さん、來週の土曜日にうちへ遊びに來ませんか。國の料理をいろいろ作ります。周さんやキムさんも來ますから。みんなでいろいろ話しましょう。
うちは市川ですから、JRの市川駅で待ち合わせましょう。駅前のスーパーで果物やお酒を買います。それから、うちへ行きましょう。
待ち合わせの時間は何時にしましょうか。11時ごろはどうですか。明後日の夜、電話をします。その時に時間を決めましょう。
マリア?スミス
山本さんへ
先日はどうもありがとうございました。とても楽しかったです。寮ではあまり日本の料理を食べませんが、お母さんの料理はとても美味しかったです。それから、著物をありがとうございました。とてもきれいな著物ですね。
どうぞ、韓國に來てください。私はソウルの面白いところを知っていますから、案內します。
11月28日
スー?キム 加藤さん、お元気ですか。毎日寒いですが、私は元気ですから、心配しないでください。日本へ來てから、もう三週間です。日本語の勉強は面白いですが、少し難しいです。いつもセンターの人と日本語で話しますが、時々言葉を忘れます。工場へ行ってから、日本語 1 で話さなければなりません。ですから、ちょっと心配です。
明日は休みですから、勉強がありません。ですから今晩早く寢ます。また手紙を書きます。體に気を付けてください。
さようなら。
ラオ 私のアパートには、外國人がたくさんいます。韓國人、中國人、アメリカ人、イタリア人、それから、インド人もいます。いろいろな國の人がいますから、とても楽しいです。アパートは狹いですが、とても古いので家賃が安いです。それに、部屋が南向きですので、日當たりがいいです。でも、すぐ近くに大きい道路がありますから、とてもうるさいです。今、私は、靜かなアパートを探していますが、安くていいアパートはありません。
昨日は休みでしたから、私は友達のリーさんと新宿に行きました。新宿はとても賑やかな町でした。駅の近くにいろいろな店がありました。私たちは大きいカメラ屋に入りました。リーさんはこの店でデジカメを買いました。私もカメラが欲しかったです。でも、お金はありませんでしたから、何も買いませんでした。朝、私の部屋に入って、窓を開けてください。
冷蔵庫にミルクがあります。飲んでください。冷蔵庫の中の食べ物も食べてください。メアリーさんの本が機の上にあります。メアリーさんに返してください。それから土曜日にパーティーをしますから、ロバートさんに電話を掛けて、音楽のテープを借りてください。
金曜日にパーティーの買い物をしてください。じゃ、お願いします。今日は朝早く起きて、ロワールの小さい村へ行きました。パリからロワールまで、バスで三時間ぐらいかかりました。パリには日本人がたくさんいましたが、ロワールの村では、日本人は私たちだけでした。
ロワールには、お城がたくさんあります。古いが、とても大きくてきれいです。お城のそばで、たくさんの寫真を撮りました。
晝ご飯は村の小さいレストランでフランスの家庭料理を食べました。ワインも飲みました。ワインは安くてとても美味しかったです。晝ご飯の後、レストランの隣の小さい店でお土産を買いました。絵葉書とコーヒーカップとブローチです。とてもきれいなブローチですが、安かったです。
午後6時ごろホテルへ帰りました。今日は楽しかったですが、少し疲れました。
日本の季節
日本の一年には春と夏と秋と冬の四つの季節があります。
三月と四月と五月の三か月は春です。
春は暖かくていい季節です。桃や桜など、花がたくさん咲いてきれいです。六月と七月と八月の三ヶ月は夏です。夏は大変暑くて、私は嫌いです。
七月と八月は夏休みで、若い人たちは海や山へ行きます。九月から十一月までは秋です。
秋の夜は靜かで涼しくて、私は大好きです。このごろは月がきれいで、十五夜にはお月見をします。
十二月から二月までは冬です。
日本の冬は大変寒くて、北の方では雪がたくさん降ります。東京でも時々降ります。私の國では夏はあまり暑くなくて、冬は暖かいです。
1年中行事
一月一日は日本のお正月です。朝はお雑煮を食べます。大勢の人がお寺や神社にさんぱい
じんじゃ
ねんじゅうぎょうじ參拝します。二月の初めに節分があります。三月三日は雛祭りです。女の子は雛人形を飾ります。五月五日は男の子の祭りです。この日に鯉のぼりを立てます。七たなばた
ちゅうじゅんかざ
せつぶんひなまつひなにんぎょう月には七夕があります。八月の中旬はお盆です。九月の満月の日にはお月見をし
うんどうかい
ぼんまんげつます。十月十日は體育の日で、その前後に、運動會があります。十一月十五日は七五三で、その日は三歳と七歳の女の子と、三歳と五歳の男の子が神社に參拝します。
ぜんご1私たちの生活
私たちは大連外國語大學日本語學院の一年生です。私たちの専攻は日本語です。毎朝、私たちは大體6時ごろに起きます。それからすぐ運動場へ行きます。運動場で朝の運動をします。運動の後、すぐ寮に帰ります。寮で歯を磨きます。顔を洗います。私たちは部屋で朝ご飯を食べません。いつも學生の食堂で朝ご飯を食べます。朝ご飯はほとんどパンと牛乳です。時々ライスを食べます。私たちは毎朝、教室で日本語の発音の練習をします。授業は午前8時20分に始まります。そして午後4時10分に終わります。夜は教室で自習をします。私たちはいつも夜10時半ごろ寢ます。私たちの寮にテレビはありません。全然テレビを見ません。時々學校の映畫館で映畫を見ます。
1私の一日
私は毎朝六時半に起きます。そして、ラジオの中國語の勉強を始めます。中國語の発音は大変難しいです。七時半ごろ朝ご飯を食べます。
私の家は郊外にあります。會社は町の真ん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で會社へ行きます。家から會社まで50分かかります。電車はいつも大変込みます。ここうがい
ま
なか 3 會社は9時に始まります。仕事はたいてい6時半に終わります。時々駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。
私の會社は旅行社です。私は本社にいます。支店は中國に八か所あります。仕事はたいへん面白いです。私たちはよく出張します。來週は九州へ行きます。しかし、出
しゅっちょう
張はとても疲れます。
日曜日はほとんどの會社は休みます。しかし、私の會社はめったに休みません。社員はこうたい交替で休みます。
休みの日は一カ月に4回ほどです。その日は晝ごろに起きます。あまり外出しません。うちでゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し飲みます。そして、ステレオで音楽を聞きます。時々テレビも見ます。
4メアリーさんの週末
金曜日に日本人の友達と公園に行きました。公園で友達と話しました。それから、レストランへ行きました。たくさん食べました。土曜日は一人でお寺へ行きました。たくさんの店がありました。店でお饅頭を買いました。
日曜日は遅く起きました。お母さんも遅く起きました。私は朝テレビを見ました。それから、お母さんと晝ご飯を食べました。午後は日本語を勉強しました。本も読みました。
5私の家族
私は家族が全部で8人います。祖父と祖母と父と母と兄が2人と姉と私です。父と母は臺灣に住んでいます。
私は今日本で1人で住んでいますが、いちばん食べたい料理は母の料理です。母は背が低くて、少し太っています。とても優しくて、私は母が大好きです。
父は會社の社長をしています。背が高くて優しい人です。私は一番顔が父に似ています。だから、父は私が一番好きです。一番上の兄は今貿易會社に勤めています。たぶん來年結婚します。
私は家族が大好きです。家族は本當に大切だと思います。
ほんとう
たいせつ
ぼうえきかいしゃしゃちょう
にふと16 今日はお休みです。私は友達の中村さんと展示會を見に行きました。私は日本で初めて展示會を見ます。ゆっくり見るために、八時半ごろ、私たちは車に乗って出かけました。車の中で私はいろいろ聞きました。
「展示會を見る時、何か注意事項がありますか。」 「はい、あります。展示室に入ってから、寫真を撮らないでください。タバコを吸わ てんじしつ
てんじかいないでください。タバコは喫煙室で吸ってください」。車の中で、中村さんはいろいろと説明しました。
9時半ごろ、私たちは展示會場に著きました。展示會場は広くて、見物客でいっぱいでした。
つ
けんぶつきゃく
きつえんしつ17
私の一日
私は毎朝八時に起きて、急いで洋服を著て、八時半ごろ朝ご飯を食べます。それから、ニュースを聞いて、九時過ぎに家を出ます。歩いて中野駅へ行って、中野から地下鉄に乗って、早稲田まで行きます。
月曜と水曜と金曜は午前中教室で日本語を勉強して、午後2時ごろまで、図書館で本を読んで、2時20分から5時ごろまで物理や化學の実験をして、7時ちょっと前に家に帰ります。
そのほかの日は理工學部のいろいろな講義に出て、6時前に帰ります。
私はいつも家で晩御飯を食べます。それから3時間ぐらい専門の勉強をして、11時ごろ寢ます。
昨日は私の誕生日でした。私はケーキと果物をたくさん買って帰りました。友達を大勢読んでトランプをして遊びました。
りこうがくぶ
ぶつり
かがく
じっけんわせだ
なかのえき
ようふく18
訪問のマナー
人を訪問する時、あらかじめ電話で日時を約束しなくてはいけません。そして、約束した時間より早く行ってはいけません。必ず約束の時間に行ってください。
家に入る時はベルやチャイムを鳴らしてください。勝手にドアを開けてはいけません。手土産は部屋に入って渡してください。その時はこう言います。「ささやかですが、どうぞお受け取りください。」
でも、花や生鮮食品は部屋に入る前に渡してください。訪問先で食事をする時は、嫌いなものは無理に食べなくてもいいです。帰る時はお禮を言ってください。「今日は本當にありがとうございました。」 次に會ったときも必ずお禮を言ってください。「先日はどうもありがとうございました。」せんじつむりせいせんしょくひん
わた
ほうもんさき
な19
鈴木さんは最近一カ月ほど日本へ帰っていました。家族の人たちはみんな元気でした。鈴木さんは中國にもどって、李さんを訪ねて家族の寫真を見せました。それは家族の人たちが一緒に上野公園で花見をしている寫真でした。鈴木さんの家族は鈴木さんを入れて五人です。ご両親とお姉さんとお兄さん一人がいます。鈴木さんは末っ子です。お父さんは松下電器に勤めています。お母さんは今年、定年になりました。お姉さんは中學校の先生をしています。
鈴木さんのお父さんは青いポロシャツを著ています。お兄さんは赤いネクタイを締めて、黃色いズボンをはいています。鈴木さんは黒い眼鏡を掛けて、白い帽子をかぶっています。とても幸せなご一家です。
しあわ
し
まつしたでんき
ていねん
たず20
公園
公園にはたくさん花が咲いています。木もたくさんあります。子供が大勢遊んでいます。小鳥が木の上で歌っています。小さい川が公園の中を流れています。川には橋がかかっています。鯉が泳いでいます。赤い鯉も黒い鯉もいます。向こうで中學生が寫生をしています。男の子と女の子がブランコに乗っています。親がそばで見ています。老人たちは散歩しています。男の學生たちはボールを投げて遊んでいます。女の學生たちは踴りながら歌を歌っています。公園の中は明るい光でいっぱいです。私たちは先週の土曜日、お弁當を持って、公園へ行きました。花壇の美しい花を見てから、池を回って、ベンチで休みました。私は本を読みました。妹は寫生をしました。私たちは川の近くに住んでいます。私は川のこちらの町はよく知っています。しかし、川の向こう側の町のことはあまり知りません。
まわ
なが
21手紙
王さん、暑い日が続いていますが、お元気ですか。
夏休みが始まって、もう半月たちました。この半月の間、私たちは山や海でよく遊びました。私たちが山に登っている間はずっといい天気でしたが、海へ行っている間はよく雤が降りました。これからは毎日蒸し暑くて大変です。
八月十五日は土曜日で、お祭りの日です。いつも靜かで寂しい町も、その夜は騒がしくて賑やかな町になります。みんな歌いながら踴ります。王さん、土曜日の夕方からぜひ來てください。ごちそうを作って待っています。
まだ暑さが続きます。どうぞお體に気を付けてください。さようなら。
八月七日
ゆうがた
さわ
む 6
私は果物が大好きです。フィリピンでは、毎日マンゴーやパイナップルなどをたくさん食べていました。マンゴーは甘くて、とても美味しいです。日本のスーパーには、リンゴやみかんやバナナなどいろいろな果物があります。でもマンゴーはあまり売っていません。先週、デパートの売り場にマンゴーがありました。私は嬉しくて、五つ買いました。一つ三百円で、びっくりしました。
日本の果物では、リンゴが一番好きです。しかし、日本は食べ物の値段がとても高いです。それで、一週間に一度ぐらいしか食べません。
ねだん23 學校から相撲の券をいただいたので、日曜日に友達と相撲見物に行きました。両國
めずらすもうけん
すもうけんぶつ
りょうこくの近くでは、電車の中でも、道でも、お相撲さんを何人も見ました。著物を著て、珍しいヘアースタイルをしていました。やっぱりとても大きい人です。
少し時間があったので、喫茶店に入りました。その喫茶店の中にも、お相撲さんがいたので、驚きました。親切に、私たちと並んで、寫真に入ってくれたので、とてもうれしかったです。
相撲の試合、儀式、行事の著物、聲、ハワイのこにしきなど、みんな珍しくて、テレビで見るよりずっと面白かったです。とても楽しくて、いい思い出になりました。
ぎしきぎょうじおどろ
なら24 山田さんは去年の8月に北海道へ旅行に行ってきました。8月の東京は蒸し暑くて大変ですが、北海道はとても涼しかったです。山田さんは北海道で、ラーメン、アイスクリーム、魚などいろいろな物を食べました。みんな美味しかったです。山田さんはプリンセスホテルに泊まりました。小さいホテルでしたが、海に近くて、周りの景色もとてもきれいでした。夜、部屋から外を見ると、靜かな夜の町がとてもロマンチックでした。賑やかな東京の町もいいですが、北海道は広くて、靜かで、気持ち良い所でした。美味しい食べ物、靜かでロマンチックな夜、みなさん、北海道へ行きませんか。日本は一年に祝日が十四日間あります。特に四月の末から五月の初めまではゴールデンウィークで、休みの日が多くて、大勢の人が旅行をします。
田中さんは今年の夏休みに留學生たちと一緒に旅行をしました。飛行機で北京へ行きました。スチュワーデスは親切で、とても楽しい旅行でしたが、少し疲れました。北京に三日間いましたが、毎日とてもいい天気でした。晝はちょっと暑かったですが、朝と夜はあまり暑くありませんでした。ホテルの部屋はきれいで広かったですが、あまり靜かではあ 7 りませんでした。
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私は18歳の女子高校生です。來年、大學に入りたいと思っています。私の趣味は寫真を撮ることです。私の住んでいる町は山の中にあって、きれいな湖があります。學校が休みの時は、いつも山や湖に行って、寫真を撮ります。去年の夏休みには、友達と一緒に京都へ行きました。京都には有名なお寺や古い建物がたくさんあります。私が一番きれいだと思ったのは「桂離宮」です。そこで寫真をたくさん撮りました。學校の勉強は歴史が好きです。大學では歴史の勉強をしたいと思っています。歴史の時間に勉強した場所を旅行して寫真をたくさん撮るのが夢です。
私はこんな女の子です。同じ趣味の人、私と友達になってください。下の住所に手紙をください。同じぐらいの年齢の人がいいです。よろしくお願いします。今日、私は寮の近くのスーパーマーケットへ買い物に行きました。まず、野菜コーナーで、リンゴを四つとトマトを五つ買いました。リンゴは一つ100円でしたが、四つで350円でした。次に、肉のコーナーで鶏肉を200グラムを買いました。それから二階へ行って、靴下1足、ノート1冊、フィルムを2本買いました。雤が降りましたから、タクシーで帰りました。タクシーは1キロメートル650円でした。レストランで注文を受けた店の人が、注文を確かめています。
はい、えー、では、ご注文を繰り返します。お刺身の盛り合わせが二つ、それから、てんぷらが一人前、焼きおにぎりと、お味噌汁が、それぞれ4人前、それに、とんかつが二つ。お飲み物は、ビール二本とジュースが一本。はい、以上でよろしいでしょうか。ありがとうございました。では、まず、お飲み物からお持ちしますので、少々お待ちくださいませ。
いじょういちにんまえ
みそしるちゅうもん
く
かえ
も
あ
たし29
高校の恩師への手紙
趙先生
拝啓 空高く、雲一つない爽やかな秋となりました。先生お変わりございませんか。はいけい
さわ
おんし 8
ねんがん念願の大學に入って、もうすぐ一ヶ月になります。こちらの食事と寮生活にもだいぶ
どうきゅうせい慣れてきました。大學の先生も優しく、先輩も親切で、同級生ともすぐ友達になって、毎日楽しく過ごしています。
この大學はさすが百年余りの歴史を持つ大學で、図書館の蔵書は200萬冊もあるそうです。在學中の學部生、大學院生は合計1萬6千人になります。時々留學生も見かけます。特に日本人留學生が多いようです。
専攻科目の授業時間數が少ない代わりに、いろいろな選択科目があって、自分が興味ぶんや
よそう
せんたくかもく
きょうみとくがくぶせい
だいがくいんせい
ごうけいひゃくねんあま
ぞうしょすなを持っている分野を勉強できるようになりました。そして、予想より自由時間が多く、えつらんしつ閲覧室で読書したり、インターネットカフェで過ごしたりしております。學生食堂の前
は
かつどう
さかの掲示板には、いつも様々な講座のポスターが貼ってあります。サークル活動も盛んです。一応書道部に入っています。
日本語の授業は週に4時間あります。高校に比べて、學ぶべき単語の量が増えました。聞く練習も話す練習も多くなりました。先週、坂本という日本人留學生と知り合いました。初めて本當の日本人と日本語で會話ができて、とても嬉しかったです。
暇な時には故郷が思い出されます。両親も、同級生も、先生もみんな懐かしいです。早く冬休みが始まってほしいと思っています。特に先生には3年間ずっと日本語を教えていただいて、今の私の勉學の基礎を作っていただいたことを思い、感謝の気持ちでいっぱいです。高校の卒業式の時、先生が贈ってくださったお言葉を、改めてかみしめています。大學では、先生のお言葉を胸に、より高い目標を目指して頑張ろうと思います。
またお便りいたします。先生、どうかお元気でお過ごしください。たよ
むね
もくひょう
めざ
おく
あらたべんがく
きそ
かんしゃ
きもふるさとおも
だ
なつ
さかもと
りょう
ふいちおうしょどうぶ
敬具
孫敏
2002年9月20日
インタビュー
記者:メアリーさんは 音楽が好きですか。メアリー:ええ、好きです。記:どんな 音楽が好きですか。
メ:そうですね。アメリカのロックが 好きです。うちで よく聞きます。記:ジャズも 好きですか。
メ:いいえ、ジャズは あまり好きじゃありません。記:そうですか。クラシックは?
メ:嫌いです。クラシックは 分かりません。記:週末 何をしますか。
メ:そうですね。よく映畫を見ます。記:どんな 映畫ですか。
メ:うーん。サスペンスが 好きです。先週ヒッチコックの映畫を 見ました。ともて面白かったです。ぜんぜん 古くありませんでした。
記:武さんは どんな音楽が好きですか。
武:ジャズが 大好きです。よくジャスを聞きます。記:そうですか。ロックは?
武:あまり 聞きません。あまり好きじゃありません。でも ビートルズは好きです。記:クラシック音楽は 好きですか。
武:ええ、好きです。ときどき コンサートへ行きます。記:そうですか。映畫は どうですか。
武:好きです。サスペンス映畫とホラー映畫が大好きです。
私は日本の大學へ入學したくて來ました。まだ日本語がよくわかりませんが、來年じゅけん受験したいです。私の父は日本の大學を卒業したので、いろいろ相談して決めました。
そうだん卒業してから日本のコンピューターの會社に勤めたいです。日本はコンピューターのぎじゅつ技術が高いのでとても勉強になります。
6、7年日本にいたいと思います。
それから、國へ帰って小さいコンピューターの會社を作りたいです。仕事が成功するように一生懸命働くつもりです。
いっしょうけんめい32 私は今、オートバイがほしいです。日本へ來る前からずっと日本のオートバイが欲しか
ほ 10 ったのです。でも、それは千円で買えません。私の弟は日本のカメラをほしがっています。それも千円では買えません。千円で買えるものはパンやコーヒーやノートや鉛筆や靴下などです。
私は毎日、學校の近くのパン屋でパンと牛乳を買って、お晝に食べます。500円ぐらいですから、千円では二回しか食べることができません。私の國では食べ物がとても安いですから、千円で晝ご飯が五回食べられます。
千円で買える物は日本と私の國では本當に違います。
第二篇:日語短文
1、未來の生活
最近、攜帯電話がどんどん小さくなって、腕時計と同じ大きさのものもできたそうです。
また、寫真も送れる電話があるそうです。けれども、小さくなりすぎると、使いにくいと思う人もいるかもしれません。將來は、今より人間の體にあった、もっと便利な電話ができるでしょう。
今、大きい町ではどこでも、環境が問題になっています。道が混んで、空気が汚れています。最近は、ガソリンではなくて電気で動く車が作られています。これからは、みんな空気をあまりよごさない車に乗るようになるでしょう。
また、日本では「観光丸」という宇宙ロケットを作る計畫があります。これからは、おおぜいの人が乗れるロケットが作られて、だれでも宇宙旅行ができるようになるでしょう。もし宇宙に行ったら、「もっと地球を大切にしよう」と考えるようになるかもしれません。注釈
観光(かんこう)「名?他サ」觀光,游覽
宇宙ロケット「名」宇宙飛船
2小和尚摘星星
ある夜(や)のこと,お寺(てら)の庭(にわ)で,小僧(こぞう)さんが,長い竹竿(たけざお)を,あっちこっち振り回しておりました。
和尚(おしょう)さんがこれを見つけて,「これこれ,そこでなにをしているのじゃ……。」
と聞きますと,小僧さんは,「お空(そら)の星(ほし)が欲しくって,打ち落とそうとしているのでございますが,一つも落ちてまいりませぬ。」
すると,和尚さん,「ばかなやつじゃ。考えてみれば,分かることではないか。そこからでは,星に屆(とど)くわけがない。屋根(やね)に上がるのじゃ。」
3、ダ?エット中にガマンしている食べ物、1位は「揚げ物」
ダ?エット食品?マ?クロダ?エットを扱うサニーヘルスが全國の18~65歳の男女を対
象に『ダ?エット中にガマンしている食べ物?飲み物』に関する?ンケートを実施。「
ガマンしている食べ物」という項目では、1位に【揚げ物】(28%)、2位に【焼肉?お
肉】(15%)、3位には【フ?ストフード】と【ケーキ】(7%)が並んだ。年代別に結
果を見てみると50代を除く全世代で【揚げ物(平均30%)】がトップという結果もあり3位の【ケーキ】に代表されるス?ーツよりも、ダ?エットの天敵として恐れられて いるようだ。
上位の【揚げ物】、【焼肉?お肉】を挙げた理由には、「カロリーが高い」、「油を摂
りすぎる」という王道の意見が多數。さらに、食品自體のカロリーよりも「焼肉やとん
かつと白いごはんの組み合わせが美味しくて、食べ過ぎてしまう」と、ガマン
をする理
由として“白ごはんが進む”とい意見もちらほら。その【ごはん】をガマンしていると
いう人もおり、炭水化物を控えることがダ?エットの要と捉える人は多い。
トップの?ルコールを挙げる人の中には、酒の席で一緒に食べる“おつまみ”に注意を
払う人や、「酔った勢いで食事の量が増えてしまうから」、「気が大きくなりダ?エッ
トなんかもういいやと考えてしまうから」と酒の勢いに、強い警戒心を持っている人も
いるようだ。
先日、米國のニュースサ?ト?CNN.comでは「肉やケーキなど、高カロリー?高脂肪の食
品はドラッグと同じように中毒性がある」というニュースが掲載され、ジャンクフード
など高カロリー?高脂肪の食品を食べ過ぎると、脳の快楽中樞を刺激し続け、最後には
破壊してしまうという実験結果(動物実験)が報告された。
“つい食べ過ぎてしまった……”という反省は、自分の意志の弱さによるものといえる
が、一方では無意識のうちに脳內で高カロリーな食事を求めるス?ッチがONになってし
まうこともあるようだ。夏に向け軽裝になり、ボデ?ラ?ンを気にする人は多いはず。
手遅れになる前に食に関する生活習慣の見直しが必要といえそうだ。
4、片っ方だけで十分
どんな上等なものでも、ペ?にならないと、一銭の価値もないものがあります。靴や手袋がそうです。私が高いメッシュの靴を買い、仲間とワゴン車で九州往復のドラ?ブをしたのですが、靴を脫いでシートに座るため、休憩ごとにはいたり脫いだりするのです。帰ってみると、どうしてもかたっかたがないのです。バカを見ました。
ある春の初め、橫浜港へ大量の靴が輸入されました。それも片方ずつの包裝です。
受取人は日本のシューズメーカー。輸出國は?タリ?です。どれも一流のブランドの高級婦人靴です。片方だけでは売り物にならないので、わざとばらばらに輸入したのかと、稅関のお役人さんが、そこら一面にずらりと並べてみました。だが左右の大きさが異なるもの、色やへいがそろわないものばかりです。
輸入業者が呼ばれました。
その業者の説明によると、?靴製造技術無効に教材として輸入したもので、研究用だから、片っ方だけで十分ですよ。それに一足ずつ買えば、あちらで高いものにつきますよ。?と言うのです。
ごもっても。商品ではないので稅金は取られませんでした。
秋の全國會議が終わって、懇親會となり、橫浜港の稅関市と神戸の稅関しに座りました。
?春先に片っ方ばかりの靴が教材として輸入されたことがあるが、ヨーロッパでは、片っ方だから、と安く売るのかね。?
5、“崖の上のポニョ”
ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子
青い海からやってきた
ポーニョ ポーニョ ポニョ ふくらんだ
まんまるおなかの女の子
ペータペタ ピョーンピョン
足っていいな かけちゃお!
ニーギニギ ブーンブン
おててはいいな つないじゃお!
あの子とはねると 心もおどるよ
パークパクチュッギュッ!パークパクチュッギュッ!
あの子が大好き まっかっかの
ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子
青い海からやってきた
ポーニョ ポーニョ ポニョ ふくらんだ
まんまるおなかの女の子
フークフク いいにおい
おなかがすいた 食べちゃお!
よーくよく 見てみよう
あの子もきっと見ている
いっしょに笑うと ホッペがあついよ
ワークワクチュッギュッ!ワークワクチュッギュッ!
あの子が大好き まっかっかの
ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子
崖の上にやってきた來自懸崖之上
ポーニョ ポーニョ ポニョ 女の子
まんまるおなかの元気な子肚肚圓滾滾的人魚孩子!
6、會跳舞的三色貓
むかしむかし、あるところに、三毛貓を可愛がっている三味線ひきのおばさんがいました。
ある日の事、三毛貓に踴りを教えてみようと思ったおばさんは、いろりに鉄鍋をかけて、その中に三毛貓を座らせました。
それからいろりに少しばかりの炭火を入れて、貓の足がやけどしないぐらいに溫めました。
鍋の中が熱くなってくると三毛貓は思わず立ちあがり、すかさずおばさんが鳴らし始めた三味線に合わせるように、熱くなった手足を動かして踴る格好をしました。「そうそう、上手、上手」。
おばさんは貓が手を上げるとピン、足を跳ねるとトン、手足を下ろすとシャンと、上手に三味線をならしました。
こうして少しずつ練習を重ねていると、しまいに三毛貓は三味線の節を覚えて、鉄鍋の中に入れなくても一人で踴るようになりました。
おまけに節に合わせて、?ニャ、ニャン、ニャーと、可愛く言うのです。
この踴る三毛貓の噂はあっというまに広まって、あちらこちらから、ぜひ三毛貓の踴りを見せてくれと頼んでくるようになりました。
?トン、トン、ピン、シャン
?ニャ、ニャン、ニャー
ところが、三毛貓があまりにもうまく踴り歌うので、それをねたんだ人たちが、「あの三毛貓は、化け貓だよ」と、言い始めました。
それからはおばさんは三毛貓の踴りを人には見せずに、自分だけの楽しみにしたそうです。
7、關于SOS的起源:
SOSは、國際的に使用されている遭難信號だ。SOSの起源について、これは「われらの船を救え(Save Our Ship)」という文章の三つの頭文字をつなぎ合わせてSOSにした、という説があるが、これは間違いだ。
SOSには何の意味もない。モールス符號の中で最も単純でわかりやすい信號を、組み合わせて作っただけ。
モールス符號で、Sは……、Oは———。だから、つないでSOSはすれば、……———……になる。
これならば無線電信號に慣れない人にも打てるし、受信する方もまぎらわしくない。こうして簡単明瞭のためにSOSが生まれた。
SOSを最初に打電したのは、一九一二年、北大西洋で氷山と衝突して沈沒した豪華客船タ?タニック號だ。それまでの遭難信號はCQDと発信していたのだが、タ?タニック號の処女航海の直前に新しい條約が作られてSOSに変更された。そのため、タ?タニック號はSOSの最初の発信者となったわけ。
8、どんな上等なものでも、ペ?にならないと、一銭の価値もないものがあります。靴や手袋がそうです。私が高いメッシュの靴を買い、仲間とワゴン車で九州往復のドラ?ブをしたのですが、靴を脫いでシートに座るため、休憩ごとにはいたり脫いだりするのです。帰ってみると、どうしてもかたっかたがないのです。バカを見ました。
ある春の初め、橫浜港へ大量の靴が輸入されました。それも片方ずつの包裝です。
受取人は日本のシューズメーカー。輸出國は?タリ?です。どれも一流のブランドの高級婦人靴です。片方だけでは売り物にならないので、わざとばらばら
に輸入したのかと、稅関のお役人さんが、そこら一面にずらりと並べてみました。だが左右の大きさが異なるもの、色やへいがそろわないものばかりです。輸入業者が呼ばれました。
その業者の説明によると、?靴製造技術無効に教材として輸入したもので、研究用だから、片っ方だけで十分ですよ。それに一足ずつ買えば、あちらで高いものにつきますよ。?と言うのです。
ごもっても。商品ではないので稅金は取られませんでした。
秋の全國會議が終わって、懇親會となり、橫浜港の稅関市と神戸の稅関しに座りました。
春先に片っ方ばかりの靴が教材として輸入されたことがあるが、ヨーロッパでは、片っ方だから、と安く売るのかね。
9、女主人とめしつかいの女たち
はたらきものの未亡人が、わかい女たちをめしつかいとしてやとっていました。
朝くらいうちに、ニワトリが時をつげると、女主人はたちまちめしつかいをたたき起こして、せっせとはたらかせるのでした。
めしつかいは、いつもへとへとにつかれていました。
「こんなにわたしたちがくたびれるのは、あのにくらしいニワトリのせいだわ。あれが夜のあけないうちからご主人をおこすからいけないのよ」
と、めしつかいたちは考えて、ニワトリを殺してしまうことにしました。
ところが、この計畫を実行してニワトリを殺してしまうと、かえって前よりもひどいことになりました。
というのは、女主人はニワトリの聲で時間を知ることができなくなったために、もっとずっとはやくから、めしつかいたちをおこして、はたらかせるようになってしまったからです。
この話は、よいと思ってやったことのために、かえって不幸を招くばあいがおおいことをおしえています。
10、1.人を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ。——手塚治蟲
2.人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。そして、必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのです。——渡辺和子
3.人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。——中村天風
4.読書は學問の術なり、學問は事をなすの術なり。——福沢諭吉
5.成功している人はみな、途中であまり道を変えていない。いろんな困難があっても志を失わず、最後までやり遂げた人が概して成功している。——松下幸之助
6.時間を守れん人間は、何をやってもダメだ。ーーー田中角栄
7.天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。——福沢諭吉
8.良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行いに利あり。ーーー孔子
第三篇:日語小短文
月の女神と母親 あるとき、月の女神が母親にたのんで、からだにぴったりあう著ものをつくってほしいといいました。
すると母親はいいました。
「どうしてぴったりする著ものなんかつくれると思うの。おまえは、今はまん丸だと思っても、こんどは半分になるし、その次にはまた三日月になるもの」
このように、気まぐれな人には、その人にあうものがありません。
どんなにすばらしいものをあたえても、すぐに気に入らなくなってしまうからです。
一天,月之女神拜托母親,請求她給給自己做一件非常合適的衣服。于是母親對她說:“為什么想要一件非常合適的衣服呢?你雖然現在樣子圓溜溜的,但是下次就變成半圓形了,再往后就成月牙形了。”
那些反復無常的人就和這個女神一樣。
無論給她多么好的東西,用不了多久就會生厭了。
第四篇:日語小短文(精選)
私の將來の夢
人々は自分の將來に夢を持って生きていくことがありますが、私も將來の夢を持っています。私のこの夢はあまりそれ程偉く、大きなものではありませんが、ただし、私にとっては大切なものです。何かといいますと、漫畫家になるということです。子供時代の私は科學家になりたいし、超人になりたいし、將來にいろいろな可笑しい夢を追ったことがあります。殘念ですが、今ではそれらの大部分をもう捨て、漫畫だけはずっと大好きで、漫畫家になる夢はずっと持ちつつけています。漫畫家は決められた固定的な労働時間と場所がない自由な職業です。漫畫を通していろんな幻想力みんなの目の前に展開できます。その中で人それぞれに楽しみを得ることができるじゃありませんか。なぜこんなに好きだと言いますと、その理由は幾つか考えられますが、主に次の二つの要因が考えられます。その一つは漫畫は別のジャンルよりずっと面白いです。子供でも、大人でもストレスがだんだん多くなって夢のない日常生活には、空想の世界に浸らせてくれるもっとも手軽な手段は漫畫を見ることかもしれませんね。漫畫家は人々に楽しみを伝える職業と思います。そして、もう一つの理由は面白い職業ばかりでなく、漫畫からたくさんの感動と感想がもらえると思うからです。八歳ごろ一冊の漫畫を読みました。名前も忘れてしまいましたが、影響力はまだ殘っています。それは勇気についての物語です。主人公は能力が足りないものの、一生懸命頑張っていたので、ついに成功しました。それ以來、そういう信念を持っています。まだできないのは大丈夫だが、この堅持の勇気を持たなければならないと思います。私は漫畫家になって、その勇気をみんなに話してあげて、次々に湧き起こってくる感動と感想をみんなと共に享受したのです。今その夢のために準備しています。頑張って絵を描く練習をすると同時に、漫畫の資料を集めています。漫畫家になる道は多分厳しく、疲れが多く、収入も少ないかもしれませんが、もう自分の理想を目指して、私の將來の夢は未來のある日にきっと実現できると固く信じております。
私の夢
夢は人間が誰でも持っているものでしょ。夢人が生きている力と希望といわれています。
皆さんはどんな夢を持っていますか?私はいろいろな夢がありますが、將來、何になりたいかはまだ考えていないです。この間、友人と夢についての話を浴したので、私は自分の夢をはっきりして、真剣に考えるようになりました
わたしはたくさんのことを興味に持っているから、多くのことをやってみたいです。たとえば、司會をしたいことや、ロックスダーになりたいことや、作家になりたいことなど世界でいろいろ好きなことを全部やってみたいです。興味があるから、困難があってもきっとあきらめないと重って、自身をもってやり続けています。どんなことをしても興味は一番大切なものだと私が思います。皆さんはどう考えいますか?興味がなければ、やる気もなかなか出られません。すると、仕事をやり続けることも無理でしょ。
私は今日本語科の學生です。三年前、日本のロックバンドL`Arc~en~ciel(ラルク~アン~シエル)が好きになって、日本語を自分で勉強し始めました。そして、日本の映畫やドラマをよく見るにつれて、日本の文學や伝統行事や日本人らしい発想を知りたくなったのです。去年、私は上海へいって、ラルク~アン~シエルのライブを見ました。初めて大好きなロックバンドのライブを見て、とても感動しました。大きいな喜びと幸せを感じられたと同時に、日本語にもっと興味がわいてきました。これから、もっと頑張って、日本語をしっかり勉強しようと決心しました。日本語は勉強すればするほど難しくなるそうですが、興味がもっているし、それにもっとロックのライブを見たい目標があるから、困ってもつらくてもきっとあきらめない、一生懸命頑張って勉強し続けて行こうと思います。
私はやりたいことがいろいろありますが、將來、どんな仕事をするかを決めるのは今私にとって難しいです。ぞれに、將來、社會人になると、思っても思えない困難がたくさん出てくるかもしれません。しかし、自分が好きな仕事ができて、毎日、楽しく過せるのをいつも望んでいます。ぞれは私の夢です。皆さんもそれぞれの夢があるでしょう。夢があるからこそ、日々の苦しみに耐え、明日もまた生きてゆこうという意欲が生まれます。昔からに成功者、偉人といわれる人々は、いずれも大きな夢を持ち、夢を育って、そして夢の実現のために努力した人たちです。そうといっても、努力することが嫌い、夢だけを大きく膨らませていたのは、いわゆる幻想で、やがてそれは、はかなく消えることになるでしょう。それで、皆さんは自分の夢を持っていて、夢に向かって、いっしょに頑張りましょう!
私の友達
私の友達はいつも勵ましてくれる先輩です。彼は高校三年生になった時、私はちょうど中學三年生になったばかりでした。
成熟した彼は大學入學試験の準備に入ってから、どんなに忙しくても、私のことを一位として、いつものように助けてくれました。その時成績がなかなか上がらないことに悩んでいました。彼は毎日暇があったら、休まずに私を散歩に誘っていたのです。
でも、受験勉強のせいで、仏頂面をするようになってしまいました。「ああ、なんでそんなそっけない顔をしてるの?ぼく、悲しいわ...」とわざと柔らかい聲で話しかけてくれました。不思議なことに、たとえ不愉快でも、彼の聲を聞くと、なんだか微笑みが浮かんできたのです。二人でいる時間が本當に早いものですが、そばにいてくれるというだけで、満ち足りるのです。
入學試験が終わった後、旅行しに行くことを約束しました。初めて外國に著く私たちはきれいな環境と空気に驚き、うれしさははじけるほどでした。でも、しばらくすると、臆病で、學校で勉強した外國語がうまく生かせなかったのです。気が短い性格なので、何か困難にあった時、「英語なんて、何にも役立たない。」と怒ってしまいました。「外國語を必修科目に見なしたら、ちゃんと身につけるわけがない。外國語はコミュニケーションの橋ですよ、大変役立つではないか。自信さえあれば、なんでもうまくできるでしょう。」それを聞いて、失った自信がだんだん戻ってきました。その一週間の間に実は私は変わっていったのです。
今、先輩は卒業し、有名な大學に進學しました。少しさびしく思われていますが、彼の勵ましで私も外國語大學に目指して、頑張っています。
お母さんのに手紙をあげます
親愛なるお母さん:
こんにちは!
あなたが私をこの世界に來させることに感謝して、數年來私の父母の恩に対してあなたに感謝します。あなたはどれだけの心血を費やしますかが分からないで私になります。あなた學習の上で、生活の上で私は行き屆いていて配慮と配慮ですに対して、あなたは私のために楽しい學習環境を創造しました。今日、娘は特に引き裂いてあなたの--私の常に付き合ったお母さんに手紙を書いて、私を表しますあなたの感謝の思いに対して。
學習の上で、普通の家長達poはただ子供の知識だけを重視して、あなたは私ぐいっと學ぶ鍵に。あなたが私に學んで--心まで(へ)4するべきなように教えます、目、口、手が著きます。心が著くのは考えが一心で、あれこれためらうことができません;目は問題をまで(へ)はっきり見ます;口は読むべきですのまで(へ)真剣に読んで、発言するべきなのは、恥ずかしがらないでください;手はまで(へ)いつも筆記に抵抗して、“良い記憶力がぼろぼろになるペン先に及ばないためですと大膽に言います。” あなたのこれらの方法は私に大いに利益を受けさせて、一生役に立ちます。
お母さん、私の成長の過程の中で、私のいかなる成績、すべてあなたの心血があって、あなたが私にどのように學ぶことをどのように身を処しますわかるように教えたのです。あなたは安心して、今后私はいっそう努力して學ぶことができ(ありえ)て、自分に全面的に発展して、自分を役に立つ人にならせます。
祈ります:體の健康!
祈ります:體の健康!
仕事は順調です!
あなたの娘
氷
「アルバイト」 「アルバイト」はもともとドイツ語で「仕事」という意味であるが、日本では40年ほど前から、學生の副業の意味として使われるようになった。
現在、日本の大學生の90%以上がアルバイトを経験しているという。そしてアルバイトのために學校を休む學生も多いそうである。
授業はやぼってもアルバイトにはいく。そういう大學生たちは何のために働いているのだろうか。あるアンケート調査によると、大學生のアルバイトは、サービス、販売など第3次産業の仕事が多い。そして、「どうしてアルバイトをするのか」という質問に対しては「海外旅行をしたいから」「車を買うため」などの回答が多かった。ほかにも、「貯金をして、留學の費用にするつもり」「學費は自分でかせぎたいから」「會社勉強になにから」という回答も見られたが、ごく少數てあった。この調査結果からわかるように、アルバイトの目的は遊ぶためのお金をためることが中心となっている。
たとえ遊びが.主な目的でも、アルバイトをすることで、労働の尊さやお金を得ることの大変さを體験できるのだから、大きな意味がある。しかし、アルバイトのためなら授業をさぼってもいいとのは問題である。
環境(かんきょう)は、広義においては人、生物を取り巻く家庭?社會?自然などの外的な事の総體であり、狹義においてはその中で人や生物に何らかの影響を與えるものだけを指す場合もある。特に限定しない場合、人間を中心とする生物に関するおおざっぱな環境のことである場合が多い。
環境は我々を取り巻き、我々に対して存在するだけでなく、我々やその生活と系わって、安息や仕事の條件となり、また狹義の環境については、我々が汚染し、破壊するという関系性の中で大きな問題になってきた。
人類は古くから文明を発展させてくる過程で、自然環境を資本として利用してきた。天然資源を原材料に物を作ったり、燃料を使ったりすることで、原始的な狩猟采集生活に比較してはるかに高い生產力を実現したのである。そのため、原材料やエネルギーの使用量も次第に増え、21世紀を迎えた現在の先進國のエネルギー使用量は狩猟采集生活のころに比べて50倍以上[1]となっている。人口も急激に増えていることを考えれば、過去數十萬年で原材料やエネルギーの使用量は爆発的に増えたと考えられている。
しかし、自然環境を利用することで、否応無しに自然環境に負擔をかけることになる。少しでも自然に手を加えれば負擔が発生するが、自然は自己修復性を持っており、ある程度の負擔までは短期間で回復可能である。具體的に自己修復性とは、植物が伐采されたあと再び芽生えて元のように成長したり、物を燃やした際に出る灰や煙が拡散?沈殿などを経て分解されたり生物圏から隔離されたりすることであり、生物學や物理化學によって說明される。
自然が持つ自己修復性を超えて負擔をかけたり、自己修復性が損なわれたりすると、回復が遅れ、結果的に人類をはじめとした生物に悪影響を及ぼすことになる。上に挙げた例で言えば、植物が過剰に伐采されたことで雨で土が侵食されて貧弱な土壌となり植物が育ちにくくなり、その植物を糧にして生活している人間やそこに棲む動物が被害を受けたり、大量に物を燃やすことで灰や煙が地上にも広がって、それを人間や動物が吸い込んで健康被害を受けたりする。
日本の印象
今日は私が日本に対する印象について、話したいと思います。
日本に來て、最初の印象は先ず、交通のルールを皆さんがよく守っていて、車多い割りに交通事故は少なく、スムーズに流れていると思います。
そして、電車の凄さです。朝の通勤ラッシュ時間帯において電車本數の多さと利用客の多さに驚きました。このような電鉄システムがあるので、大都會東京、大阪のような衛星都市型に成り立っているからです。
ただ、一つ殘念なことに日本の漫畫や雑志について、単純に売り上げや、視聴率を追求して、その內容を問わず、やがて、青少年に悪い影響を及ぼすことに違いません。それと同様に攜帯電話の普及に伴い、小中高生の持ち率も年々上がり、出會いサイトやネット上の中傷など、青少年の犯罪や、自殺等年々増え、社會問題にもなっています。
社會が進化に連れ、いいことが多いですが、必ず副作用のようなものも付いてきます。それに対する対策をも當然改善していますが、青少年には有効な制限或いは措置を望みます。
以上私の日本に対する印象と感想です。
ご清聴ありがとうございます。
我的興趣是旅游
私はいろいろな趣味があります。その中で、大好きなのは旅行です。小さい子供のときから、両親に従って旅行に行きました。いままで、廣西,蘇州,無錫,揚州,北京など、多くの所に行ったことがありました。
しかし、そのとき私には自然の美しさをたのしむのがわからない。游びしかわららない。だんだん成長してはじめて旅行は自然に楽しませるだけでなく機嫌によくさせることができると思われるようになりました。
それぞれの所に著いたら、その所の美味しい料理を食べるのが好きです。湖南料理はちょっと辛いで、食欲があります。北京ダックも美味しいです。江南の食べ物はちょっと甘いです。廣西の果物は多くて、美味しいです
今、一番行きたい所はチベットです。そこの空気を呼吸したいです。當地の文化を感じたいです。また、日本の北海道に行きたいです。映畫の中でそこの風景を見って、美しくて靜かです。
圧力があって、気持ちが悪いときまたはいい天気につけて、私はりょこうしたいです。でも、今まだ學生だからお金がないで、將來は旅行のチャンスがあると期待しています。
教師のための文字
火教師、こんにちは:
火の先生、私は、ろうそくの場合は、希望を伝えるため、私の人生の道を照らすために自分自身の書き込みのようになる;場合は、私を支援する必要がある困難に辭書のように、同じ時間、あなたのように親密な姉、私たちは話を、私たちの悩みを聞く。
火の教師は、覚えてる?中間付近の長期的な試験の日で、私は、王晶趙、突然、學生の私に語った、とあなたのオフィスに行く王晶趙を果たしている。私は思っている:私は、なぜ私に行こう間違ってコミットしない?だから、私はオフィスおよび小規模オフィス向け王晶趙不安。ドアで“Ping”を閉じ、お客様の機に來た。あなたが私たち汗を暖かく歓迎されている參照してください:“あなたはホットホットは?場合、熱コートを先送りにする。”
“いいえ熱!”私は、王晶趙聲をそろえている。実際、私は本當に、人の汗が冷たい汗を怖がっている溫泉はありません。
現在、我々のような、のような木立ち、にっこりして言いました:“私は、なぜあなたが今でもまっすぐ立って批判することは?”を參照して
趙晶相のニュースを私に応じて、笑い、私は“嫌なことがありますの良いと思う。”
案の定、瞬間をお求め方法を最新の狀態のサンプルは、言う:“大丈夫。”
いくつかの方法での検査のため、“いいですか?試験の準備?”
私は、と思っていた:“10バー內へ!”その后、王晶趙氏、と私は同じ考えです。
“まあ、”あなたは、“ぼくも、軍の順序を設定した”と言う。
今后數日間、私は彼らと眠れぬ夜を最后に20數トップ10に記載されてから飛躍に學んだことを確認します。
火教師は、これを平凡と私は話を、私は飛躍的に自分のパフォーマンスにする動機を與えたです。
火教師の場合は、コンパスのような砂漠のように、私は生活の中で正しい方向への視覚障害者を見つけることができますしている;場合は、ビーコン信號の海のように、右側のトラックに沿って彼の希望に向かって私には、桟橋!
よろしくお愿いいたします。
サルート
生徒:***
2009年9月7日
我的故鄉的四季
私は故郷から離れてもう45年になっていましたが、そこの山水や田園や道路や民屋など私の幼い頃、見慣れてきた物が悉く懐かし深いものです。特に銀髪になった母はいつも私の心に掛けられているのです。この世には一番美しいところと言えば自分の故郷だと思い、一番親しい人と言えば自分を生まれ育ている親だと思っているのでしょう。
冬の故郷は相當寒いです。骨を刺す北風が砂粒を巻き上げて強く吹き打たれると、母の縫いで呉れた綿入れの冬著が無ければ、活きられないようにその寒さに耐えないもんです。しかし、幸い、石炭のところなので、學校から家にかえると、ひらひら炎が燃えているストープを囲んで、親の四方山話を聞いていたのが火から親から世間の溫暖さを満杯感知させられていました。
春の故郷は山と野原に綠が広がって野花の香りが漂っています。家の軒下に掛けられている燕の巣にはお久しぶりの天使の姿が再び見えて來たんです。その時になると、母は朝寢坊をしていた私を起こしてそう伝えてくれました。「燕が飛んできたよ、暇だから、じゃあ、一緒に庭の掃除をしておきましょうか。しないと、燕に笑われるかな。」自分の住家を大切にする母の心使いが深く印象付けられて私の一生のつきものになったわけです。
夏の故郷はみずみずしい多種多様な野菜ガで上回ってきますが、母は畑で作られた野菜より野生の方が旨いと言って、近所の婆ちゃんたちを誘って遠いところへそれを采りに行きました。夕方、籠にぎつしり積んだ野生の野菜を背負って帰ってきた母は休まずに、すぐその手入れをし始めました.其れを食材にして作られた料理が本當に旨いと思って今でもその母の味を懐かしんで堪りません。
秋の故郷は大地が金色になっています。恐らく五谷豊穣を祝うため専らにセテイーングされた祭りでしょうか。私は中秋節という祭りが大好きです。母の話で月餅とは一家の団欒と時運の円満を象徴するもんで、どこへ行っても自分の家を忘れないようにしてくださいねと言ってくれました。
故郷の四季はいつも忘れられないことです。そこは 懐かしい母また幼時の思い出があるところで、私の最愛なところです。我最重要的好友
私の一番大切な友達は、今上海に住んでいます。私たちは毎日メールで連絡します。彼女は私の親友です。私の考え事を彼女はよく知っています。ですから、彼女の前に、本當の自分の気持ちを伝えています。仲良し友達ですね。とても幸せです。
3年前に、高校の食堂で彼女と會いました。彼女の肌は雪のように白いです。高校で1番美人ですね。最初の頃は、彼女が大切でした。そして、彼女に自分の好きな気持ちを告白しました。でも、彼女は私のことが好きじゃありませんでした。あの時、私の気持ちがとてもつらかったです。かなしくて、涙が出ました。あと、私は彼女に手紙を書きました。彼女に明るい未來を祝福しました。
でもそのあと、まったく思いもかけないことがおこりました。彼女からの電話を受け取りました。彼女は「私たちは、將來いい友達になるかもしれません。」と言いました。あの時、私はとてもうれしかったです。
3年前のあの日から、私たちはずっと連絡しています。私は彼女のことを知ります。友達どうし、尊重しあいます。互いに助け合います。
実は、今彼女のことがやはり好きです。でも彼女はそのことを知りません。しかし、これでもいい。私にとって、そんなすばらしい親友を持って。もう足るをしります。もしかしたら、ずっと友達になるしかない。
中國で一つの言葉があります。「世の中に知己があれば、遠く離れていても隣人のようなもの」と言います。いつまでも友達になります。彼女はずっといい気持ちを持つことは、私にとって幸せのことです。ですから、真心がこもっている神様に祈ります。彼女はずっと楽しげなほほえみをもっています。これは私の願望です。
我關心的事
こちらのアークアカデミーで日本語の勉強を始めてから六ヶ月目、その二番目のクラスでの三番目の作文宿題。その主題はまさに“私の関心のある事”だ。
今まで特別にそれについて考えてみた事がなかったが、今度の宿題がきっかけでじっくり考えてみた。三十三年を生きてきて、何に一番集中をしながら暮らし、またこれから何をするために暮らすのかに関して悩んでみた。
それで出た結論は今まで誰か私に人生観が何なのかと聞いた時、いつも同じ答えをして來た。"カルフェディエム-一回だけである人生!”
私はこの言葉をこんなふうに解釈する。“今日を最善をつくして熱心に暮らせばその一日一日が楽しくて、そんな楽しい一日などが集まって幸せな人生になる”と。
ここで私の基本的な生活の関心ある事が決まったようだ。“正しく楽しい今日のための方法”だ。
何をどのようにすれば今日が楽しくて活気に満ちる事ができるか、そしてやりがいのある事ができるかというのだ。
ここで楽しさと幸せのための何種類かの條件が必要だった。例えばお金や健康、好感できる容貌や雰囲気、そして人々とよく交わる事ができるさまざまな技術がそれだと思う。
こんな事をわざわざ考えて見た事がなかったが、無意識の中で私の関心事を決めたようだ。事業的な活動や、ひまを見て運動をする時、または自分自身を演出するアクセサリーなどを買う事などに関心が行くように。
誰もが自分が待つ事ができないものを待ちたがって、できなかった事をしたがる。今、私は不可能だった日本人との會話をしたくて日本語の勉強に関心が行っていて、私がこれからしたい事などをしっかりやりこなして毎日のストレスを飛ばしてしまうために運動に関心が行っている。
しかし何と言っても一番関心の行く部分は元気な男であるゆえに元気で明るい、そして美しい女性であるしかない事は否認する事ができないようだ。
中國的教育問題
今、中國にはいろいろな教育の問題があります。教育に関してはどんな國でも問題があると思います。
今の日本ではいじめや學生の自殺が教育の問題を越えて、社會の問題になっていますが、中國ではこんな問題はあまりありません。今、論點になっているのは大學に入(はい)るための試験の問題が大きいです。
今年の四月から今まで日本に住んでみて、日本の高校生は大學の入學試験であまりストレスが溜まらないように見えました。これは中國とずいぶん違います。中國は大學に入るために一生懸命勉強しています。本人は大學に入りたくないと思っているのに両親が圧力をかけます。そして、まだ中國では大學を卒業していなければ、社會で認められません。給料も大學卒業者と高校の卒業者とはずいぶん違います。一般的に企業はまだ大學の卒業者を欲しがっています。これが中國の教育の問題だと思います。
そして、私が考えているもう一つの問題は教育制度がたびたび変わることです。中國には「教育は一國の百年大事だ」という言葉があります。でも、最近の中國の教育政策は一年や二年に一回、はやいときは一年に何回も変わっています。よく変わる制度に學生たちが適応できなくて右往左往しています。いつも被害をこうむるのは學生たちです。そして、まだ人間関係について習うこともたくさんある、そんな學生が仲良くできる友だちを作るのではなく、互いに敵を作ってしまいます。どうして、みんな一緒に學校生活を楽しく過ごすのではなくて、敵にならないとだめですか。
こんな大きな問題を解決するためには國會議員が自分たちのためにではなくて、學生たちのことを考えて政策を作らなければならないと思います。もっと安定した教育のために。
「病気」
日本に來て1か月ぐらいたったとき、病気になりました。そのときは、胃が痛くて何も食べたくありませんでした。どうして病気になったのかよくわかりません。はじめがまんして學校に行っていましたが、だんだんひどくなりました。それで、近くの病院に行きました。
お醫者さんは「かぜが原因で胃炎になったのです。あまり心配しないで、ゆっくり休んだほうがいいですよ」と言いました。そして注射をして薬をくれました。私は勉強が遅れるから學校を休みたくないと思いました。しかし、お醫者さんの言う通りにしたほうがいいと思って、家でずっと寢っていました。
二.三日したらだいぶよくなりましたが、あまり無理をしないように気をつけました。四日目に友達がお見舞いに來てくれました。病気をしないように、いつもきんと食事をして、よく休養することが大切だと思いました。
第五篇:初級日語作文
我的大學生活
種類によっての熱心な出現は時間に素晴しい教授で教師、思考の列車に近く學友と坐るために、歩行者がすべて妨げたそれらを座席のための一見引き出す教科書を、終日大學生命始めてしまった道の歩行者のプロローグを次第にであるずっとクラスに出席した多數、壊したキャンパスの靜けさを、すぐに、雑談していた最后の夜スポーツが一致する教室の教室の方に動かされて非常に速く浸るある恐れられていた軽いステップを置くことを可能にしたこと、ちょうど照らされた私の大學生命天候が何人かの人々陰の外國語を読むキャンパスで見る教師と上向きに飛んで、表面の古い教授は時間后に學校からの休暇に青年輝きの午后をある最も忘れられない渡している、これは行くために自分自身が割り當てる時間、割り當てられたアクセス網、一緒に、そしてまたそう食事した任命同時にだった各種類の活動が行なった元気づけた學生のサッカー競技場のグループの文學様式ホールからの音、送信された時間蹴る球をだったが、また何人かの何人かの若いメス學生はだったこの2 年に、住むために燃料を補給された叫ぶこと......意識不明に2 年の大學渡されて実際によかったそして、成長した育つ、自身の夢に日刊新聞の私達がすべて次第に先に行ってもいかにが生命の悪い狀態にすべてある
「私の友達」
私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你來我網さんという友だちです。彼女と初めて會ったのは、高校生になった時です。你來我網さんは私は反対に、女らしく優しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本當のお姉さんのような人です。私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。你來我網さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の會社につとめ、毎日いそがしいようです。私が日本へ來ているので會えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。
「私の夢」
(日本人は理想よりも、夢と言う言葉を使っていると思いますので。)
私はまだ子供のころ、空を見上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを見て、心が愈されるような気がします。ですから、私はそのとき、「將來パイロットになりたい」と心で決めました。飛行機にのって、鳥のように、空を、云の間を縫いでいくことを、すばらしく思っていました。頭が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。
まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パイロットはみんな2.0以上の視力がなければならないと聞いて、近視眼である私はただ、空しく嘆くしか、しようがありませんでした。
高校に入って、私はサッカーに興味を持ち始めました。サッカー選手たちが、競い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同時に、新たな夢が私の心に芽生えま
した。それは、「中國一のゴールキーパーになって、中國チームを世界の頂點に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身長が必要です。1.80ちょうどの私には、中國一は無理だったのかもしれません。大學に入って、身長がほぼ固定された私の新たな夢は、無殘にも破られてしまいました。
日語
大學では、日本語を専攻しました。正直、初めの頃は、夢なんて、まだ見つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の夢とか、意志とか、ありませんでした。勉強していく中で、ちょっとした問題に気づきました。それは、必死に勉強している人ほど、成績が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足りないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。殘念なことに、彼らは勉強の仕組み、つまり勉強の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の學習を繰り返しているです。そこで、私は「將來日本語の教師になって、知識だけではなく、勉強の仕組みを、御紹介させていただきたい」という、夢を持つようになり、そして今までに至っています
我的家鄉
私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中國の中では、最も都會らしい都會です。上海には名所名跡が少ないが、中國最大の商業、工業、港灣地帯として特徴づけられている。
今、上海の人口がもうすでに1250萬人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革開放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに驚き、上海の一員として、夸りと喜ぴを持っている。
上海は長江の南側、支流の黃浦江の西側に拓かれた街だ。今世紀の初めに黃浦江西側のバンドと呼ばれる地區は、港灣設備が整備され、その周辺に各國の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽園」と呼ぱれ、このバンドは國內だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず訪れる所となっている。バンドは上海?シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ風格を持ち、「萬國の建筑物」と言われる。
バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。東京の銀座より人がいっぱいで賑やかである。南京路にある第一百貨店は毎日20萬人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30萬人を超えるほどだ。(你我 日語)
さらに、夜のバンドと南京路はまた格別だ。ネオンサインがまぷしいほど輝き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と絕賛している。
誰にも故郷がある。故郷を離れれぱ離れるほど故郷が戀しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回數が増えれぱ増えるほど戀しくなる私の大好きな上海である。
「自己紹介」
私は中國から來た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外國人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強く
いろいろなことを體験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ來たのです。今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ來る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰國したら、日本語や日本で學んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。
星期日(にちようび)
昨日は日曜日で、とてもいい天気でした。あんなにすばらしい天気はほんとにめずらしいです。留學生の田中さんは日本語科の趙さんと一緒に自転車で淮海路(わいかいろ)行きました。そして、淮海路のショッピングセンターで買い物をしました。趙さんは文房具や食べ物を買いました。買い物のあと、二人はレストランへ行きました。そこで、二人で食事をしました。それから、田中さんと趙さんは公園へ行きました。そこで三十分ぐらい散歩しました。そのあと、二人は映畫館でとてもおもしろい映畫を見ました。
譯文:
星期日
昨天是星期日,天氣非常好。那么好的天氣真是非常少見。留學生田中和日語系的小趙一起騎自行車去了淮海路。然后在淮海路的購物中心買了東西。小趙買了文具和食物。購物之后,兩個人去了餐廳。在那里,兩人吃了飯。然后,田中和小趙去了公園。在那里大概散步了三十分鐘。之后兩人又在電影院看了非常有趣的電影。
人生
私は一本の長い階段を設ける。一年三百六十五日たつと、一段上にのぼる階段である。その階段の六十八段目の一番上のところに私が腰を降ろしている。そして妻、二人の息子、二人の娘、その配偶者、そして孫たちというように、長い階段のところどころに、十何人かの男女が配されている。
下から二段目のところに、去年(昭和四十八年)生まれた幼児二人が、転がらないように紐で結び付けられている。どちらも男の子である。まだ這うこともできず、口もきけない。しかし、なんといっても、この英児二人が際立って溌剌としている。聲から何十段でも階段をのぼって行くエネルギ―を、その小さい體に詰め込み、いかなることでも、実現できる可能性を身內に貯えている。まだ人生のいかなる汚れにも染まっていない。本能的に母を求め、乳を欲しがる以外、いかなる欲望も持っていない。人を羨むことも、人を憎むことも、歓心を買うことも知らない。栄譽も、金も無関係である。時時笑うが、神様が笑うことの練習をさせているとしか思わない。ただ無心に笑うだけである。
人間はみな、この英児から出発している。そんな思いが突き上げてくる。この二人の英児が私の腰をかけているところまでのぼるのは大変である。英児のいる二段目のところから上を仰ぐと、気の遠くなるような遠さであろうと思う。三十段目から四段目あたりにかけてばら撒かれている息子や娘たちは、いつか青春期をぬけて、壯年期に入ろうとしている。當然私などの知らないそれぞれの人生の哀歓を経験しているところであろうと思う。私は殘念ながら、そこへ入って行ってやることはできない。いかなる問題があろうと、それぞれ自分たちで処理してゆく他はない。父親がくるしんだように悲しまなければならないであろうと思う。そういう自分で歩き、自分で処理していかねばならぬものが、人生
というものであろうからである。
「私の一日」
私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中國語の勉強を始めます。中國語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。私の家は郊外にあります。會社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で會社へ行きます。家から會社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。會社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。私の會社は旅行會社にいます。支店は全國に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。來週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの會社は休みます。しかし、わたしの會社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は晝ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。
私の家族(我的家庭)
私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。父、母とかわいい私です。
父は見るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 時々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。
私は 幸せな家庭があって 未來 両親は私に対して 最重要な人です。
私は父と母を愛しています。
夢を葉える―今考えている『夢』と『現実』について―
『私は將來、なりたものはあるのか』そんなことを尋ねられて『うん、あるよ』と平然と答えられるような夢を、正直言うと私は持ってはいない。夢を持っていたとしても、きっと家族や身近にいる人間にも影響、迷惑、負擔をかけてしまう可能性があるからである。おそらく、という私が推測する上では、夢のことを打ち明けたとしても家族は反対するだろう。
その夢のひとつが、『小説家』。
このメビウスリングというサイトでも、私は小説を連載している。正直言うと文章構成などはかなり得意分野でもあるし、その勉強にはかなり力を入れている。自分が今、何よりもなりたい職業――夢。
だがそれを現実的に考えてみると、小説家という職業は売れて生活できるものである。普通のサラリーマンとは訳が違う。本業としても売れなければ、必ず家族のほうに私の生活費を負擔させてしまうだろう。私の家族は七人。祖母と祖父、両親に二人の姉がいる。
將來のことを考えてみれば、きっと姉は二人ともどこかで一人暮らしたり、新たな家族を持つことになるだろう。そうなれば、何よりも両親に負擔がかかるのだ。
それが、怖かった。
今までずっとわがままを聞いてくれていた両親に、大人になってまでも負擔をかけるなど…。
だが私はずっと、この夢をあきらめたことはない。