第一篇:日語作文:わたしの夢
私の夢
夢は人間が誰でも持っているものでしよ。小さい時から今まで、皆さんと同じ、私もいろいろな夢を持ってきます。
寫真を撮ることに興味を持っているですから、私の夢はすごいカメラマンになりたいと思ています。去年の夏休みには二か月のアルバイトで、いよいよ人生で初めてのカメラを買いました。大學入だ後、私と同じ興味を持っている人に會いました。先輩は「すべて物に美しさがある」と言っていました。綺麗な寫真を撮るために、皆で一緒にたくさんの所へ行きましたが、本當に楽しがったです 光陰(こういん)は記憶(きおく)の消しゴム(けしごむ)ですが、大切な笑顔(えがお)や忘れないの景色を寫真にすることは世界で一番幸せなことでしょう。
その夢、ありがとうございます。
嚴恒-37
第二篇:日語作文:わたしの先生
わたしの先生
そのちょっと厳しくで優しい人はわたしの日本語先生です。彼女の日本語はとてもすごいですが、わたしの先生になりましたのことは本當によかったね。
日本語の勉強は難しいですから、上手にできません。しかし、先生は私にとてもまじめにます。そして日本語を身につけるために一生懸命勉強しています。
いつもありがとうございます、この感謝と敬意を伝えたい。
嚴恒-37
第三篇:日語作文《私の感動した出來事》
私の感動した出來事
學校:渤海大學 班級:11級.十五班 姓名:劉是享
最近、最も感動した出來事は何かと聞かれたら、人によって答えは違うだろう。光陰矢の如し、たくさんの記憶は時間に連れてだん
だん消えて行くが、それかと言って、私の記憶にまだ新しいことが
一つだけ殘っている。つまり、私の最も感動した出來事だ。それに
ついては今も目に焼きついてる。なぜかというと、感動してたまら
ないうえに、その事から暖かさを感じることができるからだ。
毎年の年末、中國では、人はよく中國を感動させた人物選評活動
の授賞式を見る、その番組は“中國人の精神史詩”だと言われ
ている。昨年の冬休みに、家で母と一緒にテレビで見た。今回の受
賞者は中國各地の出身で、それぞれ立場は異なるものの、いずれも
人々を感動させる行動をとった人達だ。例えば航空の英雄模範の羅陽氏は、命を懸けて戦闘機の開発に専念し、最後は殉職した。科學
者にして軍人の林俊徳氏は一生を原子力事業に奉げ、命の盡きる瞬
間まで業務を全うした。臺灣の老兵、高秉涵氏は100人以上の老兵
の遺骨を持ち帰ったことなどがある。しかしそれらの中で、最も感
動させられた例は親孝行な陳斌強氏である。彼は5年の間、病気の
母親を背負って出社し、若者の手本となったという栄譽である。陳
斌強氏は、普通の教師だったが、五年前,彼の母はアルツハイマー
型認知癥の患者になってしまった。生活において自分の世話をする
ことはおろか、時々あちこちへ出かけて行き、行方不明になる始末
だった。息子の彼はこの事に嫌がることもないどこうか、この母の
世話することをやめなかった。毎日母の世話するうちに、五年は一
日のごとく過ぎ去ったが;彼は每日帯のみを使ってして、母と自分
に縛り付け、電動自転車で學校へ通勤した。自分のスケジョールに
合わせながら、毎日ご飯を食べさせるとか、シャワーを浴びさせる
とか、日光浴をさせるとか等々して、仕事と母の世話することを両
立させた。実際の行動で、親孝行という本當の意味を実行にみせた。
その姿を見るたびに、私は涙を流さざるをえないほど感動させられ
た。
親孝行は何よりも一番重要で、一切の道徳の根源として、人間に
対する基本的要求ばかりでなく、付き合いの鍵だ。しかも、他の人
に関心を持つことや、國を愛すること等、という道徳形成の基礎だ。
陳先生はさすが人民の教師であるだけに、彼は自分の実行を通して
全中國を感動させた。すべき事をして、平凡な事とはいえ、実際に
は珍しいことで、まさに実例は教訓に勝ることを示したのである。
更に私達を感動させたのは彼は母に対する愛だけでなく、母のこと
についてずっと続けていくことができると言うことある。五年一日
のごとく頑張って、彼のようにそんな事をする為には、強くてしっ
かりとした気迫が必要だと思う。これは強い信念、更に、一種の使
命感が必要である。こんな使命感があるから、陳先生はいくら苦労
しても、心が幸せで喜びも大きかった。これから、私達はもっと身
の回りの人に気をつけて、特に、自分の両親に気をかけて、できる
だけ日常生活の上で両親を助けてあげたい。
陳先生は様々な困難に遭いながらも、諦めないで最後までやりぬ
いたおかげで、中國を感動させた人物になった。日本の有名な
名言によると、「人生で一番美しい物の一つは母性愛であり、これ
は無私な愛で、道德でもおよばない。」みなさん、お母さんを大切
にしてあげてください。一度でいいから、「ありがとう」と聲をか
けてあげてください。
以上で私のスピーチを終わります、ご靜聴ありがどうございまし
た。
2013年11月15日金曜日
第四篇:日語作文 私の大學生活
私の大學生活
私は開封から來た魏海麗です。2007年の夏、私は西安交通大學に入りまし た。その時は、優秀な大學生になるのを決心しました。そして、3年間に経済 學部で私は努力に勉強しっています。専攻學科の知識は勉強して、おもしろい だと思います。はじめの時は、大學で言葉や食事のことなどがとても苦手でし た。大學生活に慣れるために、生徒會やいろいろなクラブに入りました。3年 間で、たくさんの友達に付き合って、知識を勉強していました。私の大學生活 はおもしろく、豊富だ思っています。今私はよく仕事を探されたいです。3年 の大學生活を思い出して、幸せと満足を感じしています。大學に入ってから、もうそろそろ3年が終わりました。わたしの大學生活につ いて言えば健康の方式だと思います。私は毎朝7時に起きます。それから友達 といっしょに食堂で朝ご飯を食べます。授業は 8 時に始まります。大學では、専攻は勉強ということが忘れではいけないです。そして、よく図書館に行きま す。図書館で本を読むことを通じて、いろいろな知識を勉強することができて、暇の生活も豊かになれる。9 時ごろ寮に戻ります。寮は 4 人部屋です。みんな は、仲のいい友達です。週に2回くらいスポトをします。ときどき映畫を見て、音楽を聞きます。土曜と日曜は休みです。私はよく友達にyいっしょに遊びに 行きます。西安の観光地を観覧の時をきっかけにして、歴史を知っていました。ほんとに楽しかったです。大學の自由時間は高等學校のよりもっと多いです。週末には、普通に寮でネッ トサーフィンをしています。ンターネットで世界中のことを知ることができま
す。そして私は暇な時間に日本語を勉強しています。私は日本が大好きですか ら、日本語を勉強して以來、日本との距離がますます近く感じるようになりま す。それで、日本語の勉強はもっと積極です。日本のドアマとテレビ番組はい つも見ています。卒業までに、わたしの目標は日本語能力試験の二級をとるつ もりです。大學で、毎日時間がとても楽しくて、多くの友達を知って、多くの知識を勉強 してます。私の大學生活はまだ続いています。もっともつと勉強して、いろん なことを挑戦したいと思います。今后の大學生活を楽しみにしています。この 學期は、仕事を探したら、きっと最高の楽しく旅行が期待します。大學で勉強 した知識を活用して、自分の目標を達成できるように頑張ってと思います。私 は將來の生活に大きな期待をしています。
私の大學生
第五篇:日語作文-溫泉の王國
溫泉の王國
火山や地震の多いから、日本の各地ほとんどには天然で、有名な溫泉がある。日本人にとって、溫泉に入るのは十分楽しむことばかりでなく、さらに生活の大切なことだ。確かに日本人のようにお風呂が好きな民族がない。以前の日本は男女混浴が普通ことだが、今は少なくなる。私はこれが不思議だと感じるけれども、特別な風習だと思う。でも、私が好きなのは日本人のお風呂を重視することだ。お風呂は體を洗うということだけでなく、父と息子、上司と部下あるいは多年の友達も感情を深めることができる。これこそが最も大事なことだと思う。
溫泉が気持ちのよいものだということは日本人なら誰でも知っている。気持ちのいいものは誰でも好きだ。水道水を沸かした家庭のお風呂とは違う、実際に溫泉には體をリラックスさせる成分があるし、自然の豊かな環境で湯につかることで精神的にもリラックスし、相乗効果を持つ。
日本溫泉の歴史も長い。初めて溫泉が文獻資料に登場するのは『古事記』『日本書紀』などの本。本によると、昔々から日本人もう溫泉を利用することができたようだ。これらの本の中には、日本武尊が東方遠征の帰りに草津に立ち寄って溫泉で傷を癒したことや、持統天皇の御代に飲泉によって多くの病者を治療したという記述が見られる。
奈良時代になって、仏教の伝わたので、日本の各地はお寺を建てきた。僧侶は溫泉の開発に大きく影響した。室町時代に、溫泉は主に僧侶や貴族、武士たちのレクリエーションの場で、一般庶民に普及することはない。安士桃山時代に、溫泉もう戦いで傷ついた武士の治療するために広く応用した。
數千年が流れた日本溫泉は年月に魅力が消されなくて、卻って年月を重ねるにつれて味わいが濃くなって、各地の溫泉は人文の息吹がいっぱい溢れていった。日本に行けば、絶対に溫泉を楽しむ。長い時間の旅行の後で、露天溫泉に入って、窓の外の景色を見たり、お茶を飲んだりしたので、一日の疲れを洗える。雪のちらつく天気に出會ったら、もっと素晴らしい。43度の湯気がたっているお湯の中で、舞い落ちる雪を見て、ロマンチックや純粋を感じられる。こんな感じは世の中で珍しくて天國にいるようだ。でも、溫泉は夏に楽しむのはもちろん唯一の選択ではない。
有名な溫泉の故郷――箱根は季節に応じて、違う溫泉のテーマを提出してある。春にはピンクの桜やツツジが満開している山を見て、夏には緑で溢れていて山々を眺めたり小河の水がさらさらと流れる音を聞いたりして、秋には赤い紅葉の世界を楽しむ。それこそがのんびり人生を味わうことだ。
溫泉の治療効果も顕著で、日本人は溫泉を利用して、病気を治したり健康を促したりする。違う地方の溫泉の水質は違うから、効果も同じではない。靜岡県の熱海溫泉が塩などを含んでいるから、溫泉を出てから塩は體に殘って、保濕効果があって寒さも感じない。群馬県の草津溫泉が酸性なので、リューマチを緩和できる。佐渡溫泉にはカロチンを豊富に含むので、視力を高められる。月岡溫泉は肌に白くする効果があるから、女性の中で人気が高い。もちろん、これ以上は日本溫泉の部分だから、日本には特色のある溫泉がたくさんある。
でも、どんなに効能の高い溫泉でも、たった一晩だけ入っただけで、また、日帰り入浴だけで、効果を期待するのは無理だ。
日本で溫泉に入るのは他の國家のに比べて、違うものだ。日本の溫泉文化と見れば、日本人の生活の細かいところが味わえる。溫泉に入る前に、體をよく洗ってからきれいな體で溫泉に入る。タオルが溫泉の池內に持ってはいけないので、そして、タイルは池のそばにおいてあるいは頭を巻いてもいい。また、溫泉の池內では石鹸で體を洗うわけにはいか
ない。しかも、溫泉の池內でも大聲で叫べなくて、走って追い合えなくて、泳げなくて、靜かにしているべきだ。溫泉の溫度は熱すぎても冷たすぎてもよくない。最もよい溫泉を楽しむ時間は10分だ。日本人は晩ご飯の前にも、寢る前にも、朝に起きる前にも溫泉に入ることになっている。その中で、日本人はほんとに溫泉好きなのようだ。日本人の溫泉好きと同じくらい西洋人の水泳好きは多いのである。加えて、ホテルでは浴衣を提供して、正確な著方に従うべきだ。
溫泉のある國家がたくさんある以上、日本と海外で溫泉はどう違う。それは溫泉の使われ方に違いものだかもしれないと思う。しかし今や世の中グローバリゼーションの波に乗って、溫泉文化も急速に國際化が進んでいることを知って頂こう。海外の溫泉では日本の「溫泉」ブームが起っているし、日本でも溫泉が「スパ」になり、やがてサウナ、マッサージ、美容、グルメが溫泉の主要メニューになり、裸で混浴の露天風呂が普及してくるに違いない。でも、西洋の人工的で豪華である溫泉施設と比べると、日本溫泉の大自然に近いなのは取り替えのきかない。
日本で溫泉を楽しんだら、きっと獨特な感じはある。まず、古色の旅館や中の靜かな気分は旅人に神秘的な感じを與える。また、ウェイトレスは人間味のいっぱいおばさんやおばあさんなので、いつも笑っていて、細かい心が遣って、旅人に暖かいフリを與える。そして、その親密に大自然に觸れることこそが最も大事で獨特なことだ。
私にとっては、また溫泉はのんびり楽しむこととしてとっても憧れている。いつか溫泉の王國の日本に行って、自ら體験したい。
2010年01月08日