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做作文集的感想

時間:2019-05-12 13:05:01下載本文作者:會員上傳
簡介:寫寫幫文庫小編為你整理了多篇相關(guān)的《做作文集的感想》,但愿對你工作學(xué)習(xí)有幫助,當(dāng)然你在寫寫幫文庫還可以找到更多《做作文集的感想》。

第一篇:做作文集的感想

做作文集的感想

這一部作文集,我還是盡了很大努力才能完成的。剛開始寫作時,我總不知道該寫什么,該怎樣下筆;而靈感也躲起來了,不和我見面。那時我很苦惱,不知該怎么辦才好。過了幾天我還是沒寫出任何東西。那時我真想放棄,不在寫下去了。但是,我的媽媽說我不應(yīng)該遇到這一點小小的困難就放棄,并鼓勵我,要我堅持下去。我聽了她的話,堅定了我的信心,再繼續(xù)努力做這本作文集。結(jié)果,我成功了,我把我的作文集制作完畢,我完成了我原以為不可能完成的事。

通過做著一本作文集,我懂得了很多事情。現(xiàn)在,我能讓我的作品呈現(xiàn)在大家的面前,我覺得很高興,也很滿足。我覺得這本作文集是很值得珍藏和留戀的,它將會成為我一生中最珍貴的事物,我會好好地珍惜它。

其實多寫作文,對自己的水平能提高很多,雖然我們的語言還不夠精美而簡練,但是如果能吃的話會越寫越精彩的,其實我覺得一本作文集,不光是一些圖片可以裝飾的,更是能體現(xiàn)出一個人的觀察能力。

雖然這篇文字不多,卻包含著自己的努力!

嗑瓜子是我的嗜好。

當(dāng)你磕細(xì)長的葵花籽時,首先要將瓜籽放在兩齒之間,用舌頭輕輕托起,一點點向尾部磕去,發(fā)出悅耳的聲音,在我耳中仿佛是貝多芬,莫扎特的杰作,然后用舌輕巧一卷,仁兒便順利滑進(jìn)嘴,頓時塑像滿口,回味無窮!

當(dāng)你磕西瓜子時,可跟葵花籽是完全兩樣了,那需要十分精湛的技術(shù),你若是急性子,耐不得園園瓜子的誘惑,一口下去,結(jié)果必是皮碎仁段,興也會掃去半瓣兒,如果采取軟磨硬泡的辦法,結(jié)果也會令人煩惱,原本好好地一顆瓜子,就會被人碾得“粉身碎骨”連皮帶子一股腦吞下,這種吃法也品不出其中的味道,而且也不大美觀。

有一次,我看見父親正在嗑瓜子,很有興趣的請教他嗑瓜子的經(jīng)驗,爸爸不慌不忙的為我演示了他嗑瓜子的過程,然后對我說:“對待西瓜子,你既不急,也不可拖,要拿到十分的火候?qū)⒛枪献臃旁趦升X之間,否則就是皮碎籽斷的結(jié)果。接下來就是最關(guān)鍵的一步了,這時要用兩指輕輕夾住瓜籽,要做到不送不緊,采取閃電戰(zhàn)術(shù)的方法,“嘎”的一夾,皮破仁出,只剩下雪白豐厚的瓜子仁了。要是加上綠茶,效果會更加好。“爸爸說著深喝了一口茶。

我不禁驚嘆道:“吃個瓜子還要這么多過程!”

爸爸對我說:“對!重要的是過程!有誰喜歡大把大把的抓仁吃呢?”

一副好畫之所以打動欣賞者,是在于欣賞者本身的體味過程。一個真理產(chǎn)生是由于生活過程的積累,而不是生命枯竭那一刻得出的,十年寒窗,不僅為了金榜題名那一天,更是日積月累,博覽群書的一段求索過程。

人生亦是如此,人為了生活過程而活,而不是為了死亡的那一天,如果你只重視結(jié)果而忽略了享受過程,那么你縱然付出很大代價而實現(xiàn)目標(biāo),回頭看看,你的收獲僅是結(jié)果了,而缺少生命過程中沉淀。

所以,我們有一切理由去真愛現(xiàn)有的一切,珍愛這個無比珍貴的生活過程。這就是嗑瓜籽的哲理。

秋天的遐想

秋天終于來了.我生長在南方,對南方的秋天有著不一般的喜愛和依戀.在南方,夏季來得漫長,以致秋天的到來總會比北方晚些.然而,南方秋與夏之間區(qū)別還是明顯的.秋天是寒暑交替的季節(jié).一場秋雨一場涼,前幾天一場秋雨過后,不再有酷熱難熬的氣溫,肆虐的秋老虎倏忽不見了蹤影.人們可走出家門,走進(jìn)大自然,盡情享受秋天別有一番的風(fēng)景;秋天不再有放射灼人的紫外線,曬得皮膚火辣辣的,秋天的陽光給人的感覺是柔和嫵媚的;淫威的臺風(fēng),狂嘯的暴雨也已遠(yuǎn)去,秋風(fēng)給人的感受是爽快和愜意.秋與夏的區(qū)別除氣候外,還有許多.比如樹葉,秋和夏樹葉的顏色反差彼大.一到秋季,樹上的綠葉沒有那么鮮綠了,慢慢地由綠變黃,隨著秋天的深入大部分樹種的樹葉一片金黃,輝煌璀璨,在陣陣秋風(fēng)掃蕩下,片片黃葉也開始紛紛飄落大地,頗為壯觀.鄉(xiāng)村小道上,泥土氣息漸漸濃郁起來,晨練和傍晚散步時,習(xí)習(xí)吹來的風(fēng)帶有絲絲的涼意.秋夜,月色不再朦朧,月亮皎潔明亮,清輝溢耀.郊外,散發(fā)出野花雜草陣陣清香;林中夜鶯聲聲,清脆動聽;樹木花叢中,小鳥嘰嘰的叫,賞心悅耳.伴隨秋而來的天籟之音美妙極了,疏落的蛙聲,稀弱的蟬鳴聲,似乎傳遞著夏天的離去.驟雨的停歇,鳥兒的歌唱則告訴人們秋天開始了.秋天是成熟收獲的季節(jié).鄉(xiāng)村里,一片金燦燦的稻浪;山坡上,遍野的柑,橙,橘,柿等果實;瓜棚上,攀滿瓜果藤芋與成熟的瓜果,等待著播種者的采摘,收割.我喜歡秋天.是因為它沒有病菌,害蟲的侵襲;是因為它沒有暴風(fēng)驟雨,沒有雷電的打擊;是因為它沒有烈日和酷暑的煉獄;是因為它沒有冰凍和寒冷的冷酷.我喜歡秋天的秋高氣爽,喜歡秋天的碩果累累.秋天給我的印象,一幕,一幕,明朗,清晰……

我喜愛秋天,贊賞秋天,依戀家鄉(xiāng)的秋天,期盼每年的中秋在家鄉(xiāng)與遠(yuǎn)方的親人團(tuán)圓.前言

這是我第三本作文集,也是我第三次續(xù)寫,這本作文集收錄了我平時的練筆和一些課堂作文,都是自己的一些看法,感受,或許比法有些稚嫩,語音也不夠流暢、優(yōu)美,但是還是能不斷完善的,通過不斷練習(xí),相信會越寫越好。

古人云:讀書破萬卷,下筆如有神

作文水平的提高,固然不一定讀書破萬卷,但只要多讀書吸取一些好的語句,思想便會更豐富;只要多筆耕,筆端便會如泉涌,讓人感覺到快樂。

寫作更多的是感受,當(dāng)你學(xué)會大大方方的投入大千世界的懷抱世界必將回饋給你更靈動的文章。作為一名青少年,如果學(xué)會了寫作,就是學(xué)會了獨自面對生活,學(xué)會了獨自面對自己,學(xué)會了思考人生,學(xué)會面對宇宙和未來,這是個人成長的聲音,是生命拔節(jié)的聲音。

我相信這第三次的寫作必將會帶來以后一次次的突破,越來越好,越來越美,越來越流暢,越來越棒!我用文字記錄下自己生活,學(xué)習(xí)、思想中的點點滴滴,相信會更好更棒!

父愛在細(xì)微

有那么一個夜晚,我哭了,“他也哭了”,但那時我們并不是為甚么事哭!---題記

剛把我生下來的時候,也許它們在慶幸我的到來,也許它們再難過。還記得那是我剛生下來的時候就下了病危通知書,父親在外面看著我,母親卻不知道,在那個夜晚,天上也許很黑,父親不知哭了多長時間,而我卻漸漸睡著了。

第二天,爸爸拿著錢,跟醫(yī)生說一定要救我,醫(yī)生問了爸爸很多遍,但是爸爸依然是那么堅定的說著,醫(yī)生看見爸爸的堅定也就同意了,經(jīng)過幾天的搶救下,“我終于從閻王爺那回來了”,爸爸當(dāng)時把我抱在懷里,高興地感謝著醫(yī)生。

就這樣,我回到了我的家,這個很溫馨的家,那個家真的很溫暖、很快樂!

從幼兒園到小學(xué)我慢慢的長大了,父親也慢慢的在變老,而那時我把我所有的精力都放在了學(xué)習(xí)中,從小學(xué)那時我已學(xué)會了如何感恩。

在這幾年來,我漸漸的學(xué)會關(guān)心父親,也讓他知道我很愛很愛他。

雖然爸爸的脾氣很不好,但是很少跟我生氣,我知道他也是很愛很愛我這個女兒的。

為了感謝父親,為此我編了首小詩:

父親,您如一縷陽光,照耀著我。

父親,您如一條大河,寬容著我。

父親,您如一把傘,把我所有的委屈都丟掉。

父親,您如一棵樹,為我撐起一片陰涼。

父親,您如一朵云,讓我在天空中自由飛翔。

父親,我感謝有你的日子。

父親,我感謝是你給了我“生命”。父親,我永遠(yuǎn)愛您。

一朵花,會永遠(yuǎn)為你盛開著,它會帶給你無窮的快樂,讓今后的我們父女感情更加好。---后記

讀書的快樂

在我讀書的歲月中,雖有老師的言笑,雖有異國朋友的真情友誼,但在我靈魂深處,僅有一扇開向心靈的小窗---我看得見長江的點點白帆,也可以看得見門前慈母的眼淚。總有一天,我我不再做枝上的夜鶯低吟,我會像云雀那樣一翅沖天,為中國唱出我贊美的詩章。___題記

我坐在水塘旁,靜靜看著那本書,我讀到楊萬里那首“泉眼無聲惜細(xì)流,樹陰照水愛晴柔 ”。泉眼默默,好像愛惜它那涓細(xì)的水流聲,樹陰映照著水塘,仿佛很依戀這晴麗的溫柔。

“梅子金黃杏子肥,麥花雪白的水流聲”,夏天梅子金黃,杏子肥而嫩。而麥穗花兒雪白,菜花卻很稀少,這首詩仿佛把我?guī)У教飯@生活里。

“等閑識得東風(fēng)面,萬紫千紅總是春”,百花齊放,萬紫千紅,春意傲然的風(fēng)景像讓人總能聞到一縷縷撲鼻的花香。

“個個花開淡墨痕,只留清香滿乾坤”朵朵梅花開放時顯出了淡淡的墨痕,只求那清香氣味充滿天的見,令人回味無窮在讀書中,雖沒有金色的沙灘,但有真誠的情誼,在我記憶里,僅有一扇開向心靈的小窗---我能知道讀書可以獲取更多的知識,也知道讀書增長智慧,總有一天,我不會再,再做一個平凡的人我要學(xué)會笨鳥先飛的方法,我要一翅沖天,因為讀書可以獲取知識、可以唱出我贊美的詩章。

我們每個人都要讀書,但是讀書地方法卻截然不同,有的會有效的接受新的知識和內(nèi)容,然而有的人則會吸收的很慢,我們雖然都讀書,但是都有著不同的感受和快樂,在讀書總也可以體會到友情的味道,愛國的味道,思念的味道。

讓我們在讀書中能收獲一份驚喜、一份感動、一種人生的美麗哲理。

讓我們?yōu)槊魈斐憽?/p>

讀書就像滔滔不絕的大海,讓我學(xué)會了許多知識;

讀書有像一盞明燈,點亮了人生的輝煌;

精彩讀書行,精彩了我的生活,豐富了我的知識。___后記

淚是有顏色的

淚是有顏色的,雖然它透明的像空氣,但它的的確確背負(fù)著每個人背后的故事。

我筆下的淚,是苦的,是承載著傷痛與失望,是孕育著不得不發(fā)泄出來的悲哀,是用言語表達(dá)不出來,是用心體會的一絲雨點。它需要人們?nèi)ダ斫馊バ湃稳ジ惺埽驗椴皇敲總€人都能笑過一生,有時,淚需要發(fā)泄,需要讓它將你的痛楚完全展現(xiàn),不要欺騙自己,其實,你很傷心,一味的逞強(qiáng)只是堅強(qiáng)的背后的懦弱罷了。一個人靜一靜,心里就不會那么痛了。

每個人都做過這樣的夢,考試考了個第一名,老師夸獎,同學(xué)羨慕,家長喜歡。那是,是不是你的小世界都開花了,感受到的幸福是驕傲,是自豪。我也是這樣的一個小女孩,喜歡把夢想放在現(xiàn)實之前,但是,每次都如曹操般“大失荊州”,但我畢竟只是個愛做夢的女孩子,一次次認(rèn)為自己很努力,但是一次次的變成空氣,沉淀到了如絲般得雨點中。

又是一次考試,又是一次失敗,那個晚上,她給我打電話聲音很小的說,多多,你這次考試不是很好。我心一驚,但馬上又平靜了下來,靜靜的等著她的下言。多多,你要努力啊,我知道你也很想好好學(xué),但是我們支持你,你要好好的努力了。我僵硬的扯了一個比哭還難看的笑,不言。

我轉(zhuǎn)過身,不言,過了許久,那個同學(xué)稍稍嘆了口氣,走了。

突然感覺,風(fēng)好像很大,撲向柳枝,柳枝發(fā)瘋了似的左右搖擺。不知怎么的,心竟然哭了。淚水不斷的涌出來,伴隨“淅淅瀝瀝”的雨水一同涌進(jìn)我那干涸的心中。發(fā)絲厭倦的萎縮在皮膚上,模模糊糊的,看不清是喜是哀。淚水在手臂上滾動著,濕潤著。我的心在慢慢的滋潤著。

過了不知道多久,我停下了無止境的悲傷,總感覺,心好像放晴了,每每的現(xiàn)在,我都是放松的。我深吸了一口氣,累了也倦了,躺在柔軟的手臂上,漸漸的閉上了眼睛。

我夢見了,我夢見了,我夢見在一片廣闊的草原上,我在奔跑,在拉著宿友們的手,笑著,嬉戲著,奔跑著,我們仿佛互相能夠看到內(nèi)心,純凈的,無任何隔閡的,總有一縷陽光在照射著我們,那時,我笑了,笑的事那么的燦爛,連花兒都失去了顏色,月亮都遮住了臉龐。

多多,醒醒,醒醒。我垂了垂頭,漸漸的清醒了。

好好的哭一場,讓內(nèi)心無憾!

好好的哭一場,讓內(nèi)心無憾!

小結(jié)

作文集已經(jīng)出爐了.初二的下學(xué)期結(jié)束了,初三的上學(xué)期也快開始了.我驚異最嶄新的面孔去迎接初三上學(xué)期的到來.再見了,初二下!

你將成為我最美好的回憶,愿我們的作文集能做得更好!目錄 前言 2 秋天的遐想父愛在細(xì)微處 4 讀書的快樂 5 淚是有顏色的 6 品味嗑瓜子 7 做作文集的感想 8 小結(jié) 我的作文集 包美多

第二篇:日本留學(xué)感想文集

日本留學(xué)感想文集

――半年間の留學(xué)生活を振り返って

目次

留學(xué)の感想……………………………………………0401班 陳 靖

日本の印象…………………………………………0401班 陳 迪思 東瀛との出會い……………………………………0401班 丁 建萍 日本での感觸そして感動…………………………04甲班 耿 貝妮 特別な體験、貴重な経験…………………………04甲班 胡 麗芳 ――日本留學(xué)について

留學(xué)體験について…………………………………04甲班 蔣 玲玲 留學(xué)の感想……………………………………………0401班 李 頴 滑走、離陸、飛行………………………………………0401班 繆 嬋 思い出せば……………………………………………0401班 王 琳 半年の留學(xué)を振り返って……………………………0401班 王 洋 「さようなら」から「ただいま」へ……………0401班 徐 哲紋 私の日本留學(xué)…………………………………………0401班 葉 楠

私の留學(xué)日記………………………………………0401班 張 叔傑 半年の留學(xué)生活を憶う……………………………04甲班 周 倩倩

浙江工商大學(xué)日本日本語言文化學(xué)院

留學(xué)の感想

日本語學(xué)科0401班 陳 靖

2008年3月1日、広い関西空港のターミナルビルの中で、私は出発口に一番近い席に座りながら、12時30分発の中國杭州行きの飛行機(jī)を待っていた。再びこの場所に來た時、日本に到著した時のことが突然脳裏に浮かび、同時に私は再び原點に戻るという錯覚を覚えた。正直、自分が今どんな気持ちなのかよく分からなかった。興奮、焦り、未練、困惑…。日本での生活は奇妙、感動、そしてとても魅力的だったと思う。

2007年9月10日、二時間を経て日本の地面を自らの足でしっかり踏みしめた時、私のハラハラした気持ちはやっと落ち著いた。初めて飛行機(jī)に乗る時の感覚と同じで、日本での生活がすぐに現(xiàn)実になると考えると、自分の興奮する気持ちを抑えならなかった。他のクラスメートを見ても、みんなとても興奮しているようだった。

カートに積まれた重い荷物を押して、綺麗な地面を踏みしめながら、私はこれからの生活へと歩いていった。私の吐息と歩みの中には僅かな不安と焦りがあった。教科書やテレビの中での「日本」、そして憧れていた日本での留學(xué)生活が皆現(xiàn)実になる。初めて中國から出て、初めて日本人の世界へ入って、初めて日本の學(xué)校で勉強(qiáng)して、初めて……。ひょっとしたら數(shù)え切れないほどの「初めて」がこの半年の間に起る。

大阪へきたばかりのころ、天気はまだ暑かった。しかし、青空と綺麗な空気は私にとってはとても久しぶりだった。私たちが生活するところは羽曳野市というところだった。寮は日本人の住宅団地の中にある。寮の建物はあまり大きくなかったが、家の前に小さな庭があって、とても綺麗だ。

來たばかりの時、まだ夏休み中だったのだが、毎日二人のルームメートと一緒にスーパーへ買い物に行くことが日課になった。夜の八時ごろ、寮は急に賑やかになる。それはその時間帯にスーパーでは商品を半額で販売し始めるため、みんながそれを買いに出掛けるからだ。肉はもちろん、果物は一つ一つで販売ずる。これらは中國人の私たちにとっては初めはかなり不慣れであった。

寮で生活を始めて十?dāng)?shù)日が過ぎ、新學(xué)期がやっと始まった。私たちの科目はうちの學(xué)校と一致しなければならなかったので、四天王寺大學(xué)での科目もほとんど規(guī)定された。しかし、ほかの科目も學(xué)生は自分のレベルに基づいて選べる。日本の大學(xué)から私が受けた印象は自由であるということだ。科目を選ぶ前に先生の授業(yè)を先に受けることができる。専門の課程以外に、日本文化、歴史、文學(xué)などの科目があり、學(xué)生は自分の好みによって自由に選べるのだ。こんな形で、學(xué)生には大きな選択の自由が與えられ、個性と趣味も発揮できる。半年の學(xué)習(xí)生活で私が受けた一番大きな印象は、日本人の先生は普段の學(xué)習(xí)を重視する反面、テストは意外に簡単であるということだ。ほとんどの先生は新學(xué)期の初めての授業(yè)でどうやって成績を評定するのかを?qū)W生にはっきり伝える。

実際に日本で生活してみて、教科書から學(xué)んだ「日本」に関する私の知識が如何に貧弱であるかということに気が付かされた。日本人はみんな電車で貍寢入りしたり、漫畫を読んだりだけではない。私は一體右側(cè)を歩いているのか、それとも左側(cè)なのかよく迷った。また使い終えた電池を捨てたいけど、捨てる日をいつも忘れてしまう。しかも、何度も恥を掻いたことがある。最も印象深かったことは橫斷歩道での出來事だった。日本に行ったばかりの頃、橫斷歩道で人が道を渡っているときに、車とあたりそうになると、人が先に淺いお辭儀をしてから通る光景をよく目にした。中國には「郷に入っては郷に従う」という諺がある。さすが禮儀正しい國だなあと感じながら、今度、私も私を先に通してくれた 2 車に対し、九十度以上のお辭儀をしてしまった。

10月12日、私は人生初の仕事を始めた。仕事先はあるレストランだった。そして、3ヶ月ぐらいのアルバイトの経験を通して、私は日本人の生活に一歩近づいた気がした。アルバイトをして、ひとつのことに気がついた。耳に入る最も多い言葉はおそらく「すみません」だろう。日本人は人に迷惑をかける時はもちろん、ほかの場合にも「すみません」と返事することが多いようだ。アルバイトを始めたばかりのころ、客に料理を出すとき、私が想定していた「ありがとう」という返事ではなく、意外にも「すみません」という言葉を頻繁に耳にした。別に客が私に謝る必要はないのに、なぜ私に謝るのかどうしても理解できなかった。

それは日本人が恩を感じることを重視するのだとひとつの授業(yè)で習(xí)ったことがある。日本人は「比較的に縁の遠(yuǎn)い人から、図らずも恩恵を蒙ることは、最も不快に感じるところである」と。たとえ私のような縁もない店員であっても、日本人に見れば、恩を蒙ることになるのだろう。

大學(xué)祭の中華カフェー、反省會のたこ焼きパーティー、京都の紅葉、優(yōu)しい先生方、バイト先の友達(dá)……。たった半年だったが、日本での生活は私にとって一生忘れられない思い出である。

日本の印象

日本語學(xué)科0401班 陳 迪思

光陰矢のごとし。半年間の日本での留學(xué)生活があっという間に過ぎてしまった。この半年間は長いようで短い時間だったが、日本や日本文化について學(xué)ぶことができ、またいろんな人と出會い、いろんなことを経験し、これからの長い人生にとって、すばらしい経験であったと思う。収穫の多い半年間であると同時に、感慨の深い半年間でもあった。ある國の言葉と文化を勉強(qiáng)するには、自分でその國に行き経験せねばならぬとある學(xué)者はそう言っていた。私もそう思う。留學(xué)前に遊學(xué)という形で半月ぐらい日本に滯在した。飛行機(jī)から降りた瞬間のあの感動と言ったら、「あ、ここが日本、自分が勉強(qiáng)している日本語の母國なんだ!」と興奮してたまらなかった。半月はさすがに短かったため、殘念ながら見聞できたことはそれほど多くはなかったが、今回は前回と違って新しい日本を感じた。まずは日本人の謹(jǐn)厳実直な仕事振りである。計畫から実施までどんな細(xì)かいところでもきちんとしている。參加者全員の行動の一致を求めるために何度も説明會や會議をすることが多い。大學(xué)祭の時、日本人の學(xué)生たちと一緒に中華茶館を開いた。當(dāng)日接客用の臺詞まで皆で考えて、そして何度も演習(xí)した。そんなに細(xì)かくしなくても勝手にやればいいのではと思ってしまうこともあるかもしれないが、その拘りがあるからこそ、例えば日本のバスや電車がいつも時間厳守で遅刻があまりないとか、電車に乗り込むために走ってる人以外慌てている日本人をあまり見かけないとか、そういう狀況が生まれるのである。それはすべて計畫通りだから。それに、日本の電気製品など品質(zhì)がいいという評判もそれとかかわっているのだろう。中國の場合は効率が大切だ。つまり速くやれ、よくやれと二つの意味を持っている。しかし、日本人の場合はスピードよりも出來栄えのほうが大事である。日本人の仕事ぶりを見ていると、なぜそんなにのんびりでいられるのだろうと思うことがよくあるが、その素敵な出來栄えを見てたら、さすが日本人だとまた思わず感心してしまうのだ。私が感じたのは、日本人はアクシデントとか想定外の出來事とかあんまり好きではないようだ。たぶん、起り得るアクシデントもすでに前もって計算されていて、それを防ぐための計畫も立っているのだろう。そういう謹(jǐn)厳なところはわれわれの參考にもなるのではないかと私は思っている。日本は優(yōu)しい國である。バスは乗客がきちんと座ってから動き出す。電車には冬になると座席にも暖房が入る。トイレには、予備のトイレットペーパーがいつも置いてある。それに、赤ちゃん連れのお母さんのために、オムツ替えのシートもある。そういう細(xì)部に至るまで人のために考えているところがすごく優(yōu)しいと思う。日本のサービス業(yè)界の「顧客第一」の考えもすばらしいと思う。買い物に行ったら、店員さんの笑顔がいつも素敵だ。釣りを出す時は、ちゃんと一枚ずつ數(shù)えながらお客さんに渡す。それはどんな店に行っても同じである。それに、販売されるものにはいつもサンプルがついている。アイスクリームの場合、各味各サイズ、全部サンプルとなって羅列されていて、実物とほとんど同じように作られている。包裝のある商品もちゃんと中身を示すサンプルがついている。それに、試食できるものもよくある。お客さんがその品物をよく知ってから購入するため、騙されることも少なくなる。一つすごく印象に殘ったことがる。それは日本に行ったばかりの時だった。みんな揃ってソフトバンクの営業(yè)店に攜帯電話を買いに行った。でも、外國人登録証とか銀行口座の都合とかいろいろな理由で、なかなか順調(diào)に契約を結(jié)べなかった。しかし、次の日またその店に行ったら、店の中に一つの本が増えていた。「中國語入門」の本だった。それに店員さんが何かを説明してくれる時、時々変な中國語の単語が出たりし 4 て、びっくりした。ただ私たち十何人のためにそこまでしてくれるなんて、その気持ちに本當(dāng)に感動した。中國では「お客様は神様」という言い方があるが、それは日本にこそ當(dāng)てはまる言葉であると感じた。

この半年間、いろんな人と出會った。親切な方々ばかりだった。中國からの留學(xué)生だと分かって、親切に聲をかけてくれる人もいた。バイト先のラーメン屋さんで、ラーメンを食べながら中日文化を語っているお客さんもいた。それを聞いて、みんなかなり中國文化に熱心だなと感心した。しかし、こんな質(zhì)問をされたこともあった。「中國の人って、やはりみんな日本人のこと嫌い?」とか「日本に留學(xué)に來て、両親に反対されてない?」とか。どうしてと尋ねてみたら、テレビのニュースで反日のデモを見たと答えてくれた。わたしが何度もそうではないと言っても、相手は半信半疑のようだった。

テレビをよく見てから、こんなことに気づいた。日本のテレビは、中國の悪い事情を放送するのが好きなようだと。例えばダンボールの饅頭餡、偽者の遊園地とか中國でも周知されていない話について、むしろ日本人のほうがテレビを通じてよく知っているようだ。日本人の中には中國のことが好きな人、中國文化に興味を抱いている人は結(jié)構(gòu)いるが、実際に中國に來られる人は少ない。そこで、テレビなどのマスコミに頼る人が多い。もしマスコミがマイナスなものばかり放送したら、人々に相當(dāng)な悪影響を與えてしまう。中國の話をすると、ダンボールの饅頭餡、偽者の遊園地、偽者のブランド品のバックとか、まるで中國が偽者や悪者のパラダイスみたいに言われている。私が見た広州の偽バッグのニュースも、カメラマンがわざわざ広州までやってきて、取材したものだそうだ。そこまでするのなら、もっと積極的なものを調(diào)査したほうがいいのではないかと私は思った。もちろん否定できないのは、中國のマスコミも同じく日本の悪いニュースを流す傾向があるということだ。悪いことだからこそニュースになるのであるが、中國と日本の間にはやはり歴史の影が重いと思う。もし両方のマスコミがお互いに攻撃するのをやめて、もっと積極的に交流し、活躍すれば、きっと良い狀況が生れると思う。

最後に、この長いようで短かった旅の間に出會ったみんなに一言。本當(dāng)に楽しかった。ありがとう、そして、またね。

東瀛との出會い

日本語學(xué)科0401班 丁 建萍

日本に行く前、留學(xué)をする甲斐が果たしてあるのかどうかずっと迷っていたが、今この半年を振り返ると、あっという間な感じで、もっと長く滯在できれば良かったのにと思っている。一つの言葉を勉強(qiáng)するのには、その國についていろいろ學(xué)んだりしても、実際に行ってみないと、抽象的なイメージに過ぎないと思う。行く時は、今回の留學(xué)が自分の語學(xué)力のアップにどのぐらい助けになるのかぐらいのことしか気になってなかったのだ。今考えると、語學(xué)力の上達(dá)はもちろん重要だけど、私が一番大切だと思ったのは実際に自分の目で見たり、心で感じたりして、様々な日本人と接することができたことだ。日本人の考え方についてもいろいろ勉強(qiáng)になった。

異國での生活は充実しており、新鮮だった。楽しいことがたくさんあった反面、困ったことも決して少なくなかった。コンビニでのバイトを始めた時「御袋ご利用ですか」と言ってしまって、店長に笑われたことがある。切符の販売機(jī)に向かった時、うっかりして「呼び出し」というボタンを押してしまった。すると隣の小さな窓が開き、或る人の頭がまるで童話の啄木鳥のように、ぎゅっと窓から出て來て、心配そうな顔で「どうしましたか」と私に聞いた。さすがに私は驚かされた。あれから、友達(dá)と寮までずっと笑いながら帰った。東京に著いて、トイレに行ってきたら、訳もわからなく急に警察に取り囲まれて、パスポートを出してくださいと言われたこともある。また、私が自転車で怪我したお陰で、病院に行く経験もできた。保険に入ってない場合は、さすがに診察費も高かった。それから、日本人の友達(dá)ができてから、一緒にカラオケに行ったり、ボーリングをやったり、USJに遊びに行ったりした。割り勘にはまだちょっと慣れていなかったけど、遊びながらお互いの感情が深くなるのが感じられた。私がずっと感心しているのは日本人の熱心な仕事ぶりである。一緒に働いていた人は私ができるまで、皆熱心に何回も教えながら、なぜああせずに、こうすべきかもちゃんと説明してくれた。皆いつも一生懸命仕事をやっていて、人に迷惑をかけないという意識がすごく強(qiáng)かった。そのため、學(xué)生は學(xué)校をサボることはあっても、バイトを休むことは非常に珍しい。また仕事中、彼らはいい加減に対処することなく、強(qiáng)い責(zé)任感を持って頑張っている。時々、駅で勤めている人や宣伝をやっている人がずっとお辭儀をしながら、大聲で 「ありがとうございます」、「ありがとうございました」と言っている場面を見ると、感動で胸が熱くなった。中國では多くの學(xué)生が自分の勉強(qiáng)に情熱的に取り組むのに対して、日本の大學(xué)生はクラブ活動をやるときが一番やる気満々に見える。特に私を驚かせたのは、車で學(xué)校に通っている學(xué)生が結(jié)構(gòu)多い事、大勢の女性が持っているのはLVのかばんであるにも拘らず、學(xué)費を払えないとか言って、學(xué)校を辭めようとする人がいる事、また家に帰りたくなくて、外で一人で一晩中お酒を飲んだりする人がいる事などである。自分の國から出ると、母國への深い愛情さえ感じられるとある先生がおっしゃったように、日本へ行ったら、何かをやる前に自分自身のことだけではなく、母國の體面にかかわることもよく考えるようになった。普段、ルームメートと私は中國人の顔に泥を塗らないためにも、遅刻してはいけないとお互い注意しあったりした。またルームメートがバイトを始めた時、オーナーがご飯を持ち帰ることはできるけど、多く持っていってはいけないと言った。なぜなら、それはあの店で働いていた一人の中國人がよくたくさんのご飯を持って帰っていたからだ。ルームメートはそれを聞くと苛立って、一回もご飯を持って帰らなかった。私も賛成した。私たち中國人の名譽(yù)のために、お米がいくら高くても、持って帰ってはいけないと思った。今振 6 り返ると、その時ちょっとやりすぎだったかもしれないと思うこともあるけど、もう一度こういう狀況に直面しても、たぶん同じようにするだろう。このようなことは日本にいた時よくあった。正直に言うと、日本人の中國に対するイメージは決してよいものではないと感じられた。そのため、自分がちゃんとできていてなかったら、日本人の中國人に対する悪い印象を更に強(qiáng)めるだろうという心配がずっとあった。異國に住んでいる時、自分の國の悪口を耳にするほど恐ろしいことはないと思う。スナックで働いている中國人女性が多いと聞いた時、またバイト先の店長から中國が現(xiàn)在直面している一番の問題は経済発展と環(huán)境保護(hù)のバランスを考慮することにあると言われた時、自分の気持ちは複雑だった。帰國してから、私たちは日本の先進(jìn)的な面から學(xué)ぶべきだとよく口にするけど、日本にいた時には自分の國に様々な問題があると分かっていても、なかなか口に出せなかった。留學(xué)の最後の一ヶ月、餃子中每の事件について毎日何度も放送されていた。その時は一刻も早く中國に帰って、そのニュースから遠(yuǎn)ざかりたくて堪らなかった。

一方、私たちは中國人として、違う文化を持っている國に行き、違う教育を受けて來たわけだが、中國人も日本人も同じ人間で基本的には共通しているということも感じた。日本人の國民はみんな優(yōu)しかった。初めて會話を交わした時、私はいつも両國の違うところをよく口にしてしまったが、実は多くの考え方もやり方も一緒だと感じられるようになった。何と言っても、中國も日本も同じアジアの一員であり、そして日本は中國からの影響を深く受けてきた國だからだ。お互いの國境を忘れた上で、より深いコミュニケーションができれば、お互いの文化をより深く理解できると思う。

日本での感觸そして感動

日本語學(xué)科04甲班 耿 貝妮

日本に行った半年間は、喜びもあり涙もあり、寂しさもあり激情もあったが、今振り返ればそれら全ては感動であった。

考えのきめ細(xì)かい大阪人

9月10日、私達(dá)14人はM875フライトに乗り20年間生活してきた馴染み深い杭州を離れ、日本に向かいました。日本語と日本の文化を3年間學(xué)んで、ずっと日本を憧憬の眼差しで眺めてきた私にとって、日本に対するイメージを教科書の內(nèi)容から思い描くだけで終わらせたくはないとずっと思ってきました。初めて自分の國を離れた時は、ドキドキ緊張していました。でも、その緊張感は空港までわざわざ來られたIBU國際交流センターの先生達(dá)の笑顔を見た瞬間、一気に解れました。私達(dá)の荷物を持ってくれて、私達(dá)は旅行中の見聞について話しました。関西空港は海岸に位置しており、海の景色を鑑賞しながら先生達(dá)と話しているうちに、すぐ寮に著きました。寮は二階建ての別荘のようでした。寢室は小さいけど、必要なものが全部準(zhǔn)備してありました。電子レンジ、湯沸かし器、エアコン、カラーテレビ、冷蔵庫、包丁、ハンガーまで何でも揃っていました。まるで自分の家のように感じられました。ちょっと整理して休んでから、先生達(dá)は私たちを連れて一番近いスーパーに行き、必要なものを買ってくださいと言いました。先生たちは私達(dá)の買い物が終わるまでずっと外で待っていてくれました。みんなの買い物が終わってから先生達(dá)は私達(dá)を寮まで送ってくれました。そして、先生はその後一週間のスケジュールを私達(dá)に紹介し、私達(dá)を連れて銀行カード、健康保険、攜帯電話などの手続きをしてくれ、自転車の購入にも付き合ってくれました。初めて日本に行って、感じたのは9月の強(qiáng)い日差しと考えのきめ細(xì)かい大阪人でした。

情熱的、友好的な仕事仲間

10月、人生で初めての仕事を始めました。コンビニでの仕事です。偶然買い物に行った時、入り口に従業(yè)員募集のポスターが貼ってあることに気が付きました。是非やってみようと思い、私は人生で初めての履歴書を持って、オーナーとの面接に臨みました。オーナーは主に私がアルバイトの未経験者であることを心配し、また5ヶ月しかできないので、最初は少し悩んでいるようでしたが、私にアルバイトのチャンスを與えてくれました。仕事も日本語も頑張ってと私に言ってくれました。最初は「いらっしゃいませ」という簡単な言葉も口に出せませんでした。私が一人前になる為にまず必要なのは自分自身の努力ですが、更に欠かせなかったのは同僚達(dá)助けでした。最初は何をどうやるのかよく分からなくて、いつも間違いました。同僚にもいろいろ迷惑をかけました。しかし彼らは毎回私のことを親切に助けてくれて、更にはお詫びの気持ちでいっぱいの私を慰めてくれたりもしました。床掃除、商品の補(bǔ)充、レジ、郵便小包など仕事のやり方を覚えられたのは彼らのおかげです。仕事以外の時間に彼らはいつも私をカラオケに誘ってくれて、食事をしたり、旅行に行ったり、私の生活を豊かにしてくれました。日本人との付き合いを通して日本の風(fēng)習(xí)と日本人の考え方を更に深く理解しました。中國人という理由から差別されたりすることは全くなくて、彼らは完全に私を仲間に加えてくれました。日本を離れる前にオーナーに別れの挨拶をした時、彼は私にまたもし大阪に來る機(jī)會があるならぜひうちの店で働いてくれと言い、その話を聞いて私はすごく感動しました。私の5ヶ月の仕事に対して高 8 く評価してくれたものと思っています。

無私な先生達(dá)とかわいい學(xué)友達(dá)

日本の先生は私達(dá)の特殊性まで考慮して、私達(dá)14人のために単獨で多くの授業(yè)をしてくれました。このような教授法は確かに私達(dá)に多くの収穫を齎してくれました。いつも満面の笑顔の矢羽野先生、厳格ですが私達(dá)を最も愛してくれた南谷先生、博學(xué)で面白い高原先生…。先生たちのおかげで私達(dá)は多くの知識を身に付けることができました。ちょうど日本に行く私達(dá)には現(xiàn)地に友達(dá)がいないから、授業(yè)を受けることだけで、他の課外活動はほとんど何もありません。先生達(dá)は多くの活動の方案を制定し、日本の學(xué)生と私達(dá)が一緒に活動できるように、中日の學(xué)生の交流の場を準(zhǔn)備してくれ、また一方では私達(dá)の課外活動を豊かにして、私達(dá)の日本語のレベルの向上に気を遣ってくれました。先生達(dá)の獻(xiàn)身的な努力と學(xué)友達(dá)の積極的な協(xié)力のおかげで、歓迎會、神宮旅行、京都旅行、送別會など様々な活動を行うことができました。私達(dá)はそれらの活動を通して日本人の情熱に深く心を打たれました。

謙虛で環(huán)境保護(hù)意識の強(qiáng)い日本人

日本に行ってから、毎日日本を経験する中で、以前教科書で學(xué)んだ「禮儀の國」という4文字が最も完璧な解釈を得ました。エレベーターではみんな右側(cè)に整然と一列になって立ち、急いで行かなければならない人のために左側(cè)通路を開けておく點、バス停では秩序を重視し一列に並んで待つ點、ゴミを厳格に分類する點、街にゴミ箱は多くないにもかかわらず、道はきれいで衛(wèi)生的である點、犬の散歩時に責(zé)任を持ってフンの後始末をする點などなど。全てが整然と秩序立てて行われているのには感銘を受けざるを得ませんでした。「申し訳ありません」は日本で使用頻數(shù)が最も多い一句であり、自分の行為が他人に迷惑をかける場合にはどんな些細(xì)なことでも相手に謝罪をする。

目がくらむ美食とアクセサリー

日本に行く前、日本はショッピングの天國であると聞いていたがまさにその通りであった。どこに行っても見られるたこ焼き、お壽司、おにぎり、そして裝飾がとてもかわいい商店。私は知らず知らずのうちに吸い込まれるようにして中へ入ってしまった。中へ入った後そこから出たくなくなる。精巧に作られたペンダントなど小さなかわいらしい商品を見た時、私は思わず日本人のアイデアと構(gòu)想に感嘆させられた。

半年間はあっという間に過ぎてしまったが、それは私にたくさんの財産、たくさんの美しい記憶を殘してくれた。これらは私のこれからの生活の中できっと役に立つと思う。

特別な體験 貴重な経験

――日本留學(xué)について

日本語學(xué)科04甲班 胡 麗芳

半年の留學(xué)生活はあっという間に過ぎてしまいました。生活にしても、勉強(qiáng)にしても、非常に充実して過ごしました。思い出す度にいろいろな感情が心に湧いてきます。

四天王寺大學(xué)が私達(dá)留學(xué)生のために開設(shè)した課程は浙江工商大學(xué)日本言語文化學(xué)部の課程と同じように、日本文化、日本経済、日中翻訳などの科目を含んでいます。それらの中で、日本人の學(xué)生さんと一緒に受ける授業(yè)がある一方、私達(dá)十四人で受ける授業(yè)もあります。そのような形式により、日本人の學(xué)生さんと交流することができるだけでなく、私達(dá)交換留學(xué)生の語學(xué)レベルによって効果的に授業(yè)を受ける事ができました。日本で授業(yè)を受けて感じたのは、日本人の先生が非常に學(xué)生の勤勉性を重視しているということです。それこそ中國と歐米の成果主義とは異なっているところだと思います。中國で三年間も日本語を勉強(qiáng)してきましたが、日本に來てから、日本社會と日本人の國民性の奧にあるものを理解できるようになってきました。日本人はいつも「恩」、「情」、「恥」などの禮儀を大切にします。他人から何かを受けたら、恩返しをしなければなりません。それに、他人との関係の親しさによって、恩返しの仕方も変わります。また「恥」というものも常に意識されています。日本人の國民性の特徴については日本文化の授業(yè)でいろいろと學(xué)びました。それらはわれわれ中國の學(xué)生にとってとても興味深い內(nèi)容でした。日本人と日常生活で接する中で、「日本人は禮儀正しい」という言葉が一層理解できるようになりました。日本人は「立場」をどのように認(rèn)識するかということにいつも気を配ります。どんな職場でもその地位に相忚しい「立場」を正く意識し、出來る限り自分の能力を発揮し、努力しようとします。このように「日本人はいつもこつこつと働く」という印象を外國人に與え、強(qiáng)い責(zé)任感を持っていると外國人に感じさせます。日本語と文學(xué)を?qū)煿イ筏皮い胨饯郡沥稀⑷毡旧鐣藢g際に身を置いて、自ら體験する必要があると思います。この半年間、生活を通して體験し、感じたものは本で學(xué)んだ知識よりも遙かに貴重です。「體験が成長の糧」と言われるように、その社會に身をおいて実踐的に體験してこそ、その社會の奧にあるものを心で感じ取ることができます。教科書から學(xué)ぶことはあくまでも知識の習(xí)得であり、実踐することこそが本當(dāng)の勉強(qiáng)だと思います。生活の面において、半年の日本滯在期間中はずっと四天王寺大學(xué)の先生方から至れり盡くせりのお世話になりました。寮の中には何種類もの電気製品が設(shè)置されており、生活する上ではとても便利でした。それに、先生方がいつもいろいろ配慮してくれて、生活の面で何か不便なところがあるとすぐ解決してくれました。そのおかげで、半年の留學(xué)生活は本當(dāng)に楽しく過ごせました。

生活といい、勉強(qiáng)といい、非常に細(xì)やかな問題であっても、先生方がいつも非常に熱心に解決してくれました。

授業(yè)と日常生活の両方で日本語を勉強(qiáng)し、日本社會を體験することができただけでなく、半年の留學(xué)生活の中で色々な貴重な體験もできました。クラスメートは皆それぞれ自分なりの人生の目標(biāo)を持っており、半年の留學(xué)生活の中でどのようにすれば時間を無駄にしないで、自分の目標(biāo)に少しでも近づいていけるかということがとても大切でした。みんな半年という時間を有効的に利用し、日本社會の奧に潛む魅力的なものを発見し、その面白さと美しさを吟味しようと夢中でした。また日本人との日常生活上での交流を通じて、會話力が一層よくなってきただけでなく、日本人の話の運(yùn)び方、思考方式など前から理解し難 10 かったことも、日本に來てから理解できるようになってきました。四天王寺大學(xué)は靜かなところに位置していますが、生活の上ではとても便利でした。寮の近くにはバス停があって、町に行くのも便利です。とりわけ、日本は交通網(wǎng)が非常に整備されている國で、各駅の間は電車線で繋がれていて、電車のスピードも速く、時間の節(jié)約にもなります。それらは日本人の「よく働く」、「時間を無駄にしない」という意識にも関わっていると思います。この半年の留學(xué)生活は、勉強(qiáng)と経験を同時にする過程であったとも言えます。二つの面に分けると、授業(yè)中の勉強(qiáng)と體験、実踐中の勉強(qiáng)と體験に分けられます。授業(yè)中には言語と文學(xué)を勉強(qiáng)しますが、日本人と接すると日本人が持っている勤勉性、謙虛性、責(zé)任感といったものがひしひしと伝わってきます。それこそ日本人が人格を重視している原因だと思います。もう一つは、日本人が自國の尊厳を大切にしているということです。日本の街を歩く時に、いつも日本人の友好さに胸を打たれます。

例えば、道に迷ってしまった時、近くにいる日本人に道を聞いたら、すぐに返事をしてくれます。知らなくても、他の日本人に聞いてから教えてくれます。日本人のそのような友好さに感動してしまうのは當(dāng)たり前のことでしょう。だから、日本人は「他人に対する禮儀を重んじ、良い印象を與えてくれる」とよく言われます。それこそ「日本が住みやすい」と言われ、日本人が誠実で友好的な性格であると言われる有力な証拠です。現(xiàn)在、日本のあらゆる町に數(shù)えきれない程の外國人が住んでいます。日本は大いに外來の文化を受け入れつつ、自國の経済を発展させてきました。僅か半年という短い期間ではありましたが、日本を自らの足で歩き、その魅力をじっくり味わうことが出來て本當(dāng)に良かったと思います。たくさんの日本人の友達(dá)が「日本は住みやすい國だ」と言っていましたが、私は日本の國民の積極的、友好的そして前向きな態(tài)度をいつまでも覚えていると思います。日本に対する感情が認(rèn)識から理解に変わり、理解から熱愛に変わりました。日本でのいろいろな出來事を思い出す度に、日本が私の第二の母國だという気がします。半年の留學(xué)生活でいろいろな勉強(qiáng)ができたことに満足している一方、日本に対する熱愛の感情で今は胸がいっぱいです。

留學(xué)體験について

日本語學(xué)科04甲班 蔣 玲玲

去年の九月、學(xué)校の手配により、私たち14人は大阪に交換留學(xué)に行くチャンスを手に入れた。半年間はあっという間だったけど、私たちはいろいろ貴重なものを得ることが出來た。

大阪に著いたばかりの時は、大阪弁がすごく苦手で、勉強(qiáng)した標(biāo)準(zhǔn)語が全然役に立たないと痛感した。それに、周りの人は皆早口で、私はあまり聞き取れなかった。だから、最初は言葉のせいで私はさびしくて、強(qiáng)い孤獨感があった。早くこの半年を過ごして、家に帰ろうと思っていた。でも、時間が経つにつれて、私はだんだんその環(huán)境に馴染んできて、帰國したいという気持ちもそんなに強(qiáng)くなくなってきて、逆にこの國に好感が持てるようになって來た。その理由の一つが國際交流センターの先生方から多くの支援とお世話も頂いたことである。両親のように、至れり盡くせり私たちの生活の面倒を見てくれて、その親切は私たちの心に深く刻まれた。したがって、言い換えると、この半年間もし國際交流センターの先生方の十分な忚援がなかったら、私たちはそのように楽な留學(xué)生活を過ごせなかったと思う。

半年の留學(xué)のおかげで、私たちは日本的な學(xué)習(xí)生活を十分に體験した。日本人の學(xué)生と一緒に授業(yè)を受けて、交流することはすごく楽しかった。學(xué)校ではどこにでも日本的な雰囲気が満ち溢れている。私たちが體験した日本文化は學(xué)校の教科書とぜんぜん違っていて、授業(yè)だけでは學(xué)べないものである。日本の教育は學(xué)生の個性の発展を強(qiáng)調(diào)する。発表、スピーチ、論文など先生方は大きなスペースを提供し、學(xué)生に自由に個性や能力を発揮させる。こういう方法を通じて、學(xué)生の考えや意見などを聞くことが出來たのは私の中で一番深く印象に殘っている點である。特に南谷先生の日本文化論は私たちに日本文化について詳しく理解させてくれた。いくつかの論文を通じて、日本文化に対する私たちなりの考え方が生まれた。そして、この方法で先生とやりとりしてよく交流した。これは日中交流に役に立つのではないかと思う。文化論を勉強(qiáng)する前に日本文化は私たちにとって抽象的で理解しにくいものだと思っていたが、先生は具體的な事物を使って説明してくれた。日本人の學(xué)生は休日にはそれなりに有意義な生活を送っているようだ。特にクラブ活動が大部分の時間を占めている。普段、學(xué)校で學(xué)生たちは三々五々クラブのこと等について話してよく笑っている。その光景を見て彼らの集団主義を強(qiáng)く感じた。彼らの集団に入るのは難しいけど、彼らと付き合ってみたら、いろいろ勉強(qiáng)になるかもしれないと思った。特に日本でのアルバイトの経験は私にとって一番大切な思い出である。やさしい同僚、店長そしてお客さん、皆は私に親切にしてくれた。初め自分が外國人だから偏見があるのかなとずっと心配していた。長い時間が経って、皆は私が彼らの集団に入れるように支援してくれていることが分かった。日本に好奇心をいっぱい持っている私はバイトを通じて、様々な生活を體験した。もし多くのやりとりがあれば、日中の交流はもっと順調(diào)になって、両方の距離が縮まるかもしれない。

そして、計畫を重視する日本人にも深い印象を受けた。學(xué)習(xí)でも生活でも仕事でも、一般の日本人は事前に計畫を作ることが好きだ。彼らは計畫が急に変更することを嫌う。そのことを私はバイトの過程を通じてよく分かった。初めはこういう方式にぜんぜん慣れていないから、いろいろなミスを犯した。しかし、彼らの生活を理解した後、私もこういう習(xí)慣を身につけるようになっていった。半年は短いけど、いい習(xí)慣を身につけることができたと思う。

日本人の部屋は大體皆きれいである。日本人の先生の家に一回行ったことがあるが、非 12 常に清潔であることに私たちは驚いた。私はこういうような日本人の國民性に心から感心した。そして、日本のゴミは燃えるごみと燃えないごみ二種類に分けて、捨てる時間も決まっている。最初は慣れなかったけれど、このようなやり方は地球にやさしくて、リサイクルにもいいと言われているから、できるだけ協(xié)力すべきだと意識するようになった。確かに、日本には多くの長所があると認(rèn)めなければならない。誰にでも長所があるように、どんな國にでも優(yōu)秀なところがある。この半年、私は人の長所を?qū)Wんで自分の短所を改善するということがよくわかった。この半年いろいろな経験をした。また海外にいる時、自分は中國人であるということを強(qiáng)く意識するようになった。祖國のために栄光を勝ち取るというのが私たちの使命になった。

私たちの成長は私たちだけで感じられるものである。日本語の勉強(qiáng)はただの資格証明書取得のための知識や教科書の知識だけでなく、忚用や実踐力を伴うものでなければならない。留學(xué)はその近道だと言われる。確かにその通りだ。いろいろな人と出會って、自分の経験が豊かになるなど、私たちの成長に大きな影響を與えたと思う。今回の留學(xué)経験は私の今後の生活に影響をもたらすに違いない。自分の人生は自分の力で作るということをちゃんと痛感した。どんなに辛くても、頑張っていればきっといいことがあると信じているし、私はこれからの人生に自信をいっぱい持っている。また、學(xué)校にもう一度感謝したい。學(xué)校のおかげで、この留學(xué)は私の大學(xué)生活における最高の寶物になった。

留學(xué)の感想

日本語學(xué)科0401班 李 頴

半年の留學(xué)生活はあっと言う間に終わりました。本當(dāng)に短かったです。日本に行った日の光景が今でも目の前に浮かぶようで、私はあの時のはらはらどきどきした気持ちを昨日の事のようはっきり覚えています。20年間、一度も親元を離れたことのない私にとってこの留學(xué)生活は一種の挑戦であったとも言えます。何もできない私には留學(xué)生活を前にして不安がたくさんありました。

日本に來る前日、興奮と不安とで私は全然眠れませんでした。次の日、親と挨拶を交わし、ついに門出の時を迎えました。しかし私は決して一人ではありませんでした。私の周りにはたくさんの友達(dá)がいました。留學(xué)とは私にとって夢でしかなかったけど、學(xué)校のおかげでそれは現(xiàn)実になりました。向こうの學(xué)校からこのような貴重なチャンスをいただいて、本當(dāng)にありがとうって言いたいです。特に國際交流センターの先生たちが優(yōu)しく、いろいろお世話をしてくれました。初めて親元を離れるわけですから、時々寂しさや悲しさを感じることもありました。もし先生方そして友達(dá)の支えがなければ、この寂しさを克服しようという勇気は湧いてこなかったと思います。皆が傍に居てくれたから、留學(xué)生活は幸せでした。

また留學(xué)してから、以前當(dāng)たり前のように親にして貰っていたことがどれだけ尊く、また家族とは如何に掛け替えのない存在であるのかが分かるようになり、親のありがたさ、親の優(yōu)しさを身に沁みて痛感しました。でも日本にいる時、私の友達(dá)は皆まるで私の家族のようでした。留學(xué)が終れば友達(dá)とまたばらばらになると思うと突然落ちこんでしまいました。あの時、私は中國に帰りたいけど、帰りたくないという複雑な気持ちでした。日本に滯在している時、いろいろな所に行きました。例えば奈良には何度も行きました。先生のおかげで、奈良の観光地やお寺や公園にもよく行きました。奈良といえば、今でも鹿を思い浮かべます。奈良では街中にも公園にも、鹿がたくさんいます。まるで奈良の主人公見たいな存在です。鹿煎餅を持っていると、すぐ鹿に取り囲まれてしまい、この靜かな動物は急に獰猛な動物に豹変したかのように餌を追いかけます。奈良は不思議で綺麗な町です。京都にも行きましたが、奈良と京都とでは趣が全然違います。京都の美しさはもっと深い感じがします。嵐山の紅葉は人の心に染み入るほど美しかったのを覚えています。一番思い出に殘っている所は東京のディズニーランドです。音楽もいいし、キャラクターもかわいかった。まるで物語の世界にいるような感じがしました。

それぞれの場所を巡り歩いて感じたことは日本が本當(dāng)に綺麗な國であるということです。この綺麗な國にいる間、私は色彩にとても敏感になりました。例えば化粧品の色使いです。日本に行く前、私は全然化粧しなかったけど、日本の街を歩いている時に見かける女の子は皆必ず化粧しています。だから、私も化粧を始めました。化粧することによって人に好感を與えられるということが分かり始めました。そして、ご飯の作り方も習(xí)いました。私は女の子なのに掃除や料理など全然できなかったけど、日本に來てから毎日自分でこれらの家事をしました。將來いい女にならなきゃとあの時はそう思いました。でも殘念なことに今中國の家に帰って、また元に戻ってしまいました。日本にいる時、日本の學(xué)生さんにいろいろお世話になりました。私たちの寮に來てくれて、遊びにも付き合ってくれました。いろいろ話し合う中で、言っている事が通じない時もあったけど、気持ちは言葉なくても通じるのだと信じています。また大學(xué)際の時、彼らは私たちを助けてくれて、私達(dá)の催し物である中華茶館は大成功でした。あの時のうれし 14 さはいつまでも忘れられません。

今の私は日本に行けて本當(dāng)に良かったと心からそう思っています。日本の先生方、友達(dá)などいろいろな人と出會えてよかったです。もう二度と會うことはないかもしれないけど、一生に一度きりの出會いであったと思うと尚更會えて良かったという気になります。

また日本でいろいろなことを初めて體験することができました。親元を離れての自炊生活や家族のいない中で初めて過ごす舊正月等等…。この半年間で私は大きく成長したと思います。

滑走、離陸、飛行

日本語學(xué)科0401班 繆 嬋

飛行機(jī)は滑走して、離陸して、空に飛び立つ。私の大學(xué)時代も、三年の努力と準(zhǔn)備で、この6ヶ月の交換留學(xué)のチャンスを勝ち取った。工商大學(xué)、先生方そして両親と離れて、自分の期待や夢を胸に抱き、憧れの日本へと飛び立った。

この短い半年の中で私たちは寂しさやホームシックなど外國生活の苦しさを時々感じたが、周りの新しさと充実感はすぐに私たちを楽しい勉強(qiáng)と生活へと戻らせた。

四天王寺國際仏教大學(xué)で日本文化論、中日通訳、経済常識などの科目を勉強(qiáng)して、日本語能力にも、日本についての知識にも、もっと自信を持つようになった。授業(yè)でとても厳しい南谷先生はいろいろな本や雑誌を贈ってくださったり、何回も私たちの論文や宿題を直してくださったりした。今は本當(dāng)にありがたい気持ちでいっぱいだ。矢羽野先生はいつも親切な笑顔をしておられて、授業(yè)でも生活でも皆と仲良くなった。何でもきちんとする高橋先生は皆の希望した內(nèi)容を真面目に準(zhǔn)備して教えてくださった。皆の聞き取りや読解、作文能力も上級日本語の授業(yè)を通じ、進(jìn)歩してきたと信じている。熱血の中原先生はいつも無味乾燥な経済循環(huán)や金融危機(jī)を面白く皆に伝えてくださった。忘れられない元気さだ。いろいろすばらしい先生方のおかげで、皆ずっと頑張ってきて、期待に背かないような成績が取れたと思う。

國際交流センターの村上センター長、氏家課長、夢田さん、三輪さんは私たちの留學(xué)生活を充実させるために、職場以外でも「サービス殘業(yè)」をたくさんしてくださり、皆に家族のように信頼された。滯在中、私たちのわがままと油斷によってすっかりご迷惑をかけたが、國際交流課の職員たちはいつも親切に手伝ってくださった。私も他の留學(xué)生たちのように、日本語能力を高めるために、また日本各地を旅行するために、授業(yè)以外の時間を利用して、寮の近くの藤井寺特別養(yǎng)護(hù)老人ホームにアルバイトに行った。園長は長い時間の面接をして、初めて外國人のバイトさんを採用した。老人ホームの仕事は大変だし、老人たちと介護(hù)たちの連絡(luò)や報告もちゃんとしなければならないし、初めての時、次長も主任もすごく心配してくれた。いつも「慣れますか」、「行けますか」と聞いてくれた。私は一生懸命仕事をしたが、介護(hù)の経験がぜんぜんなかったし、老人たちの性格も知らなかったし、何回もやめようと思った。しかし、外國で「中國人は駄目だ」とか絶対に言われたくないから、頑張って最後まで続けた。1ヶ月後、私は老人ホームの仕事に詳しくなった。老人たちが手招きしたら、私はすぐ欲しい物が分かるようになった。5ヶ月ぐらいのバイト経験のおかげで、一緒に仕事をした介護(hù)たちや老人たちと仲良くなった。いろいろな人生の哲理を教えてくれるお婆ちゃんたちは私がすぐ中國に帰ることを聞いて、涙をぼろぼろ流した。介護(hù)たちは心暖まるアルバムを作ってくれた。日本に行ったばかりの時、日本人というと冷たいイメージを持っていた。しかし、今の私から見ると、人間は一緒だ。私が正直に精誠を込めて日本人と付き合えば、相手も心の戸を開けてくれる。

帰國してから、もう1週間だ。日本の先進(jìn)技術(shù)や禮儀作法などは中國人にとって勉強(qiáng)に値する。もうすぐ卒業(yè)して社會に入る私にとって、この半年は専門知識を高めることができ、肌で感じた日本の感觸はこれからの人生でもきっと役に立つに違いない。

日本はすばらしい國だ。高層ビルが林立している新宿、山が赤く染まる紅葉、立派な世界遺産の姫路城……。さまざまな畫面が今でもはっきりと私の脳裏に刻まれている。滑走して、離陸して、空に飛び立つ私はこの美しい思い出を連れて、またあの笑顔と汗を殘した島國に行くだろう。

思い出せば

日本語學(xué)科0401班 王 琳 「光陰矢の如し」と言うように、半年間の留學(xué)生活が知らず知らずのうちに終わってしまった。この半年間を振り返ってみると、とても充実した時間だったと思う。日本語を三年間も勉強(qiáng)したけど、今まで日本語を?qū)g際に話す機(jī)會が多かったとは言えない。授業(yè)や日本語コーナー以外に、日本語を話すチャンスはほとんどなかったと思う。留學(xué)のおかげで、思いっきり日本語を話す機(jī)會を手に入れることができて、本當(dāng)にうれしかった。私は日本に著いたばかりの日、迷子になってしまった。「すみません。ここに行きたいのですけど」と小さい聲で地図を見てもらった方にそう言った時、胸がどきどきした。「ああ。まっすぐに行って、二番名の信號を左に曲がったらすぐ目の前にあるよ」と教えてくれて、私は「ありがとうございます」と答えた。私にとってこれは初めての海外生活であり、全て順調(diào)にいくと思っていたのだが、著いた翌日たこ焼屋さんの早口関西弁にすっかり參ってしまい、自分の考えは甘すぎたと分かった。自分の日本語はまだまだで勉強(qiáng)すべきところがいっぱいある。関西弁は東京弁と比べ、否定形の言い方やアクセント、イントネ-ションなどの面で違いがある。始めは全然わからなかった私だが、この半年間で関西弁もちょっと分かるようになった。それは優(yōu)しい関西の方々のおかげだと思う。通じなくて焦っているこの私を見て、向こうはいつも微笑みながら、普段よりもゆっくり話してくれたり、略語や外來語を丁寧に説明してくれたりしたからだ。この半年間、友達(dá)もいろいろできた。其の中には若者ばかりではなく、お年寄りもいる。若い友達(dá)は主に大學(xué)祭の時できた。日本の大學(xué)祭というのが私には何となく分かるようでありながら、今一ピンと來ない感じがあった。それは私が見たドラマやアニメの中に大學(xué)祭と関わるシーンがよく出てきて知ってはいたものの、実際に參加したことがなかったからだ。せっかくのチャンスだし、その雰囲気を是非感じてみたかった。そして、中國に関する情報をできるだけ多く日本人に伝えるために留學(xué)生の私たちは參加させていただいた。先生たちは初めて大學(xué)祭に參加する私たちの為にわざわざボランティアの學(xué)生を募集してくださった。テーマの決定から最後の片付けまで、彼らは積極的に助けてくれて、私たちの催し物である「中華茶館」は大成功だった。一緒に道具や服裝を準(zhǔn)備したり、見所を考えたり、會場を飾ったり、ボランティアで集まった日本の學(xué)生達(dá)の創(chuàng)造力にはとても驚かされた。私たちの方が先輩なのに私たちの方が遙かに不器用で恥ずかしかった。そして、ディスカッションする時まめにメモを取る姿も、またリハーサルの時根気よく敬語の正しい使い方を教えてくれる姿も印象深かった。そういう一所懸命やる姿に深く感服させられた。他人の意見に熱心に耳を傾けながら任された仕事を真面目にやる彼らのそういうところを私たちも學(xué)ぶべきだと思った。藤井寺には日本語教室がある。そこではボランティアで集まったお年寄りたちが日本語の話せない在日外國人に日本語を教えている。またそのお年寄りたちも外國人から外國の情報をいろいろと得ているようだ。それは一種の異文化コミュニケーションとも言えるだろう。日本語教室のおじいさんやおばあさんたちはみんなやさしくていい人たちだった。一緒に伊勢神宮に行った時伊勢神宮のことを教えてくれたり、クリスマスの時料理を作ってくれたり、帰國の前には送別會を催してくれたりして、家のような暖かさを感じさせてくれた。本當(dāng)にありがたかった。人生は一期一會と言っても、人と人の縁が結(jié)ばれればそれは一生の寶だと日本語教室のおじいさんが言っていた。私もそう思っている。今は日本にいた時のように頻繁に會えなくても、インターネットを通じて連絡(luò)している。今回の留學(xué)で、私は生活の勉強(qiáng)もした。17 今まで、料理がほとんどできなかった私はカレーやチャーハンもできるようになった。帰國してから、両親に作ってあげて、両親は大変喜んでくれた。この半年間は両親の元から卒業(yè)する準(zhǔn)備期間であったとも言えるかもしれない。この半年間いろいろな方にお世話になった。それらの方々の恩に直接報いるチャンスがないかもしれない。しかし私もいつか誰かの為に奉仕し、誰かを助ける事を通して、この恩に報いたいと思う。それを心に刻んで、これからも頑張っていきたい。

半年の留學(xué)を振り返って

日本語學(xué)科0401班 王 洋

帰國して二ヶ月。親戚と友人に會う時によく「日本での留學(xué)生活どうだった?」と聞かれる。日本での半年の生活を思い出すと、僕はいつも懐かしく思うのだ。その新鮮さと楽しさと孤獨、それに感動に溢れた日々を。

日本に到著し、日本の土を踏みしめ、日本の空気を呼吸している僕は、學(xué)校の宿舎行きの車に乗っている間中、ずっと夢のような青い海を眺めていた。僕は海を見るのが初めてだったのだ。興奮の中にも少し緊張。なぜなら、これは僕にとって初めての異國體験だから。20年間暮らしていた母國を離れて、異國で生活するのは人生の中で初めての體験である。「僕は今後の半年の間に、どのような學(xué)校で勉強(qiáng)するのか、どのような環(huán)境に住むのか、そこの先生やスタッフはどんな人たちなのか、それに日本人の生活様式と飲食習(xí)慣に慣れることができるのか」などの沢山の疑問は僕を不安な気持ちにさせた。ラッキーだったのは接待していただいた國際交流センターのスタッフたちがとても親切だったことだ。空港まで迎えに來ていただいたお姉さんの笑顔は素敵だった。そしてもう一人のスタッフさんは僕らが車から降りた後、部屋までスーツケースを運(yùn)びながら、僕らの住む環(huán)境について紹介してくれた。結(jié)構(gòu)ユーモアな人だった。話の中に冗談が多かった。まるで初めて會うという感じがしなかった。これは僕の心の底にある不安感を少し和げてくれた。その後の半年を通じて僕の第一印象は正しいと分かった。國際交流センターのスタッフたちと學(xué)校の先生たちは皆親切でまじめだった。僕らの半年の留學(xué)の間に色々細(xì)かいところまで助けていただいた。最初の頃は大変だった。見知らぬ環(huán)境の中で生活するのは確かに大変なことだ。バスや電車の乗り方、日常用品の使い方、ごみ処理のやり方、すべて分からなかった。コンビニの自動販売機(jī)で電話カードの買い方さえ店員さんに聞かないと分からなかった。その上、學(xué)校はまだ始まっていないので、暇なときはいつも家族や學(xué)校の友達(dá)に會いたくなるのだ。孤獨感が強(qiáng)かった。

學(xué)校が始まってから皆忙しくなった。僕も少しずつ日本での生活に慣れてきた。新しい學(xué)習(xí)環(huán)境は留學(xué)生の僕らにとっては新鮮で面白かった。三年も勉強(qiáng)した言語や文化の知識はいよいよ役に立つのだ。「暇な時が多すぎると皆退屈じゃないか」と學(xué)校側(cè)が考えてくれて、僕らの意見と合わせて授業(yè)の數(shù)を予定より少し増やした。その授業(yè)の中で、五つくらいは日本人の學(xué)生たちとともに受ける。僕が一番難しいと感じたのは日本文學(xué)史Ⅱと日本文化論。理解するのに時間がかかる。通訳理論と実踐や上級日本語及びビジネス日本語などは留學(xué)生向けの授業(yè)だから、人數(shù)が少ない。授業(yè)の雰囲気は比較的楽だった。運(yùn)動や友達(dá)作りのため、僕は放課後の時間を利用して學(xué)校のバスケ部に入った。毎週クラブのメンバーたちと二回練習(xí)していた。週末は時々彼らと関西のバスケのリーグ試合に參加し、各學(xué)校のクラブ文化を體験し、関西周辺の學(xué)校で遊びまくる。年末の頃も彼らと忘年會に參加した。

日本に著いた二ヶ月後僕はアルバイトを始めた。日本料理店だった。店長は楽天的な性格で、いい人だった。休憩の間はいつも僕とおしゃべりしていた。僕に中國の社會事情を?qū)い亭俊¥饯欷摔瑜瞍沃肖扦ⅳ盲郡长趣摔膜い匹ⅴ丧啸ぅ工筏皮猡椁盲俊¥陇螘rもわざわざ家まで招待してもらった。映畫も誘ってもらった。初めてのバイトなので、僕も普段自分のできるかぎり頑張っていた。餃子を作るのは僕には苦手だったが、帰國直前、感謝の気持ちを込めて中國式の水餃子を作ってあげた。それに、中國ではいい縁起を象徴 19 する「中國結(jié)」という飾り物をあげた。店の人は特色のある調(diào)味料やおやつを送ってくれた。最後の日は皆涙を流しながら別れを惜しんだ。とても感動的だった。今だに時々店のたまご丼が食べたくて仕方がない。

留學(xué)の半年はバイトの給料で沢山の旅をした。たとえば、京都の金閣寺、清水寺、平等院、宇治上神社、奈良の橿原神宮、三重の伊勢神宮、大阪市內(nèi)の大阪城…。それ以外に東京と神戸に旅行に行ったこともある。僕が一番好きなのは清水寺。秋の紅葉は今までの人生で見たこともない美しい赤色だった。大學(xué)での活動にも沢山參加した。一番印象深かったのは大學(xué)祭。僕らは日本人の學(xué)生たちと中華茶館をやった。中國の女の子たちはチャイナドレスで、日本人の女の子たちは浴衣の格好をして、國際交流センターのスタッフたちと學(xué)生皆の努力の下で、中華茶館は大成功だった。お祝いの為、その後皆でたこ焼きパーティーをやった。

半年の留學(xué)生活は充実していたけど、とても忙しかった。でも、本當(dāng)に勉強(qiáng)になったと思う。つらい事もあったが、楽しかった。

帰國直前、沢山の人が送別に來てくれた。感動的だった。親切な學(xué)校の先生方、交流しに來た學(xué)生たち、それといつもお世話になっていた國際交流センター、教務(wù)課、総務(wù)課、図書館のスタッフさんたち及びバスケ部の友人たち、バイト先の人たち、それからいつも國際交流活動を行っていただいた藤井寺市國際交流協(xié)會のスタッフたちに、心から感謝している。

帰國前最後の夜。一人で帰りの最後の電車に乗っていた。車窓からの夜景はいつもと同じように美しかった。気持ちは言葉で表せないほど複雑だった。半年はあっという間に過ぎってしまった。桜満開のキャンパスを見るチャンスは結(jié)局なかった。殘念だった。しかし、半年の短い留學(xué)生活は桜が散るのと同じようだった。花びらが枝から離れて散ってしまうのは確かに殘念だが、それより重要なのは開花してから散るまでの短く美しい過程なのだ。それで僕は満足できた。そんなに悲しく思わなくなった。

將來またいつか會えることを期待している。最後に心から挨拶したい言葉がある。「どうぞお元気で!ザイジェン!(またね)」

「さようなら」から「ただいま」へ

日本語學(xué)科0401班 徐 哲紋

2008年3月1日、私たち14人はアモイ航空MF875便の飛行機(jī)に乗って杭州に帰りました。これで半年の留學(xué)生活は完全に終わりました。

帰國する前、私たちは忙しい日々を送っていました。部屋掃除、送別會、帰國手続き、お土産買いなどなど。本當(dāng)に心の整理の余裕もないぐらいでした。お世話になった一人一人にちゃんと「さようなら」、「ありがとう」を言うこともできませんでした。飛行機(jī)が離陸した途端に日本への名殘惜しさがこみ上げてきました。

正直、大學(xué)四年生の時に交換留學(xué)するなんて今でも信じられないと思います。去年、王寶平先生がそのビッグニュースをみんなに知らせてくれた時のエピソードを今でも覚えています。當(dāng)時はクラスで誰もが皆信じられないといった表情でした。あれから四ヶ月、申し込み、選抜、出國手続き、一歩一歩進(jìn)んできて、最後にビザを取った後ようやく自分が留學(xué)へ行くことを?qū)g感しました。私にとって、今回は日本との初めての出會いです。こんなに長期間家を離れるのも初めてです。ですから、どこに行っても、何をしても全部新鮮で、新しい物ばかりの毎日でした。日本で初めてスーパーに行った時、様々なお菓子に惹かれた私はルームメートに料理をするための物をまず先に買うべきだと窘められました。日本で初めて旅行のコースに悩んだ時、先生が路線の調(diào)べ方を教えてくれました。日本で初めて地震に遭い、興奮している矢先に、阪神大震災(zāi)の遺跡を見て改めて命の大切さを感じました。

私は今回の留學(xué)を旅だと思いたかったんです。短い半年の間にたくさんの名所を訪れました。大阪城公園はもちろんですが、奈良公園、伊勢神宮、清水寺、神戸の中華街、北海道の流氷、旭山動物園、東京ディズーニーランド、富士山、伊豆半島などなど。日本人が誇りに思う場所には皆私の足跡が殘っています。旅を通して、自分は今日本という社會に、そして日本人という集団に屬して輝いているということをしみじみ感じました。

たとえ日本語學(xué)科の學(xué)生でいつも日本のことを勉強(qiáng)しているとしても、実際に日本に行けば、やはり想像以上のことがいっぱい出てきます。

例えば、日本人はすごい恥ずかしがりやであること。來る前もずっと知っていたけれど、まさか若者までそうだとは知りませんでした。それに、日本社會で活躍しているお年寄りのこと。一番印象深いのは、藤井寺國際交流協(xié)會の皆様です。みんな、できるだけ自分の力を出し、國際交流に非常に熱心で、特に私たち中國人の留學(xué)生と熱心に付き合ってくれたことは本當(dāng)にありがたいと思っています。

中國に帰ってきてもうすぐ2ヶ月になりますけど、正直に言って初めて日本に行った時よりも、むしろ今の方がこちらの環(huán)境に慣れ親しめないようで不自然です。特にあのきれいな空気が懐かしいです。バスを待つ時に日本のバスが時間通りに來ることをいつも思い出しています。今の中國は他の國に習(xí)わなければならないところがまだたくさんあります。もちろん、人それぞれ自分なりの欠點があるわけですけど、自分の短所から目を離してしまったら、自分も上達(dá)できないはずです。他人の長所を見つけて、自分の欠陥を補(bǔ)ってこそ、國も人生も発展できると思います。

帰國してから、まだたくさんのことをやらなければなりません。今回の留學(xué)は終わりましたけど、私たちの人生はまだまだ続いていきます。「人生は不思議です。」一人の先生が日本に戻る時こう言いました。何も分からないままで、一年後日本へしかも彼女が住んでいる近くに、留學(xué)に行きました。ですから、今の私はその人生の不思議さに興味を持っています。次はどこへと。

ただ一つ信じているのは、日本との付き合いはこれからです。だから、さようならではなく、よろしくお願いします。最後に若干遅いけれど、半年ぶりの杭州にも「ただいま」って。

私の日本留學(xué)

日本語學(xué)科0401班 葉 楠

稅関で検閲を受けて、飛行機(jī)に乗りました。疲れたせいかすぐ寢始めました。再び目覚めると、もうすでに海の上にいました。キャビンアテンダントのアナウンスの聲が聞こえてきました。ついに日本に著いたということが分かりました。

初めての留學(xué)生活に対する憧れと心配の気持ちを同時に心に抱き、荷物を持って飛行機(jī)を降りました。日本に対する第一印象は「靜」でした。荷物を待っている人がたくさんいたものの、がやがやと騒ぐ姿はあまり見えません。友達(dá)と話す時もわざと聲を小さくして話します。大學(xué)で授業(yè)を受けた時よく先生方から日本の電車はとても靜かだよと聞いていたけれど、実際に乗ってみると、本當(dāng)にそうでした。偶に騒いでいる若者たちが見えるけど、皆本を読んだりメールをしたり居眠りをしたりしていて、確かに靜かです。日本の住宅街も靜かで人があまり多くなく、夕方にお年寄りが犬を連れて散歩している姿がよく見えるくらいです。一番驚いたのは、日本人はけっこう犬を飼っていると思いますが、犬の吠えている聲があまり聞こえません。その原因を友人と何度も考えましたが、殘念ながらなかなか答えが見つかりませんでした。

國內(nèi)にいた時も日本文化などの授業(yè)を受けたけれど、実際こちらに來て、毎日の新しい発見を楽しみにしていました。もし2006年の夏の旅が観光であるなら、今回のテーマは生活で、些細(xì)なことで日本を感じ、日本人の生活を體験することです。大阪の冬は杭州と同じで寒かったです。毎朝、厚著してもぶるぶる震えながら學(xué)校へ向います。そんな時、よく見かけたのは真冬に半ズボンを履いて生き生きとしたとても元気な小學(xué)生や中學(xué)生たちです。昔新聞で見たあることを思い出しました。日本人の親は冬に生まれたばかりの子を水にいれて、その子の根性を鍛えます。中國の親なら絶対子供にできるだけ多くの服を著せるでしょう。それは中日の家庭教育の違いではないかなと思っています。

また、日本の街を歩いてみると、時々著物を著ている女の人の姿が見えます。美しいと思う一方で、ちょっとうらやましいです。日本の代表的な服といえばやはり著物でしょう。結(jié)婚式や成人式など正式な場合だけではなく、普通に著ています。中國の代表的な服というと必ずチャイナドレスと答えるでしょう。殘念ながら、中國では普段の生活の中でチャイナドレスはほとんど著ません。また、京都や奈良に行くと、すごく日本の伝統(tǒng)的な美しさが味わえ、伝統(tǒng)的なものと現(xiàn)代的なものが意外と良いバランスをとっています。そして私が一番感じたのは日本人は細(xì)かいところにも気を使うということです。街がきれいで、ゴミがあまり見えないのはもちろんのことです。どこのトイレに行っても、トイレットペーパーがちゃんと置いてあります。切符販売機(jī)でも盲人専用の點字があります。普通のお弁當(dāng)でも必ず花や葉っぱで飾っています。それらは極普通なことですが、もうちょっと考えたら、その裏にはきっと誰かの努力があるはずです。最近、テレビでよくやっているソフトバンクのコマーシャルでも「ぷぷぷっと聞こえたら、相手の方がソフトバンクだと分かります」と宣伝しています。電話をかける時の音にまで気を使っています。だからこそ、日本の商品は世界中に人気があるのだとあらためて感心しました。最後に言いたいことはテレビなどのマスメディアについてです。偶にテレビをつけると、中國のことが放送されます。興味津々で見続けると、殘念ながら中國の悪いところばかり流れています。同じく殘念なことなのですが、中國の新聞でも日本に関するニュースではよくない面だけを載せることが多いです。マスメディアが事実を報道する一方、意識的或いは無意識的に視聴者の関心を惹きつけやすい悪い側(cè)面だけを強(qiáng)調(diào)する傾向があるよう 23 です。でもお互いの國の人々は大體マスメディアから情報をゲットし、そしてイメージします。それは両國の人々の交流の障壁になる一つの原因ではないかと私は考えます。この半年間でどれぐらい日本語能力が上達(dá)したかはっきり言えないですが、確かに成長していると思います。言葉や知識だけでなく、いろんな面で勉強(qiáng)になりました。日本で初めて作った料理の味はまだ心に殘っています。まずかったです。最初の時はフライパンを持って慌てて取り亂しましたが、今は普通に料理ができるようになりました。初めて自転車に乗って家へ向ったこともまだ覚えています。迷ってしまって、近くの坂で何回も行ったり來たりして、家に著いた時外はもう真っ暗でした。でも今は目を閉じても家のまわりの風(fēng)景がはっきりと頭の中に浮かびます。一人でもよく旅に出て、日本の美しさを味わいました。最初は日本人の友達(dá)と話す時とても緊張しましたが、今はぺらぺらとまではいきませんが、普通に會話ができるようになりました。長いようで短かった半年、日本での留學(xué)生活がもう終りました。異文化ショックを受けたこともありますが、楽しいことがたくさんありました。やはり日本へ來て自分の目でその國を見ていろいろと體験できたことは本當(dāng)によかったと思います。

卒業(yè)する前の半年にこんな貴重な機(jī)會をいただいて日本を感じることができ、心から學(xué)院の先生方、日本の先生方に感謝の言葉を申し上げたいと思います。この半年間の思い出は人生の中で貴重な経験だと思います。

私の留學(xué)日記

日本語學(xué)科0401班 張 叔傑

1月25日(晴)新幹線で東京へ

日本に來て初めて話に聞いていた新幹線に乗り、とても興奮しました。中國國內(nèi)で「和諧號」に乗ったことはありますが、それともだいぶ違う感じでした。當(dāng)たり前のことですが、周りは誰もが日本語を話す日本人で、私は中國語を話す中國人だからです。新幹線で約三時間、途中の主要な駅は京都、名古屋、靜岡、新橫浜で、そして最後に日本の首都――東京に到著しました。東京駅を出て目を向けると、誰もが慌ただしい出で立ちのようでした。日本人に恥じない、毎分毎秒を浪費しない働きマンです。

1月26日(晴)東京めぐり

朝食 お粥定食。初めて日本でお粥をすすり、ザーサイを食べました。故郷の味がしました。郷愁。

チーム活動では第4組に。メンバーは井口光吉、池田昭博、張穎、顧雅芳、金暁環(huán)、張叔傑、付穎です。チームで皇居の寫真をたくさん撮りましたが、集合寫真を撮りそびれました。殘念。遠(yuǎn)くの東京タワーにカメラを向け、數(shù)回「カシャカシャ」。その時、集合の合図が聞こえました。淺草の雷門では26人の集合寫真を撮影。「デン」の音にみんなが笑いました。

チームは解散、雷門で北京放送の付さんの取材を受けました。生まれて初めて記者の取材を受けたので、それはそれは緊張しました。取材される感覚というものはこういうものなんだなと思いつつ、これからはもっとうまくできるようになりたいと思いました。自由活動。渋谷109、NHK、代々木體育館前の街頭音楽フェスタ、明治神宮、原宿、レインボーブリッジ、お臺場、フジテレビそして観覧車。いずれも外側(cè)から一度ざっと見るだけでしたが、日本の學(xué)生との交流で、日本の若者の文化をより多く理解することができました。新しい體験でした。中日學(xué)生交流會では、おのおの自分の意見を述べて、言いたいことを思う存分言いました。言葉の壁もなく、國籍の違いもなく、若者と若者がふれあいました。一日の東京での體験を全て言葉に出し盡くしました。その後、東京タワーとレインボーブリッジの夜景が見える船の科學(xué)館でビュッフェ。幸せ。

1月27日(雤)東京から沖縄へ

3時間ほど飛行機(jī)に乗り、ついに那覇空港へ到著。ずっと行きたかった沖縄。気溫19度。空気の分子一つ一つに海の匂いが溢れていました。暖かな幸せ。ただいま、沖縄。

1月28日(雤)沖縄

ひめゆり平和記念資料館は、戦後に生まれ育った子供である私たちに戦爭の殘酷さを教えてくれました。一枚一枚の絵や寫真、一文一文の文字に胸が締め付けられ、言葉にできない沈んだ気分に。ただ黙禱を捧げて亡くなった方々の冥福を祈り、世界平和と中日友好を願うことしかできません。

首里城はどこかで見たことがあるような感じがして、古代王朝を夢に描きました。沖縄は中國ととても密接且つ複雑な関係を持つ地域で、ただ生い茂る桜の木の陰だけが、ここは日本だと気づかせてくれました。

海辺では大きな子供も小さな子供も砂浜で思いきりはしゃぎ、駆け回り、寫真を撮りました。蒼い空と海、白い雲(yún)と砂。夢に見た冬の沖縄をついに自分で體験できて、本當(dāng)にこの上ない幸せでした。誰もが喜び、はしゃいでいました。砂浜全體にさわやかな笑い聲が響いていました。すばらしい風(fēng)景を享受すると同時に、私たちも風(fēng)景の一部になっていました。食後、波の音をバックに私たちは自由討論を行いました。日本について、訪日について、よいところ、改めるべきところ。いつの間にか1時間半も経っていました。余韻は盡きません。最大の成果は「川流會」を結(jié)成したことです。私たちの友情も「川流會」とともにたえず育っていくと思います。

1月29日(曇)神戸

10:05離陸、さようなら、親愛なる沖縄。大阪に到著…。有馬溫泉は、日本三大溫泉の一つです。日本人の溫泉好きは來日のだいぶ前から耳にしていました。今回、天然の溫泉を自ら體験できたことは、本當(dāng)に私たちを興奮させました。唯一殘念だったことは、溫泉玉子がなかったことです(笑)。三十分ほどお湯につかると、バスや旅の疲れが吹っ飛びました。日本人が何故ここまで入浴好きなのかがやっと理解できました。一日の仕事から帰ってお風(fēng)呂に浸かると、仕事の悩みや疲れを解消できます。入浴の習(xí)慣がない國の人も試してみることはできるし、効果的だろうと思います。

1月30日(晴)京都

金閣寺。天気予報では雪が降るとのことでした。雪が大好きな私としては甚く期待していました。金閣寺は前にも一度、訪れたことがありますが、白い雪が黃金の屋根を覆い、水に映える金閣には別格の風(fēng)情があるに違いありません。しかし天気は思うようにならず、雪景色の中で金閣寺を見たいという期待は空振りに終わりました。ですが、皆と一緒に金閣寺を見學(xué)するのは慰めにはなりました。まあ楽しかったからいいです。清水寺。日本には大小の寺院がたくさんありますが、清水寺はそれでも一見に値するところです。景色は同じ景色ですが、見る人は違います。今こうして清水寺を見學(xué)する時の気分は2年前とはっきり違い、単純だったものがより複雑になりました。まさに「毎年花は同じように咲き、年々人は変わってゆく」ということです。

以上のシーンは留學(xué)生活のほんの僅かな一部分です。日本滯在中の半年間、一日一時一刻一分一秒も、たくさんの人と事物を記録すべきだと思います。四天王寺大學(xué)の先生方、國際交流課の職員さんたち、學(xué)園祭の「中華茶館」で一緒に盛り上がった日本人の學(xué)生たち、バイト先の同僚たち、ずっとたこ焼きを奢ってくれたおばちゃん…。私が知っているそしてまた私のことを知ってくれた皆さん、ありがとうございます。皆さんと出會ったことこそ日本での最高の思い出です。海の向こうのもう一つの國で出會った人々をきっと忘れません。きっと、ずっと、永遠(yuǎn)に。

僅かな半年でしたけど、日本と日本文化を體験し、深く理解した外に、どうすれば様々な日本人と付き合うことができるかもよく分かり、同時に日本人との觸れ合いにより一層の自信が持てたと思います。日本での生活の斷片的なものまで記録できればと思いますが、文字にするとここまで無味乾燥な文になってしまいます。けれど、記憶の奧に大事にしまいこまれたこれらの記録を私は永遠(yuǎn)に忘れることはないでしょう。

半年の留學(xué)生活を憶う

日本語學(xué)科04甲班 周 倩倩

時間が経つのは本當(dāng)に早く、半年の留學(xué)生活はあっという間に過ぎてしまいました。留學(xué)のチャンスを得て、異國の生活を體験し、自分はなんてラッキーなのだろうと思っています。この半年の生活を有意義に過ごす事ができて、いろいろな人に出會って、今まで體験した事の無い事をたくさん體験して、昔はテレビでしか見る事のできなかったものを自分の目で直に見る事ができて本當(dāng)に良かったです。日本人の先生方と學(xué)生さん達(dá)と一緒にいろいろないい思い出を作りました。今振り返ると、本當(dāng)に懐かしく思います。

到著したばかりの興奮

9月10日、私たち14人は関西國際空港に到著し、以前訪問し時と同じく、かわいくて親切な三輪さんが空港まで迎えに來てくれました。高速道路周辺の景色は前回の訪問時と一緒で、空はいつもの青で、空気はとてもおいしかったのを覚えています。この半年の留學(xué)生活に対してずっと憧れを胸に抱いていた私はその時非常に興奮していました。和交寮に著いて、私たちは生活設(shè)備が完璧に用意されていることに気づき、日本に著いた第一日目から日本人の周到さとまじめなやり方を深く感じました。學(xué)校の授業(yè)が始まるまでにはまだ時間があったので、到著後の數(shù)日間は學(xué)校と寮の周辺をよく散策しに出かけました。また國際交流センターの先生が私たちを連れて銀行の口座を作りに行ってくれ、また私たちは中古の自転車と攜帯も買いました。そうしたら、生活ももっと便利になり、活動の範(fàn)囲も幅広くなりました。日本に著いたばかりなので、いろいろな新しいものに好奇心を抱きました。そこから、私たちは一歩ずつ日本人の生活に慣れるように頑張り始めました。

ファッションを感じる

學(xué)校が始まりました。靜かなキャンパスは活気に溢れるようになりました。キャンパスではハイヒールを履き、髪を黃色く染めて、綺麗に化粧をしている女子學(xué)生達(dá)がどこに行っても目に入りました。日本は女の子だけでなくて、男の子もとてもお灑落です。そんな若者達(dá)を見て、いつか見たファッション雑誌に自分が入り込んだような感じがしました。心斎橋は大阪で一番賑やかなところで、お灑落な若者がいっぱい集まっています。ファッションの為ならどんなに暑くても帽子を被って、長いブーツを履いて、寒さや暑さに構(gòu)わず、自分のかわいさ、カッコ良さをアピールするそんな光景を見た時、さすが日本はファッション大國だと思いました。私の中では日本はファッションの代名詞と言ってもいいくらいです。

大阪弁

大阪にいるから、學(xué)校でも公共の場所でも耳に入ってくるのは全部大阪弁です。最初は分からなくて、慣れなかったのですが、帰國前には私もついに大阪弁で喋ることもありました。

十一月の大學(xué)祭

大學(xué)祭。前はただ日本のドラマで見たことがあっただけでしたが、やっと自分も體験できることになりました。大學(xué)祭前には、學(xué)生さんが學(xué)校のあちこちに集まって、相談したり、看板を作ったり、大學(xué)祭のためにいろいろ準(zhǔn)備していて、やはり日本っていうのは集団主義だなあとつくづく思いました。もちろん、私たち14人も國際交流センターの先生 27 方と何人かのIBUの學(xué)生さん達(dá)のおかげで、「中華茶館」というイベントを行うことができました。中國結(jié)、龍井茶、向日葵の種、月餅、春聯(lián)、飾り物など、また浴衣を著ている日本人の學(xué)生さんとチャイナドレスを著ている私たちは開催の日にいろいろな市民と學(xué)生さんを引きつけました。參加してくれた人數(shù)は私たちの予想を遙かに超えるものでした。今度のイベントによって、日本には中國の文化と歴史に興味を持っている人がいっぱいいるということが分かりました。またこのイベントの成功ぶりを見て、悠久な歴史と文化を持つ自分の祖國中國を誇らしくも思いました。中華茶館は大成功でした。

伊勢神宮の見學(xué)

藤井寺のおかげで、私たちはバスツアーで伊勢に見學(xué)に行きました。十一月はちょうど秋なので、赤に染まり始める紅葉と清らかな川がお互いに引き立てあっています。伊勢神宮は二十年に一回遷宮します。式年遷宮と呼ばれます。內(nèi)宮へと向かう通路で、日本の伝統(tǒng)文化を感じながら、まわりの立派な木々を楽しんでいました。一緒に參加している藤井寺の市民は皆すごく親切で、バスで私たちに話しかけてくれて、日本の文化と歴史についていっぱい教えてくれました。この旅で、日本人の市民文化も體験しました。

アルバイトの生活

日本の學(xué)生はほとんど皆バイトしています。社會経験を積めるだけでなく、新しい人間関係の形成や責(zé)任感の向上にも大いに役立ちます。12月の中旬に私もバイト生活を始めました。忚募したところは24時間営業(yè)のコンビ二です。テキパキと仕事をやっている?yún)棨筏さ觊L、優(yōu)しいマネージャ、高校生の女の子と夜勤で働いている背の高い男の人數(shù)人が私の仲間でした。まさに「ファミリーマート」という店の名稱に相忚しい家族的な雰囲気でした。店の皆さんは私に非常に優(yōu)しくしてくれました。経験がまったくない私はお釣りを間違ったりとか、お客様が欲しいものが探せなかったりとか、よくミスをしました。でも店の人はいろいろ親切に教えてくれて、私のミスを直してくれました。そのバイトのチャンスを與えてくれた店長、そしていろいろ教えてくれた店の皆さんが今ではとても懐かしいです。三ヶ月にも満たない短い期間でしたが、お互いの心が通じ合えたと思います。

半年の間いろいろな人と出會って、その中の一部の人とは一期一會かもしれないですが、私はきっと彼らのことを私の寶物として、忘れずにすっと覚えていることでしょう。

最後に今回の貴重な留學(xué)の機(jī)會を作ってくれた本校の學(xué)院の先生方にまずはお禮を申し上げたいです。また四天王寺仏教大學(xué)國際交流センターの先生方にも心よりのお禮を申し上げたいです。日本の先生方は私たちの生活の面でも勉強(qiáng)の面でもいろいろ助けてくれて、その助けがあったからこそ今度の留學(xué)が順調(diào)に進(jìn)み、いっぱい素晴らしい思い出を作ることができたと思います。今度の留學(xué)で私たちは視野を広げ、大きく成長できました。

第三篇:新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

【導(dǎo)語】學(xué)習(xí)作為一種獲取知識交流情感的方式,已經(jīng)成為人們?nèi)粘I钪胁豢扇鄙俚囊豁椫匾獌?nèi)容,尤其是在二十一世紀(jì)這個知識經(jīng)濟(jì)時代,自主學(xué)習(xí)已是人們不斷滿足自身需要、充實原有知識結(jié)構(gòu),獲取有價值的信息,并取得成功的法寶。今天東星資源網(wǎng)為各位搜集整理了新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集,供您查閱。

【篇一】新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

歲月不居、時節(jié)如流。轉(zhuǎn)眼之間就到了2020年底,回顧一年來,我們既經(jīng)歷了疫情防控、特大洪澇災(zāi)害的萬千風(fēng)險,也經(jīng)歷了嫦娥探月、“奮斗”潛底的萬千豪情;既答好了脫貧攻堅“必答題”,也答好了疫情汛情的“加試題”,在這非凡之年,用非凡之舉創(chuàng)造了人民滿意、世界矚目、可以載入史冊的非凡答卷。總結(jié)我的2020,沒有豪言壯語,也沒有偉大壯舉,只是默默地,在擔(dān)當(dāng)中奉獻(xiàn)、在旅行中感悟,在努力中前行。

2021年,是建黨100周年,是“十四五”的開局之年,“2021”,極具張力,令人遐想。站在新的起跑線上,我們又該怎樣去追趕噴薄而出的太陽、迎接未來的挑戰(zhàn)呢?

像“2021”那樣,斗志昂揚(yáng),蓄勢待發(fā)。看,“2021”,像不像勇士出征前的隊列?“2”是一個個精神飽滿、斗志昂揚(yáng)的勇士,“0”就是他們背負(fù)的行囊,為了勝利,他們做足了準(zhǔn)備,未來征途,他們必將背水一戰(zhàn)。2021年也是脫貧攻堅決后的關(guān)鍵之年。在脫貧攻堅這場偉大的戰(zhàn)役中,我們不能有絲毫懈怠,更不能沾沾自喜、麻痹大意。逆水行舟用力撐,一篙松勁退千尋。我們要一鼓作氣、盡銳出戰(zhàn),不獲全勝決不收兵,以只爭朝夕的精神,搶抓分秒、奪取戰(zhàn)機(jī),集中優(yōu)勢兵力,掃平前進(jìn)道路上的一切障礙。

像“2021”那樣,群雁列陣,振翅高飛。“天高云淡,望斷南飛雁。不到長城非好漢,屈指行程二萬。”毛澤東同志《清平樂·六盤山》描繪了一幅群雁高飛的的壯麗畫卷。看,“2021”中那兩個“2”,不正像一字排開、引亢競飛的大雁么?回顧中國共產(chǎn)黨誕生、發(fā)展、壯大的艱苦歷程,無論遇到多大的困難和險阻,我們黨都矢志不渝、堅若磐石,始終追尋著心中的夢想奮勇前行,無懼無畏。黨的十八大以來,以習(xí)近平同志為核心的黨中央描繪了實現(xiàn)“兩個一百年”奮斗目標(biāo)的宏偉藍(lán)圖,為中國人民謀幸福、為中華民族謀復(fù)興成為新時代主旋律,廣大黨員干部、勞動者積極投身實踐、追夢筑夢,凝聚起強(qiáng)大的社會主義現(xiàn)代化建設(shè)洪流。粵港澳大橋、天眼、嫦娥四號、5G、北京大興國際機(jī)場……這些成就令世界矚目,凝結(jié)著新時代奮斗者的心血和汗水,彰顯了不同凡響的中國風(fēng)采、中國力量,同時,涌現(xiàn)出一大批“大國工匠”和“時代先鋒”,他們是中華民族復(fù)興路上的脊梁。

像“2021”那樣,同心同德,共創(chuàng)輝煌。“2021”中的“20”“20”象征朝氣蓬勃的青年。青年興則國家興,青年強(qiáng)則國家強(qiáng)。習(xí)近平總書記指出,青年一代有理想、有本領(lǐng)、有擔(dān)當(dāng),國家就有前途,民族就在希望。如果是“00后”,今年剛好滿“20”,正是長知識、長身體的年齡階段,在未來的15年內(nèi),他們將逐漸踏上新長征之路,成為社會主義現(xiàn)代化建設(shè)的實踐者、推動者、見證者。志之所趨,無遠(yuǎn)弗屆;窮山距海,不能限也。廣大青年要立下青云志,守初心、擔(dān)使命、經(jīng)風(fēng)雨、壯筋骨,在新長征路上闊步前進(jìn),行穩(wěn)致遠(yuǎn)。要像“2021”那樣,心往一處想,勁往一處使,同心同德,同向發(fā)力,把最美好的青春年華獻(xiàn)給黨和人民壯麗的事業(yè)。

讓我們迎著新年的第一縷陽光,奔跑吧!

【篇二】新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

今年的新年賀詞語言樸實親切,內(nèi)容真切實在,字字如金。賀詞中說到,一年來,許多人和故事感動著我們,他們用簡單的行動成就了偉大事業(yè),以普通人的平凡書寫了不平凡的人生,地詮釋了用實干造就人生高光時刻的奮斗理念。

平凡的故事感動溫暖著你我他。各領(lǐng)域、各行業(yè)涌現(xiàn)出來的先進(jìn)典型,把個人追求與國家發(fā)展、民族復(fù)興緊密地聯(lián)系在一起,立足在自身平凡的工作崗位上干出不平凡的成績,成為了新時代最可敬的人

偉大出自平凡,實干造就高光。回首2020,我們用汗水澆灌收獲,用實干篤定前行。我國國內(nèi)生產(chǎn)總值再上新臺階,三大攻堅戰(zhàn)取得關(guān)鍵性進(jìn)展,1000多萬人實現(xiàn)脫貧摘帽,北京大興國際機(jī)場鳳凰展翅……上到天空,下到深海,中華大地的每一個角落都有中華兒女奮斗拼搏、實干的身影。嫦娥四號探測器成功在月球表面著陸,并傳回第一張近距離月球背影像圖,這樣的高光時刻,凝聚的是嫦娥四號團(tuán)隊人員萬眾一心,追夢永不停止的時代力量,仰望星空,腳踏實地,中國航天人在實干中堅持創(chuàng)新,成就國人的航天夢……無數(shù)偉大成就高光時刻的背后都是許許多多中華兒女用實干筑起的鋼鐵長城。無論時代如何變遷,都無法改變幸福是奮斗出來、實干出來的偉大真理。沒有等來的輝煌,只有拼出來的精彩。2021年注定是中國歷不平凡的一年,沖鋒號已經(jīng)吹響,讓我們以普通人的平凡書寫不平凡的人生,用實干拼搏成就事業(yè)的高光時刻,用日復(fù)一日的堅持,不忘初心,牢記使命的追夢信念,讓平凡變得偉大,普通變得高貴。無論在這里還是在哪里,無論過去、現(xiàn)在還是將來,實干拼搏猶如一道星光,閃爍在時光的長河中,閃爍在中華大地璀璨的天空中,激勵著中華兒女奮勇向前,勇敢追夢。

把小事做好就是不平凡,把簡單事做精就是不簡單。功成不必在我,因為功成依賴于時間的沉淀;功成必定有我,是因為每個人平凡的堅守與點滴的付出,終將匯聚成燦爛的星河,每一個中華兒女要把本職工作崗位當(dāng)做履行使命的“主陣地”,提升能力的“磨刀石”,實現(xiàn)人生價值的大舞臺。無論工作崗位是多么平凡,一定要干出精彩,在腳踏實地中做好每一件事,做好每一項工作,點滴積累,滴水石穿。九層之臺,起于累土;千里之行,始于足下。成功都是從一件件小事,一個個小細(xì)節(jié)做起的,把一件件簡單的事做好就是不簡單,把一件件小事做得有意義就是不平凡,把簡單的招式發(fā)揮到極致,一針一線織好服務(wù)人民的宏偉藍(lán)圖,涵養(yǎng)“咬定青山不放松”的定力,保持一往無前的沖鋒狀態(tài),堅守工作初心,時刻清醒地認(rèn)識到“我是誰,依靠誰,為了誰”,牢記使命勇?lián)?dāng),善作為,用實干奮斗成就精彩人生,在平凡的工作崗位上爆發(fā)高光。

2021的時光大道已打開,奮斗正當(dāng)時,高光時刻適得其勢,讓我們一起從平凡的小事做起,用實干實現(xiàn)夢想。時不我待,讓我們只爭朝夕,不負(fù)韶華,乘風(fēng)破浪,在2021年新時代長征路上實現(xiàn)最初夢想,奮斗拼搏,進(jìn)取人生,用實干造就人生高光。奮斗的號角已經(jīng)吹響,讓我們擼起袖子加油干吧!

【篇三】新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

俗話說:一年之計在于春。新年伊始,盡管時值數(shù)九寒天,但是新年賀詞時刻回響在耳邊,就像春天的音符在神州大地間跳躍,春天的贊歌也早已在人們心中奏響。重溫2021新年賀詞,其中“硬核”一詞給人留下極為深刻印象。那么,新的一年里,廣大黨員干部的“硬核”在哪?又當(dāng)如何掀起“硬核”蓋頭來,展示不一樣的“硬核”力量呢?

“萬眾一心加油干,越是艱險越向前。”2021年新年賀詞中殷切囑咐我們不懼風(fēng)雨、不畏險阻,奮力前行。中國自古崇尚馬,認(rèn)為馬具有忠誠、勇敢、拼搏等高貴品行。千百年來,從傳說到詩歌、繪畫,馬的文化經(jīng)久不衰,馬的精神成為推動人類發(fā)展進(jìn)步的一種寶貴精神財富。新的一年,我們要涵養(yǎng)馬的品行,以“駿馬精神”踏破前途坎坷,以“鐵蹄”征服前進(jìn)征程上的“波濤洶涌”,在奮斗中鑄就新的輝煌。

2021年到來之際,新年賀詞言語間充滿著篤定、自信、深情,回顧過去一年,飽含為民情懷,以實干篤定前行;展望未來之路,激蕩奮進(jìn)豪情,不懼風(fēng)雨再出發(fā)。揮別收獲滿滿的2020年,迎來百年夢想的2021年,廣大身處基層一線的青年干部要自覺肩負(fù)起新時代的重托,不忘初心,不負(fù)人民,用汗水、智慧和理想構(gòu)筑起中華民族的脊梁,為實現(xiàn)第一個一百年的奮斗目標(biāo)擔(dān)當(dāng)奮進(jìn)、砥礪前行。

愛國,是人世間最深層、最持久的情感。對于廣大青年干部而言,愛國是基于自身對祖國依賴關(guān)系的深厚情感,是勇于走向基層、敢于扎根農(nóng)村、樂于奉獻(xiàn)群眾的熱情,是將振興中華為己任的崇高追求。2021年是極其特殊的一年,是“十四五”的開局之年,這就要求我們自覺增強(qiáng)愛國精神,自覺履行愛國責(zé)任,自覺實踐愛國行動,立足一線崗位,珍惜并抓住寶貴的發(fā)展機(jī)遇,將愛國主義精神化為建設(shè)祖國的實際行動,走好中國道路,呈現(xiàn)中國風(fēng)采。

愛民,是為政者最根本、最初始的追求。作為青年干部,更該如此,心里有百姓,腳下方能走遠(yuǎn)方;眼里有民情,奮斗方能有方向,不馳于空想,不騖于噓聲,在奔跑中凝聚力量,追逐夢想。

愛崗,是日常中最不凡、最出彩的源泉。“許許多多無怨無悔、傾情奉獻(xiàn)的無名英雄,他們或許不被人所熟知,但他們用無悔的奉獻(xiàn)擦亮著那個不可或缺的崗位,因為他們心中有愛。新時代里,青年干部不僅要崇尚英雄,更要爭做英雄,以信仰的力量,在基層一線上創(chuàng)造佳績,實現(xiàn)自己的人生價值,進(jìn)而提高中國價值。2021年是一個新的起點,青年干部要敢于融于這個節(jié)點,始終記住一線工作是人民群眾所需要的、是黨和國家所需要,從而奉獻(xiàn)于人民、國家、民族,即使無名,也是時代之重、民族之幸。

2021是歷史長河中流淌的一個瞬間,或風(fēng)平浪靜,或破濤洶涌,面對未知的前方,我們不忘初心使命,不懼風(fēng)雨阻擋,以“愛”為名加油干,越是艱難越向前。

【篇四】新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

作為基層選調(diào)生,這份人民情懷、歷史擔(dān)當(dāng)、奮斗作為也激勵著我們扎根基層,讓蓬勃青春與家國情懷共振,讓人生夢想?yún)R入時代洪流。

見賢思齊,接續(xù)奮斗展初心。部分年輕人由于覺得基層存在感“不強(qiáng)”,價值觀“較弱”,在平時常常是拈輕怕重,避重就輕,將“經(jīng)歷”變成了“經(jīng)過”,把本應(yīng)干事創(chuàng)業(yè)的朝氣變?yōu)榱送丝s不前的暮氣。對照榜樣,我們不妨問問自己有“下得去”的勇氣和決心,有沒有“待得住”的毅力和定力;有“想干事”的初心豪情,又有沒有“干成事”,將之做精、做實、做細(xì)的行動力度。開啟直擊靈魂的初心之問,我們才能消散內(nèi)心“小我”迷霧,以舍我其誰、時不我待的奮斗姿態(tài)融入人民“大我”。

減負(fù)增能,只爭朝夕強(qiáng)擔(dān)當(dāng)。我們是幸運(yùn)的,沒有了文山會海,沒有了過度檢查,更多是“四不兩直式”的直奔基層、直面問題,更加提倡是減負(fù)不減效,讓實干成為標(biāo)桿。作為基層干部,我深深體會到,只要你有干事創(chuàng)業(yè)、服務(wù)群眾的激情初心,基層都能滿足。隨著基層社會治理的提升,在基層,有時間的保障,脫離了形式主義的束縛,我們可以有更多精力傾聽民聲、了解民意;有資源的依托。大黨委制度等的建立,讓黨建資源量匯集,讓民生服務(wù)見效;還有制度的依靠。組織部門不斷完善激勵關(guān)懷機(jī)制,為敢于擔(dān)當(dāng)、勇于改革的干部撐腰打氣,解決后顧之憂等等。“神州大地,處處都有新變化新氣象”,基層天地欣欣向榮充滿生機(jī),它需要青春力量青春奮斗。但是換句話說,如果不負(fù)韶華,不負(fù)時代,我們又何嘗不是更需要來到這基層廣闊天地,來勇挑重?fù)?dān)、勇克難關(guān)、勇斗風(fēng)險呢。

奮斗作為,不負(fù)韶華話復(fù)興。行百里者百九十,2021是“十四五”的開局之年,面對著最后的堡壘,面對著難中之難、堅中之堅,我們應(yīng)放下架子,撲下身子主動融入到人民群眾中去,把問題調(diào)研得更深些,把舉措抓得更精準(zhǔn)些,把成果鞏固得更牢固些。這需要我們培養(yǎng)斗爭的意識、系統(tǒng)的思維,需要“事不避難,勇于擔(dān)當(dāng)”的魄力,更需要“守正篤實,行穩(wěn)致遠(yuǎn)”的實干。群眾的不解,問題的反復(fù),心態(tài)的疲倦等,這些風(fēng)風(fēng)雨雨是我們追夢道路上的常態(tài)。但保持風(fēng)雨無阻的狀態(tài),熬過“熱鍋上的螞蟻”的日子,度過爬坡過坎、風(fēng)雨兼程的時光,我們的經(jīng)歷才更有故事有質(zhì)感,最后成果才更加豐碩更顯實效。

“踏平坎坷成大道,斗罷艱險又出發(fā)”。奪取全面建成小康社會偉大勝利還要繼續(xù)付出艱苦努力,實現(xiàn)民族復(fù)興的追夢之旅,更需要我們不負(fù)韶華,只爭朝夕。希望我們能牢記總書記囑托,萬眾一心加油干,越是艱險越向前,最終迎來放眼昆侖絕頂來的明天。

【篇五】新年賀詞學(xué)習(xí)心得感想文集

2020年匆匆遠(yuǎn)離;踏著新年的浪花,2021年姍姍來遲。2020我們有多么不容易,2021我們就要有多么榮耀。2020我們經(jīng)歷了新冠肺炎疫情阻擊戰(zhàn)、防汛抗洪搶險戰(zhàn)、脫貧攻堅“驗收戰(zhàn)”,一個又一個“戰(zhàn)斗”的勝利,無不證明了我們黨集中力量辦大事的制度優(yōu)勢和我們黨員干部不忘初心、砥礪前行的奮斗意志。2020即將結(jié)束,2021又會遇到什么呢?你準(zhǔn)備好了嗎?

新年賀詞時刻提醒我們要有與時代同步的緊迫感、要有與初心同振的使命感、要有與人民同步的責(zé)任感,始終保持艱苦奮斗、戒驕戒躁的狀態(tài),匯聚力量、揮灑汗水、共筑新夢。

要有時不待我、只爭朝夕的緊迫感。2021年是中國共產(chǎn)黨百年華誕,更是“十四五”的開局之年,是一個時代與另一個時代的交匯處,如何能時刻保持清醒的頭腦和時不待我的緊迫感,要始終保持堅定的政治立場,樹立崇高而堅定的理想信念,高舉偉大鮮明的政治旗幟。要始終保持團(tuán)結(jié)一致、萬眾一心的奮進(jìn)動力,做到勁往一處使、心往一處想、事往一處干,高舉“眾人拾柴火焰高”的團(tuán)結(jié)旗幟。要始終保持奮斗不息、腳步不停的奮斗熱情,激發(fā)內(nèi)涵最深、感情最久的硬核力量,高舉禮贊中國的愛國旗幟,是時代給予我們的機(jī)遇和挑戰(zhàn)。

要有初心不改、砥礪前行的使命感。過去的一年,這一年讓我們更加懂得了生命的含義和時間的珍貴。新年伊始,一場新冠肺炎突如其來,打破了生活的平靜,一時間席卷全球,平安成了所有人的共同愿望。在這危難之際,黨中央高瞻遠(yuǎn)矚、審時度勢,帶領(lǐng)全中國迎難而上,創(chuàng)造了屬于中國的輝煌,為世界防疫工作推進(jìn)樹立了模范榜樣。第一段長征路已經(jīng)出現(xiàn)在我們的眼前,必須立場堅定、不懼誘惑永向前,成為中國共產(chǎn)黨信得過、靠得住的好成員;必須擔(dān)負(fù)使命、不懼風(fēng)雨永向前,成為國家能打仗、打勝仗的好戰(zhàn)友;必須撐起夢想、不懼色變永向前,成為人民和民族能放心、暖人心的好朋友。

要有念茲在茲、心系于民的責(zé)任感。過去的一年,許多時代楷模、黨員榜樣用他們的故事感動著我們,用他們平凡的一生寫下了不平凡的人生。是什么讓他們無怨無悔、傾情奉獻(xiàn)?正是那一腔為民請命的熱血、一份為民解憂的熱情、一顆為民服務(wù)的熱心,讓他們用自己的青春詮釋了何為責(zé)任、何為奉獻(xiàn)。“全心全意為人民服務(wù)”是黨亙古不變的理念。要真正具備心系百姓的責(zé)任感必須在業(yè)務(wù)能力上下功夫,穩(wěn)扎穩(wěn)打、腳踏實地,練好服務(wù)基本功,鑄牢為民服務(wù)的責(zé)任陣地;必須在改革創(chuàng)新上下功夫,逃離舒適圈、勇闖深水區(qū),開創(chuàng)服務(wù)新秘籍,盤活與民同樂的服務(wù)資源。“始終與人民同呼吸、共命運(yùn)、心連心。”這就是我們的責(zé)任,是我們?nèi)找箞允亍⑿燎趧谧鞯拿利愔袊鴫簟?/p>

第四篇:《老人與海》讀書感想文集

《老人與海》讀書感想文集

【導(dǎo)語】閱讀能夠帶給我們數(shù)不盡的知識,書籍是我們?nèi)祟愖钫滟F的寶庫。書中自有黃金屋,每一本書籍都有著它自己的世界。以下是東星資源網(wǎng)分享的內(nèi)容,歡迎大家閱讀與借鑒。

【篇一】《老人與海》讀書感想

每一本書都有自己獨特的靈魂!最近,我讀了海明威的小說《老人與海》,讀完這本書,我不禁思緒萬千:勝利在這部小說里已經(jīng)不顯得那么得重要,重要的是一個人的生命價值,老人敢于挑戰(zhàn)做不到的事,一次次地超越自我,不得不令我們感到敬佩,它所帶給我們的是一種自信,一種強(qiáng)大的精神力量,一種不屈的意志。

初讀,我的腦子頓時迷茫了:一個孤獨的漁翁是如何與洶涌的大海進(jìn)行搏擊的呢?小說描寫的是一位年邁六十的老漁夫,他憑著永不言敗的精神在大海上生活著。他連續(xù)八十四天沒捕到魚,就在一次出海打魚時,釣到了一條大魚,但由于魚實在太重了,拉不上來,之后他明白這是大馬林魚,老漁夫同魚周旋了幾條大魚,魚才終于筋疲力盡浮上水面,被他殺死,在途中一再遭到鯊魚的襲擊,但都被他化險為夷,讓其他漁夫敬佩不已。

要有著堅持不懈的精神,才能勝利,可書中的老人經(jīng)常都是堅持著,屢屢失敗。讀完后,我不斷思考著,之后我又明白:他象征著堅不可摧的精神,生活上,他失敗了,但在精神上他始終是勝利者。他那頑強(qiáng)抗擊的精神,展現(xiàn)了人的高貴和尊嚴(yán)。而我卻恰恰相反。

每當(dāng)我遇到難題是就頭疼了,都沒思考就請教別人。但如今讀了這本書,我不禁感到慚愧,一個老人都有著執(zhí)著的精神,何況我們這些青年呢?從今天起,我們要學(xué)會堅持!因為有了堅持,我們才會朝著目標(biāo)堅定地前行;因為有了堅持,我們才會努力尋求解決困難的辦法;因為有了堅持,我們才有可能把夢想變?yōu)楝F(xiàn)實。只有這樣,我們才會看到人生的輝煌!

“寶劍鋒從磨礪出,梅花香自苦寒來。”人生路上,條條路坎坷,充滿不公平。生命總是向前的,你能做的只有堅持!我們雖不能決定生命的長度,但一定可以拓寬生命的寬度!不管遇到什么挫折什么荊棘,都要堅持到底,站在人生頂峰,大喊:“我是生命的強(qiáng)者!”

【篇二】《老人與海》讀書感想

是船,就要駛向大海,縱使前方浪比天高,心,也要去遠(yuǎn)航!

上世紀(jì)五十年代,海明威的中篇小說《老人與海》出世,繼年,出版,先后又一舉奪得了美國普利策獎和諾貝爾文學(xué)獎,懷著對其的無限遐想,我翻開了這本神往的《老人與海》……

其書圍繞一位古巴老漁夫與一條巨大的馬林魚在離岸邊很遠(yuǎn)的灣流中搏斗而展開故事的講述。老人圣地亞哥用一生來詮釋一個人的生命哲理——彪悍的人生不需要解釋。

老漁夫圣地亞哥一生也沒捕到過什么魚,終于,上帝沒有忘記他,在他最后一次出海時眷顧了他,84天光陰,他終于制服了一條碩大的馬林魚,但一時的欣喜換來的只是鯊魚的圍攻,老人拼死要將魚帶回岸邊,在一條漫長的海道上,老人走了一輩子的海道上,帶回了一具讓人驚嘆的骨架……

在現(xiàn)實生活中,碰到困難是難免的,可以說是最正常不過的事情了,最重要的是要勇敢面對,有堅持不懈的精神,從失敗中吸取教訓(xùn)。宛如窗外迎著風(fēng)雪屹立的梅花,她始終堅信:“不經(jīng)一番寒徹骨,怎得梅花撲鼻香!”回想自己,每當(dāng)碰到一點點困難就不耐煩,將所有的不好推給別人,自認(rèn)清高,到頭來,不過是曲終人散……

《老人與海》不禁讓人想起古代勵志故事滴水穿石、鐵杵成針……那堅不可摧的石頭啊,哪里受得起這纏綿的水滴啊!那粗大笨重的鐵杵啊,哪里受得起那千百下不厭其煩的磨礪……故事最后都指向一個亙古不變的主題——“有志者,事竟成”!

俗語道:不以成敗論英雄,他那堅強(qiáng)的意志,勇敢的精神不比英雄的行為遜色,他已然成為經(jīng)歷磨難而戰(zhàn)無不勝的巨人,值得每個人倡導(dǎo)。在書中的配角眼中,圣地亞哥又一次失敗了,可在萬千讀者面前,圣地亞哥成功了,他登上一個新的巔峰,讓世俗之人遙不可及,望而生畏!

其實,書中的人物分布具有很強(qiáng)烈的象征意義,海明威將碩大的馬林魚比作人生路上追求的理想,將人本身那強(qiáng)烈的占有欲望巧妙的轉(zhuǎn)變,頗有指桑罵槐之意,用鯊魚象征悲劇的發(fā)生,更多的是人生路上受到的排擠,剝削,明搶升遷豪奪……讓人不寒而栗,而大海則是當(dāng)今變幻無常的社會,那平靜的海面下實則暗浪縱橫,那些你來我去,爾虞我詐的勾心斗角,猶如這潮漲潮落,雖然躲得過眼前鋪天蓋地的浪頭,可海下卻又是一個銳不可當(dāng)?shù)陌道耍酱螅芾嗽酱螅萌诵你俱病サ貋喐鐒t是與與那些強(qiáng)大勢力作斗爭的“硬漢”代表。他一生不幸的捕魚經(jīng)歷,仿佛暗示著人類與輪回的抗?fàn)巺s又?jǐn)[脫不了輪回一般,“一艘船越過世界的盡頭,駛向未知的大海,船頭上懸掛著一面雖然飽經(jīng)風(fēng)雨剝蝕卻依舊艷麗無比的旗幟,旗幟上,舞動著四個大字——超越極限”。

嘆悲歌未切,未敢奈何;看歲月過只隨信念活等后世來評說!圣地亞哥,你是風(fēng)沙的怒吼,你是斷崖的堅守,你是潮漲過后,仰望月夜,眉間的寂寞;你是滴水的沉著,你是落花的幽柔,你是萬世傳頌,卻為日落,默默哀嘆,血肉……

一個人不是生來就要被打敗的,你可以被毀滅,但不可以被打敗。支撐老人的不正是這種信念嗎!凡是有形的東西終會凋謝,但這種意志,是永不凋謝的!

【篇三】《老人與海》讀書感想

輕輕合上這本《老人與海》,不禁思緒萬千,我的心早已隨著這書飄到那波濤洶涌的大海。這本書,給了我生活的信心和面對生活的勇氣;這主人公(圣地亞哥),使我明白了“世上無難事,只怕有心人”。

《老人與海》的故事很簡單,寫的是老漁夫圣地亞哥在連續(xù)84天沒捕到魚的情況下,終于獨自釣上了一條大馬林魚,但這魚實在太大了,把他的小船在海上拖了三天才筋疲力盡,老人把它殺死了綁在小船的一邊,可想而知,這需要多大的勇氣和意志啊!

他這種堅持不懈,自信的精神難道不值得我們學(xué)習(xí)嗎?俗語道:不以成敗論英雄,他那堅強(qiáng)的意志,勇敢的精神不比英雄的行為遜色,他將成為經(jīng)歷磨難而戰(zhàn)無不勝的巨人,值得每個人倡導(dǎo)。古時的愚公移山,他明知開山絕非易事,也非一朝一夕就可完成,他“知其不可為而為之”,仍堅持帶領(lǐng)子孫后代來開山。終于感化天帝,命山神搬走了這幾座山。還有“水滴石穿”,“鐵杵成針”,“冰凍三尺”等等,不都意味著“有志者,事競成”嗎?

《老人與海》中有句名言:一個人不是生來就要被打敗的,你可以被毀滅,但不可以被打敗。這句話襯托出了老漁夫的勇敢意志。在現(xiàn)實生活中,碰到困難是難免的,最重要的是要勇敢面對,有堅持不懈的精神,從失敗中吸取教訓(xùn)。

在日常生活中,我們經(jīng)常會因考試的失敗而失落,對自己沒有信心;也許會因為朋友的背棄而傷心,自暴自棄。但是,自從我讀了《老人與海》后,想想漁夫,再想想自己,就覺得自己碰到的不是問題。同學(xué)們,人生誰沒有失敗過,最重要的是在失敗過后重新勇敢地站起來,積極地去面對,去尋找失敗的根本原因,并改正。

我們要全力以赴,以全新的面貌去挑戰(zhàn),堅信成功將不再遙遠(yuǎn)。“人不是為失敗而生的,一個人可以被毀滅,但不可以被打敗。”當(dāng)我們碰到困難而灰心喪氣時,一定要堅持,古人云:山窮水盡疑無路,柳暗花明又一村,我們要滿懷信心地去迎接挑戰(zhàn)。因為我相信成功永遠(yuǎn)屬于我們自己!

【篇四】《老人與海》讀書感想

出差期間,我讀了美國作家海明威《老人與海》這本書。

書中主要講述了主人公桑提亞哥獨自在海上捕魚,但他連續(xù)84天都沒有捕到一條魚。在第85天他終于捕到了一條比獨木舟還長的馬林魚,但是在返回的途中碰到了成群的鯊魚,老人使出渾身解數(shù)與鯊魚搏斗,可是鯊魚把能吃的魚肉都吃完了,結(jié)果老人拖回去的只是一副大魚骨架。我被這個故事深深打動了,在曲折坎坷的人生路上,我們時刻要有一顆堅強(qiáng)、不屈服的心來面對失敗,成功一定會向我們走來。

在生活中,我們遇到了困難也許會畏難止步,但更應(yīng)該迎難而上。比如張海迪,她小時候雙腳就已經(jīng)殘廢,但是她并沒有向挫折屈服,而是以積極、樂觀、自信的態(tài)度去挑戰(zhàn)挫折。魯迅先生曾經(jīng)說過:“偉大的胸懷,應(yīng)該表現(xiàn)出這樣的氣概,用笑臉迎接悲慘的命運(yùn),用自信的勇氣來應(yīng)付自己的不幸。”是啊!當(dāng)我們碰到厄運(yùn)和不幸時,與其埋怨命運(yùn)的不公,還不如鼓起勇氣,振作精神,以剛毅的態(tài)度與厄運(yùn)抗?fàn)帯?/p>

審計工作不也是這樣的嗎?我們不應(yīng)該被任何困難所壓倒,應(yīng)盡自己的努力與工作中的困難做斗爭。書中有一句話令我至今難忘:“一個人并不是生來就要給打敗的,你可以消滅他,卻不能打敗他。”一個人的一生中不可能沒有失敗,但我們假如能夠從失敗中獲取有益的經(jīng)驗,發(fā)現(xiàn)成功的曙光,把失敗看成是通往成功的必經(jīng)之路。那才是從失敗中獲取的的收獲。

現(xiàn)在我們努力起來,要以永不言棄的精神前行。

第五篇:《麻雀》讀后感想文集

《麻雀》讀后感想文集

【導(dǎo)語】麻雀是一種精靈的鳥類更是一種具有偉大母愛精神的動物。這篇課文主要描述了一只老雀看見她的孩子被侵犯時挺身而出,保護(hù)自己孩子的故事。以下是東星資源網(wǎng)分享的內(nèi)容,歡迎大家閱讀與借鑒。

【篇一】《麻雀》讀后感想

俄國著名的作家屠格涅夫?qū)懙摹堵槿浮芬晃模易x了之后就深深得被老麻雀那種奮不顧身,保護(hù)幼鳥的壯舉所感動了。

地面上,一條兇猛的大獵狗一步一步地正在逼近小麻雀,張著血盆大口,露出兩排鋒利的獠牙……在小麻雀生死倏關(guān)的時候,老麻雀一個箭步?jīng)_上前去,像一塊石頭似的堅硬地?fù)踉诖螳C狗面前,豎起全身的羽毛,發(fā)出刺耳的尖叫聲,準(zhǔn)備與獵狗進(jìn)行一場殊死搏斗。大獵狗似乎有自知之明了,便慢慢地一步一步地向后退去。

舍身救幼鳥的勇氣,老麻雀到底從哪兒來呢?它的勇氣,來自于母愛,那博大、無私而又神圣的母愛。由麻雀們忽然想到了人類,我覺得人類的母愛更是偉大的、無與倫比的。從咿呀學(xué)語、跌跌撞撞地走路、穩(wěn)穩(wěn)地走進(jìn)校門……孩子們的哪一點細(xì)微的進(jìn)步,不是母親精心哺育的結(jié)果嗎?凌晨做飯、寒夜縫衣、雨天送傘……為了子女的健康成長,試問,哪一位母親沒有受盡苦累、費盡心血呢?

當(dāng)子女生病的時候,母親往往驚小怪,她便日以繼夜地守護(hù)在孩子的床前,恨不得躺在病床上的那個人是自己。遇到天災(zāi)人禍時,哪一位母親不為保護(hù)孩子而舍生忘死呢?在四川汶川地震的時候,一位年輕媽媽用身體頂住那塌下來的水泥板,當(dāng)救助人員發(fā)現(xiàn)她的時候,她已經(jīng)走了,但在她的懷中,還有一個嗷嗷待哺的小嬰兒竟奇跡般地活了下來。可想而知,是那位年輕而又堅強(qiáng)的媽媽用她自己的生命,終于使她孩子的生命得以延續(xù)啊。

母愛是多么神圣,多么偉大啊!世上只有媽媽好!

【篇二】《麻雀》讀后感想

《麻雀》其實是我們語文課本上的選讀課文,我細(xì)細(xì)的品味了一翻,文中的麻雀不僅能夠感動我們我們的心靈,還能給我們帶來很多思考。

小麻雀的無助和老麻雀的勇敢,讓我的心情久久不能平靜。小麻雀是那樣弱小,那樣無助,它分明還剛出世不久,從高高的的的巢中掉落下來的,從“呆呆”、“無可奈何”這兩個詞一下子把我的藏在心靈最深處的同情心一下激發(fā)出來了,不知不覺地悲嘆道:“啊,是多么弱小的生命呀!”

我們再看看老麻雀,它是多么的生動,扎起全身的羽毛、渾身發(fā)抖、呆立著不動、既有意料之中的恐懼,又有意料之外的勇敢,這就激起了我的感動,母愛是多么的偉大!

我對作者看似自然卻又傳神的描寫,我不禁贊嘆道:“屠格涅夫果然是大作家,寥寥幾筆就勾勒出的喜劇沖突表現(xiàn)得淋漓盡致,好似身臨其境。

我在這本書中懂得了許多,你也讀讀吧!

【篇三】《麻雀》讀后感想

米爾曾說“母愛是世間最偉大的氣力。”是的,《麻雀》這篇課文就讓我感到了母愛的偉大!

讀完這篇課文,我閉上了眼睛,慢慢的回想這篇課文《麻雀》。

獵人打獵回來,帶著獵狗回家。路上,他的獵狗發(fā)現(xiàn)了一只小麻憤然擋在沙漠運(yùn)么大的勇氣,一步一步往后退,獵人便急忙喚回了他的獵狗走開了。

我讀到這里,感受到了老麻雀非常愛自己的孩子,雖然自己也很怕獵狗,但為了保護(hù)自己的孩子,老麻雀連自己的生命都不要了!母愛真?zhèn)ゴ螅瓦B動物也有深深的感情啊!

在我們的生活中也存有這樣的母愛!那是一個清幽的夜晚,月亮媽媽升上了天,星星寶寶在夜空中像一顆顆璀璨的白珍珠閃閃發(fā)光!我很早就睡了,到了后半夜,我的身體滾燙滾燙,就像一個大火球,我往叫媽媽,媽媽心急地說:“順順,怎么啦,是不是發(fā)燒啦?”媽媽給我喝藥、喝水、量體溫,一切完畢后,媽媽坐在我床邊,頭上冒出了滴滴熱汗!

【篇四】《麻雀》讀后感想

今天,我讀了《麻雀》這篇文章,文章講的是一個人帶著一只獵狗去打獵,碰到了一只從樹上掉下來的小麻雀,獵狗正準(zhǔn)備把小麻雀吃掉時,老麻雀擋在了狗鼻子前面,用尖叫把獵狗嚇走。

我對老麻雀十分敬佩,為了保護(hù)自己的孩子,它用自己小小的身軀擋住了對他來說龐大的獵狗前面。

其實動物也有母愛,身患癌癥的小白鼠用生命的乳汁將小白鼠哺育長大后安詳?shù)亻]上雙眼;老黃牛為了不讓它的小牛崽渴死,憤然擋在沙漠運(yùn)水的路上,主人把它打得皮開肉綻,它用自己的鮮血為孩子換來了一盆生命之水;被漁民烹飪的鯰魚為了保護(hù)自己腹中的孩子,承受著頭和尾部被燒得焦糊的痛苦,肚子卻高高隆起,這都是為了自己的孩子,這些都是母愛。

我對它們十分敬佩,為了孩子可以奮不顧身,雖然他們不是人,但也有令人動容的母愛。

我終于明白了,到底是什么力量最偉大?是大樹堅韌不拔向上的力量?還是人們不怕困難戰(zhàn)勝困難的力量?我覺得最偉大的力量其實就在我們身邊,那就是:母愛!

【篇五】《麻雀》讀后感想

讀了《麻雀》這篇短文,讓我既感動又震撼。一只瘦弱的老麻雀為了自己的孩子,與龐大的獵狗對抗。這個片段使我的視線模糊了,同時也感概了老麻雀偉大的母愛。《麻雀》這篇短文主要講了一個獵人在打獵回來的路上,一只小麻雀從鳥巢里掉了下來,獵人的獵狗走近小麻雀,準(zhǔn)備美餐一頓。最后,在老麻雀偉大母愛的影響下,獵狗退出了,小麻雀因此得救了。《麻雀》這篇短文里的老麻雀,面對比自己還要大好幾倍的獵狗。難道不害怕嗎?答案當(dāng)然是害怕。記得在文中有一個畫面令我印象十分深刻:“這時,老麻雀像石頭一樣快速的從樹上落下來,扎煞起全身的羽毛,擋在小麻雀面前,因為害怕,身體不由地顫抖,嘴里發(fā)出絕望地尖叫。”

這段話里面明顯的看出老麻雀十分害怕,但是為什么還那么勇敢地站在獵狗面前,護(hù)著小麻雀呢?原因就是老麻雀偉大又無私的母愛。讀了這篇短文,我十分敬佩里面的老麻雀,為了救自己的孩子,不顧自己的安危,不惜犧牲自己,真是太偉大了。

【篇六】《麻雀》讀后感想

幾天前,我們語文老師教我們學(xué)習(xí)了《麻雀》這篇課文。課文生動地講述了一只老麻雀在獵狗面前奮不顧身地保護(hù)自己幼兒的事情,字里行間都流露著感人肺腑、震撼人心的美好感情。它,讓我深深地體會到了母愛的偉大。

不光是我們?nèi)耍B動物,甚至是弱小的麻雀發(fā)生的故事也那么.感人——老麻雀憑著它的勇氣、冒著死的危險也勇敢地去跟獵狗拼死一搏,也要去保護(hù)小麻雀。我又想,如果我就是文中的獵狗,看到老麻雀驚人的舉動,我會想到我的母親對我的高尚的、無私的、偉大的愛,才會像文中那樣,一步一步地向后退吧。

大家有沒有想到,我們的媽媽不也像老麻雀那樣嗎?下大雨了,媽媽冒雨給我們送傘;生病醒來時,媽媽真在床邊焦急地等待;競賽失敗了,媽媽又來鼓勵我''''''媽媽為我們付出了多少?即使冒著生命危險,媽媽也會趕來救我們,世上沒有一個人會比媽媽更加無微不至地照顧孩子了,她就像天使一樣守護(hù)著孩子,用最美的聲音、最甜的笑容、最堅定的信念呵護(hù)著孩子,看著他們一天一天的快樂成長。

難道不是嗎?

所以,從現(xiàn)在開始,珍惜你所擁有的母愛吧!它最偉大、最無私,擁有就是一種幸福。

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