第一篇:2013屆日語(yǔ)系畢業(yè)論文進(jìn)度安排
2013屆外語(yǔ)學(xué)院日語(yǔ)專業(yè)畢業(yè)論文計(jì)劃進(jìn)度
畢業(yè)論文是本科教學(xué)中的一個(gè)非常重要的實(shí)踐環(huán)節(jié),對(duì)提高學(xué)生綜合實(shí)踐能力、培養(yǎng)創(chuàng)新意識(shí)與能力方面起著舉足輕重的作用。根據(jù)《寧波大學(xué)2010版本科教學(xué)培養(yǎng)方案》,畢業(yè)論文為一門必修課,共8個(gè)學(xué)分。為了更好地做好本次畢業(yè)論文工作,提高畢業(yè)論文質(zhì)量,確保工作規(guī)范,日語(yǔ)系參考學(xué)校教務(wù)處制定的“關(guān)于做好2011屆本科生畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)工作的通知”,并結(jié)合往年的慣例,制定了“2013屆日語(yǔ)本科畢業(yè)論文工作計(jì)劃進(jìn)度”,具體如下:
第一階段:?jiǎn)?dòng)階段(2012年7月3日—23日)
1、班長(zhǎng)匯總本班畢業(yè)生信息,學(xué)院教務(wù)辦負(fù)責(zé)將畢業(yè)生初始信息上傳至畢業(yè)論文網(wǎng)絡(luò)平臺(tái)(bysj.nbu.edu.cn),學(xué)生需登陸平臺(tái),完善個(gè)人信息;
2、確定指導(dǎo)教師,與導(dǎo)師商量擬定畢業(yè)論文題目。教師出題,學(xué)生選題;教師出題截至日期為(2012/07/22)
3、4、日語(yǔ)系選題集中審核時(shí)間2012年7月25日。
指導(dǎo)教師下達(dá)任務(wù)書,指導(dǎo)學(xué)生查閱文獻(xiàn),做好開題前期工作;
5、任務(wù)書上傳截止時(shí)間為2012年10月21日
第二階段:開題階段(2012年9月10日—11月25日)
1、學(xué)生撰寫開題報(bào)告,并上傳(10月28日截止),導(dǎo)師審核寫出審核意見;
2、學(xué)生查閱文獻(xiàn)資料,寫出文獻(xiàn)綜述;
3、學(xué)生上傳文獻(xiàn)綜述(11月11日截止);
4、導(dǎo)師修改文獻(xiàn)綜述,給出評(píng)論和建議,供學(xué)生修改;
5、導(dǎo)師根據(jù)學(xué)生提交的文獻(xiàn)終稿寫出評(píng)語(yǔ),按百分制給定分?jǐn)?shù);
6、學(xué)生開始翻譯文獻(xiàn),并上傳(11月25日截止);
7、導(dǎo)師評(píng)閱文獻(xiàn)翻譯,寫出評(píng)語(yǔ),按照百分制給出分?jǐn)?shù);
第三階段:論文撰寫階段(2012年11月26日—2012年3月30日)
1、導(dǎo)師指導(dǎo),學(xué)生撰寫論文初稿;
2、上傳論文初稿(2013年2月28日);
3、論文修改第一稿,需面批;
4、論文修改第二稿,需面批;
5、論文修改第三稿,需面批;
6、畢業(yè)論文定稿,并上傳(2013年4月13日截止);
7、導(dǎo)師評(píng)閱論文,寫出不少于200字的評(píng)語(yǔ),給定分?jǐn)?shù)。
第四階段:答辯階段(2013年4月13日—5月26日)
1、畢業(yè)論文答辯資格審查,由教務(wù)辦完成;
2、答辯分組,由日語(yǔ)系主管領(lǐng)導(dǎo)完成;
3、論文交叉評(píng)閱,由答辯組長(zhǎng)分配交叉名單,評(píng)閱教師寫出評(píng)語(yǔ),并給定分?jǐn)?shù)(2013年4月25日截止); 4、2013年5月12日,第一次論文答辯;
5、答辯組長(zhǎng)輸入一辯成績(jī)以及答辯記錄; 6、2013年5月19日,第二次論文答辯;
7、答辯組長(zhǎng)輸入二辯成績(jī)以及答辯記錄;
第五階段:評(píng)價(jià)階段(2013年6月1日—6月16日)
1、畢業(yè)論文總結(jié)、評(píng)估、評(píng)優(yōu);
2、材料歸檔。說(shuō)明:
1、各位同學(xué)務(wù)必在規(guī)定時(shí)間內(nèi)登陸“高校畢業(yè)論文網(wǎng)絡(luò)平臺(tái)”,提交相關(guān)材料,指導(dǎo)教師按時(shí)反饋。由于未能在指定時(shí)間段上傳材料,系統(tǒng)關(guān)閉后無(wú)法上傳,責(zé)任由行為人自己負(fù)責(zé);
2、本安排可能根據(jù)具體情況做出臨時(shí)調(diào)整。聯(lián)系人:丁愛(ài)俠(教務(wù)辦641114/87600334)
郭勇(英語(yǔ)系87600022)
外語(yǔ)學(xué)院日語(yǔ)系 2012年7月1日
第二篇:畢業(yè)論文進(jìn)度安排
金融與經(jīng)濟(jì)系10級(jí)畢業(yè)論文進(jìn)度安排
為更好的完成10級(jí)畢業(yè)論文撰寫與答辯工作,現(xiàn)將畢業(yè)論文環(huán)節(jié)的進(jìn)度安排如下:
一、畢業(yè)論文選題、開題階段(第1-4周)
1、2014年3月20日(第4周)前確定題目并完成畢業(yè)論文開題報(bào)告撰寫工作。
2、2014年3月21日(第4周)前將修改好的畢業(yè)論文開題報(bào)告提交畢業(yè)論文指導(dǎo)老師。
二、畢業(yè)論文開題答辯階段(第5周):
1、2014年3月24日(第5周周一)下午下班前各位指導(dǎo)教師收齊學(xué)生的畢業(yè)論文開題報(bào)告并匯總本組學(xué)生的論文題目后,將學(xué)生開題報(bào)告和論文題目提交金融學(xué)和經(jīng)濟(jì)學(xué)專業(yè)負(fù)責(zé)人。
2、金融與經(jīng)濟(jì)系在本周內(nèi)組織完成畢業(yè)論文開題答辯工作。答辯形式采用書面答辯的形式。
三、畢業(yè)論文撰寫階段(第6-12周)
1、各位指導(dǎo)老師根據(jù)開題答辯的結(jié)果,指導(dǎo)學(xué)生進(jìn)行畢業(yè)論文初稿的撰寫。2014年4月14日(第8周周一)前完成并上交論文初稿(按照畢業(yè)論文的正規(guī)格式要求進(jìn)行排版)和外文資料翻譯。
2、2014年4月27日(第9周)前完成論文二稿并上交,修改外文翻譯資料。3、2014年5月4日(第10周)前完成并上交論文三稿。
4、2014年5月5日(第11周)上交論文三稿電子版發(fā)至教務(wù)處進(jìn)行學(xué)位論文學(xué)術(shù)不端行為檢測(cè);修改論文和外文翻譯資料。
4、2014年5月14日(第12周)提交畢業(yè)論文定稿、畢業(yè)論文任務(wù)書、開題報(bào)告、外文文獻(xiàn)翻譯及各項(xiàng)答辯表格,準(zhǔn)備參加畢業(yè)論文答辯。(過(guò)期不交材料者視為放棄本次畢業(yè)論文答辯)
四、畢業(yè)論文答辯階段(第13-14周):
2014年5月24日(第13周)前組織完成畢業(yè)論文答辯工作和成績(jī)?cè)u(píng)定工作。
以上畢業(yè)論文環(huán)節(jié)進(jìn)度安排,請(qǐng)各位畢業(yè)論文指導(dǎo)教師與學(xué)生嚴(yán)格遵守,按
照進(jìn)度安排提交各階段的工作成果。對(duì)于不按時(shí)提交材料的學(xué)生,指導(dǎo)老師有權(quán)取消該學(xué)生參加下一環(huán)節(jié)工作的資格。
金融與經(jīng)濟(jì)系
2014年3月7日
第三篇:畢業(yè)論文進(jìn)度安排
工作進(jìn)度安排
第一階段(2016年11月上旬—12月上旬):確定畢業(yè)論文選題,擬訂論文開題報(bào)告書;撰寫論文大綱,并根據(jù)相關(guān)主題進(jìn)行文獻(xiàn)的收集和分析;
第二階段(2016年12月中旬):對(duì)開題報(bào)告書繼續(xù)進(jìn)行完善、填充,對(duì)自己論文的整體框架有一個(gè)非常明確的思路以準(zhǔn)備開題答辯;
第三階段(2016年12月下旬—2017年1月上旬):結(jié)合文獻(xiàn)資料與實(shí)習(xí)工作中通過(guò)參與觀察、問(wèn)卷調(diào)查、訪談等方法收集到的信息,撰寫論文初稿。
第四階段(2017年1月中—3月下旬):對(duì)論文初稿進(jìn)行修正并與指導(dǎo)老師交流想法,詢問(wèn)需要改進(jìn)的地方;
第五階段(2010年4月上旬—4月下旬):完善資料,思考社工機(jī)構(gòu)和社區(qū)合作模式的發(fā)展前景,完成二稿。
第六階段(2017年五月):按學(xué)校關(guān)于畢業(yè)論文設(shè)計(jì)的具體格式要求,對(duì)論文的格式進(jìn)行全面修改,完成論文;
第四篇:日語(yǔ)系畢業(yè)論文
長(zhǎng)沙理工大學(xué) 本科畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)
目 次
日本語(yǔ)アウトライ……………………………………………………Ⅰ 中國(guó)語(yǔ)アウトライ……………………………………………………Ⅱ 日本語(yǔ)要旨……………………………………………………………Ⅲ 中國(guó)語(yǔ)要旨……………………………………………………………Ⅳ 第一章 序論…………………………………………………………1 第二章 諺と民族性格の定義………………………………………1 第三章 中國(guó)と西洋からの諺………………………………………2 第四章 日本本土の諺………………………………………………6 第五章 諺の意味の変遷と言語(yǔ)構(gòu)造………………………………7 第六章 結(jié)論…………………………………………………………8 參考文獻(xiàn)………………………………………………………………9
目 錄
日文提綱………………………………………………………………Ⅰ 中文提綱………………………………………………………………Ⅱ 日文摘要………………………………………………………………Ⅲ 中文摘要………………………………………………………………Ⅳ 第一章 引言……………………………………………………………1 第二章 諺語(yǔ)與民族性的定義…………………………………………1 第三章 來(lái)自中國(guó)與西方的諺語(yǔ)………………………………………2 第四章 日本本土諺語(yǔ)…………………………………………………6 第五章 日本諺語(yǔ)意思的變遷與語(yǔ)言結(jié)構(gòu)……………………………7 第六章 結(jié)論……………………………………………………………8 參考文獻(xiàn)……………………………………………………………… 9
アウトライン
論文主旨:日本の諺の起源、発展、変遷から、日本の諺の民族性格を研究する。第一章 序論
第二章 諺と民族性格の定義 第三章 中國(guó)と西洋からの諺 3.1 中國(guó)からの諺 3.2 西洋からの諺 第四章 日本本土の諺 4.1 地理の影響 4.2 宗教の影響 4.3 生活方式の影響
第五章 諺の意味の変遷と言語(yǔ)構(gòu)造 第六章 結(jié)論
提 綱
論文主旨:從日本諺語(yǔ)的起源,發(fā)展,變遷發(fā)面,探究日本諺語(yǔ)中的民族性。第一章 序論
第二章 諺語(yǔ)與民族性的定義 第三章 來(lái)自中國(guó)與西方的諺語(yǔ) 3.1 來(lái)自中國(guó)的諺語(yǔ) 3.2 來(lái)自西方的諺語(yǔ) 第四章 日本本土諺語(yǔ) 4.1 地理因素 4.2 宗教因素 4.3 生活習(xí)慣因素
第五章 諺語(yǔ)意義的變遷與語(yǔ)言構(gòu)造 第六章 結(jié)論
要 旨
諺は、人間の言語(yǔ)と知恵の結(jié)晶と言われている、日本の諺も同じである。日本が島國(guó)としての特別な地理、文化伝統(tǒng)が諺の形成、発展及び內(nèi)容形成などに対して深く影響を與える。諺の中に日本民族の特有な民族性格と文化が特別な言語(yǔ)形式を通して完壁に現(xiàn)われている。言語(yǔ)と文化を結(jié)び付ける視點(diǎn)から見ると、日本の諺の起源でも、発展でも、変遷でも、十分な研究と探求の価値がある。諺が國(guó)の文化を表すのみならず、さまざまな価値観、人生観、世界観も表現(xiàn)している。その中に、日本人は獨(dú)立した民族として、獨(dú)自の文化を持ち、諺も言うまでもなく獨(dú)自の民族的特色を持っている。ここで、民族性格に対して考察してみたい。
キーワード:諺;民族性格;諺の起源;諺の変遷;言語(yǔ)構(gòu)造
摘 要
諺語(yǔ)是人類語(yǔ)言和智慧的結(jié)晶。日本諺語(yǔ)也是一樣的。日本作為一個(gè)島國(guó),其獨(dú)特的地理位置,文化底蘊(yùn)對(duì)諺語(yǔ)的形成,發(fā)展及內(nèi)容形式,產(chǎn)生了深遠(yuǎn)的影響。日本民族特有的民族性,文化特質(zhì)在諺語(yǔ)著這特殊的語(yǔ)言形式中得到了完美的體現(xiàn)。從語(yǔ)言和文化相結(jié)合的角度來(lái)看,無(wú)論是日語(yǔ)的起源,發(fā)展,變遷,都是極具研究和探討價(jià)值的。諺語(yǔ)不僅可以反映該國(guó)的文化與社會(huì),同時(shí)也反映了也反映各民族的多種多樣的價(jià)值觀,人生觀與世界觀。其中,日本作為一個(gè)獨(dú)立的民族,其民族性獨(dú)具特色。本文想對(duì)諺語(yǔ)中反映的日本民族性進(jìn)行探究。
關(guān)鍵詞:諺語(yǔ);民族性 ;諺語(yǔ)起源 ;諺語(yǔ)意思的變遷;語(yǔ)言結(jié)構(gòu)
日本の諺から日本の民族性格を探求する
第一章 序論
言語(yǔ)と文化は密接な関係がある。どんな言語(yǔ)でも文化と離れて獨(dú)立して存続することが出來(lái)ない。言語(yǔ)は文化の中に存在すると同時(shí)に文化の基盤である。だから、言語(yǔ)表現(xiàn)形式として一番の寶物挙げられる諺は、世界で最も豊富で多彩な成語(yǔ)、諺の大寶庫(kù)を持っている。
まず、私たち知るべきのは、日本の諺が庶民から生まれるものである。諺には、人々の哀楽だけではなく、自然と人間の関係、動(dòng)物、植物までなどの內(nèi)容もふくめている。人間の生活経験から作られたさまざまな知恵は、漢字で記録されではなく、諺の形式として口で代々に伝えていく。今、私たち本で見た諺は、後輩の収集と整理したものである。これは、めいめいのながい人生経験から悟った知恵と結(jié)晶である、ただの人生の教訓(xùn)、処世の學(xué)問(wèn)ではなく。日本の國(guó)民も豊かな諺を持っているが、その中に外國(guó)からの諺もすくなくない。もし、外國(guó)からの諺がないとしたら、日本人の民族性格も分からず、諺の中の借りる文化、外來(lái)文化も不自然になるだろう。もう一つ強(qiáng)調(diào)したいのは、諺がいつも変わっていくということだ。特に若者たちは現(xiàn)代の視點(diǎn)から理解と解釈している諺が新しい生命力を感じている。東洋でも西洋でも、諺が自分國(guó)の文化と社會(huì)を表すのみならず、さまざまな価値観、人生観、世界観も読まれる。その中に、日本人は獨(dú)立した民族として、獨(dú)自の文化を持ち、その中の諺も言うまでもなく獨(dú)自の民族的特色を持っている。ここで、諺の中の民族性格に対して考察してみたい。
第二章 諺と民族性格の定義
日本の辭書について次のような定義を下している?!笌谵o苑」;
古くから人い々に言い習(xí)わされてきた言葉、教訓(xùn)、風(fēng)刺、等の意を寓し短句や秀句。
「日本國(guó)語(yǔ)大辭典」;
昔から世間に広く言い習(xí)わされてきた言葉で、教訓(xùn)や風(fēng)刺などを含んだ短句。以上の定義が次のような諺の基本的な特徴を示していた。?諺は口頭で代々言い伝えられてきたものである。?諺は広く民間で使われている通俗な言葉である。
?諺は明快で簡(jiǎn)潔な言い回しにより教訓(xùn)、風(fēng)刺、等の意を寓したものである。民族性格とは、ある民族が持つ性質(zhì)、心理的特質(zhì)、気風(fēng)、思潮、精神、心性のこと。私は、日本諺の起源、発展、変遷、構(gòu)造の研究に通して、日本人の特民族性格を探求する。
第三章 中國(guó)と西洋からの諺
人間健全な理性が世界的にも共通なので、國(guó)が違っても、民族が違っても、各國(guó)の諺の中に論を待たなく同じものを持っている。日本では、、仏典、漢籍、英文學(xué)、聖書、など國(guó)外の原典に由來(lái)するものが日本獨(dú)自のものとして誤解されている場(chǎng)合も多い。
3.1 中國(guó)からの諺
①詩(shī)からの諺
國(guó)破れて山河あり(杜甫の詩(shī) 春望)
春宵一刻値千金(蘇試の詩(shī) 春夜)
少年老い易く學(xué)成り難し(朱熹の詩(shī) 偶成)②原典からの諺
彼を知り己知れば百戦怠からず(孫子 謀攻)教うるは學(xué)ぶの半ば(禮記 學(xué)記)③熟語(yǔ)からの諺
行尸走肉(拾遺記 六)自暴自棄(孟子 離簍上)④伝説からの諺 絵に描いたピン
蛇に睨まれた蛙
3.2 西洋からの諺
友と酒は古いほどいい(Old friends and wine are best)
一石二鳥(to kill the two birds with one stone)
便りのないのはよい便り(No news is good news)時(shí)は金なり(Time is money)(1)(2)以上の例から、一つ事実が分かるようになった。日本は優(yōu)秀な外國(guó)の文化を吸収して、自分のものにするのが得意である。その原因といえば、日本が弧島で海に囲まれているから、日本人がずっとこの封閉な狀況から飛び出し,外界と接しようと強(qiáng)く願(yuàn)っている。したがって、日本が劣らないように、謙虛に外國(guó)文化を吸収して、世界の先進(jìn)國(guó)を超えようという民族性格も読まれる。
第四章 日本本土の諺
日本本土の諺、ある種類の教訓(xùn)、警戒、風(fēng)刺、またはその他の視察経験による知識(shí)をいいあらわしたものである。年取りたちは、めいめいのながい人生経験から悟った知恵を諺に託して若者たちに示す。島國(guó)に住んでいる日本人は、自然と共存して、謙虛で、勤勉で本気で働いていること、よく知られている。長(zhǎng)年の労働と農(nóng)耕生活から形成した諺が多いだけじゃなく、日本人の民族性格もうまれている。
4.1 地理の影響
日本の特別の地理と環(huán)境のおかけで、さまざまな諺も生み出した。その諺から、日本人の民族性格も分かるようになった。4.1.1 自然と共存する日本人
日本が豊かな自然環(huán)境に囲まれているから、いつも自然を尊敬し、平和の共 存を求めている。
?動(dòng)植物から見た日本の生活理念
動(dòng)物;
植物; 猿も木から落ちる
柳に風(fēng)邪 蛙の子は蛙
青菜に塩 貓の手も借りたい
獨(dú)活の大木
?気象に敏感な日本人 暑さ、寒さも彼岸まで
梅の花上向きに咲く年は晩霜あり 青夕焼けは大風(fēng)邪となる
??から見たら、日本がきれいな自然環(huán)境に恵まれて、四季がはっきりと分れている。この美しい環(huán)境に住んでいる日本人が自然に特別な好感を持っている。日本人に対して、自然がき征服された対象ではない。日本の諺には、いきいきとした動(dòng)物や植物から変わった自然現(xiàn)象まで、自然と密接に関係している內(nèi)容が沢山ある。自然に守ろうとする日本人が 細(xì)かい観察を通して多くの生活観念と教訓(xùn)をまとめている。4.1.2 島國(guó)の日本人
日本は島國(guó)で、太平洋暖流と千島の影響の下で、海洋漁業(yè)が発達(dá)している。だから、日本人が海産物と接する機(jī)會(huì)が多く、海と魚に関する諺も多い。海に千年川に千年
河豚は食いたし命は惜しし 腐っても鯛 魚心あれば水心
以上の例とおり、さまざまな魚を比喩として物事及び生活道理を示す。だから、日本の飲食文化は、尚魚、愛(ài)魚の文化と言えるだろう。昔から、魚が日本社會(huì)に重要な位置を占めている。さまざまな魚に関する諺は、日本人の心理特徴と生活習(xí)慣を表し、一つの民族性と言えるだろう。
4.2 宗教の影響
日本の伝統(tǒng)社會(huì)は、その奧深くに仏教の物の考え方が流れている。仏教の中 で日本人が最も重視して受け入れたものは?無(wú)常観?である。この無(wú)常観というのは何も仏教だけがもたらしたのではなく、日本の自然そのものが教えてくれたものでもある。?宗教観
今際の念仏誰(shuí)でも唱える 見ぬは極楽知らぬは仏 因果応報(bào) 死にがけの念仏 ?無(wú)常観
會(huì)うは別れのはじめ 朝顔の花一時(shí)
朝に赤顔あり夕べに白骨となる
6世紀(jì)に、仏教が中國(guó)から日本に伝えられている。そして、その後日本の文化全體に大きな影響を及ぼす。古代の日本人が儒教と仏教に影響されて、淡泊、漂泊、無(wú)常な國(guó)民性格になった。そのような性格は、運(yùn)命に面するとき、明らかに表れている.日本人は次々の困難を乗り越えるとか、目的を葉わなければならないとか、あまり好きではない。逆に、融通が利かなくて、拘る処世態(tài)度より、楽観で朗らかで天に任せるの方がもっと好きである。
それに、儒教も日本の生活、思考、行動(dòng)に大きな影響を與える。儒教の仁愛(ài)、神道の調(diào)和、仏教の自慮自醒、因果応報(bào)も日本人の生活態(tài)度に対して、ある程度の影響が出て役に立っている。
4.3 生活方式の影響
4.3.1 勤勉で辛抱強(qiáng)い日本人
日本は、農(nóng)耕な民族で、古いから「晝で働き、夜で休む」という農(nóng)耕生活を形成している。そのところから、勤勉で辛抱強(qiáng)い民族性格が現(xiàn)れている。石の上にも三年 桃栗3年、柿8年
一日作さざれば一日食らわず
稼ぐに追い付く貧乏なし
以上の諺の中に、日本人を特別に持っている勤勉で辛抱強(qiáng)い民族性も見える。それに、日本人の堅(jiān)忍不抜の精神のみならず、富と生活に追求する態(tài)度も體現(xiàn)する。この古い諺から、古代社會(huì)の勤勉な耕作の生活畫面が目の前にいきいきとしたようだ。
4.3.2 慎重な日本人
生活中の日本人がいつも言動(dòng)が慎重と言われている。なんに事に対すしても、いろいろ考えた抜いてから、決める。石橋を叩いて渡る 淺き川も深く渡れ 君子危うきに近寄らず
「石橋」でも、「淺き川」でも、以上の諺が日本人の慎重性を表れている。この人々に教訓(xùn)、警戒を與える諺は、民族性を體現(xiàn)するとともに、日本人の小心翼翼の処世態(tài)度と落ち著いた処世作風(fēng)も分かるようになる。全體から見ても、日本民族性の重要な部分となる。4.3.3 曖昧な日本人
日本人が「曖昧な人」と評(píng)価されるは、よく耳にする。その曖昧もさまざまな形で現(xiàn)れる。
開いた口に団子 足下に火がつく 足を洗う
日本語(yǔ)には、身振りに関する用い方が多い。諺には、體の器官を利用して表す例も少ない。昔から島國(guó)で生まれて農(nóng)耕で活きている日本人が「自然と周りの物事との接觸、融和」を重視している。言語(yǔ)から見ると、自然と體の各器官を通して人の行為や人生道理を暗示する傾向が明らかになる。その他、自分の気持ちをはっきりしないで、體の器官と周りの物事を通して、自分の考え、態(tài)度を表すのは日本人の特別な民族性である。4.3.4 沈黙な日本人
日本人が「沈黙好き」と言われている。彼らはが口數(shù)の少ないことを崇める。お互いに譲り合って衝突を避けるからこそ、集団の存続と個(gè)人の安定があると思う。「言わぬは言うに勝る」、「言わぬは花」などのような日本人の処世術(shù)は沢山の諺の中に表れる。病は口よりいづ 口は災(zāi)いの元 口は人傷付ける斧
以上はみんな長(zhǎng)期の社會(huì)的な実踐の中で日本人によって作り出されたものである。それは「雄弁,多言」などに対する一種の軽蔑といえるだろう?!敢孕膩恍摹埂缚堡扦铯搿工趣いθ毡救摔违ぅ岍`ジが生き生きと現(xiàn)れる。
第五章 諺の意味の変遷と言語(yǔ)構(gòu)造
言語(yǔ)が社會(huì)文化の一部分として、変わらないわけにはいかない。社會(huì)発展と進(jìn)歩と共に、人の観念も言語(yǔ)の意味も変わっていく。言語(yǔ)の知恵としての諺は、時(shí)代につれて変わっていきつづけている。
5.1諺の意味の変遷
1、「一姫二太郎」は、はじめに女の子を産んでから、次に男の子を生むという意味である。この原因は、男の子が家業(yè)を受け継ぎのは期待されているが、死亡率とか、子とも育てる経験とかを考えると、はじめに女の子を産む方が育てやすい。大きくなった女の子は、家事を手伝って弟にも世話にする。その上に、男を生む戸、すべてうまくいって、一番いい選択である。
しかし、時(shí)代が変わった。少子化がますますひどくなる日本では、子ともを期待する日本人に次のように解釈される?!讣易澶摔?、女の子が一人、男の子が二人、子とも三人でどんな幸せなことだなあ!」という意味に変わった。このような解釈がもとの意味から大きくずれている。それで、日本社會(huì)の変化のき傾向と人々の思いも読まれる。
2、「子を持って知る親の恩」は、親になってからはじめて親の苦労と恩を知 るということだ。しかし、いまの日本人は、もっといい説明がある。自分が子供を持ってから、自分の親たちが孫に甘えてたまらなかった。きれいな服、バック、値段が高いオモッチャ、力を盡してできるだけものを買ってあげるといってもいいだろう。はじめて親になる若者たちにとって、精神と物質(zhì)からいろいろ助けてくるる親たちは、感謝している。思わずに「子を持って知る親の恩」ということばを感嘆する。親の恩は、子を持ってから、ようやく分かるようになった。
5.2 諺の言語(yǔ)構(gòu)造
諺の表現(xiàn)形式が豊富多彩である。
1、古文型
時(shí)は金なり
急がば回れ
2、音韻とリズム
人は人、我は我ちんぷん かんぷん
以上の例からみると、日本の諺は 古文型を多く使われているとともに、音韻とリズムも求めている?!付唐冥蠐p気」「亀の甲より年の功」のように、同音を重ねたものあるかと思えば、「聞くは一時(shí)の恥、聞かぬ一生の恥」「桜折るばか、かき折らぬばか」のようのにな対句形式のものもあり、また、「好き腹にまずいものなし」(五七音)「かわいい子に旅させよ」(七五音)「帯に短し、たしきに長(zhǎng)し」(七七音)のように、音數(shù)の重ねかたで調(diào)子を整えたものも、少なくあらない。諺には、音韻とリズムが日本の諺の美しさを作り出す。諺には、短くて、口調(diào)がいいものが多いだ。その言語(yǔ)形式から、日本人の好みも分かるようになった。
第六章 結(jié)論
以上をまとめて言うと、長(zhǎng)い歴史を経て作り出された労働人民の知恵の結(jié)晶である諺は、労働人民を主體とする文化と強(qiáng)く繋がっている。そのため、外 國(guó)文化を探求しようとする時(shí)、その國(guó)の諺を勉強(qiáng)するのもいい方法の一つであるだろう。
今の世界は、國(guó)際的に大きな環(huán)境の中にいる。もし、この國(guó)を理解したいとしたら、まず、この國(guó)の民族性、文化特色を把握しなければならない。この理由と言えば、五つがある。
1、國(guó)際化社會(huì)の中に、國(guó)と國(guó)お互いに理解できるようにになるのは、新たな要求である。
2、會(huì)の変化、発展とともに、民族性の角から國(guó)の存在を探索するのも世界の趨勢(shì)である。
3、國(guó)際社會(huì)の各國(guó)の行動(dòng)を予測(cè)と把握するため、民族性に基づいた行動(dòng)考察は、もっと充実である。
4、各國(guó)の世論の趨勢(shì)を把握しようとする時(shí)、民族性も不可欠な要素となる。
5、文化に対する研究には、民族性を參考の標(biāo)準(zhǔn)にすべく。
諺は、國(guó)の言語(yǔ)蕓術(shù)として、音韻とリズムを豊富に含めるだけではなく、思想的な人生哲學(xué)も伝えてくれる。だから、人々に日常行動(dòng)の指針と方向になって、その國(guó)の民族性も読まれる。文章は、さまざまな方面から日本の諺の文化的特色について觸れたが、これを機(jī)會(huì)にこれから更に理解を深めて生きたいと思う。日本語(yǔ)學(xué)習(xí)者として、言語(yǔ)についての勉強(qiáng)は確かに重要だが、言語(yǔ)に関する日本文化、民族性、歴史などの考察も抜いてはいけないことである。この文章の中に、不観客と足りないところまだあるので、これからの研究中に進(jìn)んで上達(dá)になりたいと思う。それに、、本章は、日本文化に関わった部分が少なくて、これからその面について研究していきたい。
參考文獻(xiàn)
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第五篇:日語(yǔ)系畢業(yè)論文
畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)
(20 屆大學(xué)本科)
題 目:
學(xué) 院:外國(guó)語(yǔ)學(xué)院
專 業(yè):日語(yǔ)
班 級(jí):
姓 名:
學(xué) 號(hào):
指導(dǎo)教師:
年 月
Declaration
I,(), the undersigned, hereby declare that this dissertation does not contain any material which has been accepted for the award of any other degree or diploma in any institutions of higher learning and that, to the best of my knowledge and belief, this dissertation does not contain any material previously published or written by another person, except when due reference is made in the text of the dissertation.Signed:
Date: 2009年6月
誠(chéng) 信 宣 言
我,鄭重宣布:除了參考文獻(xiàn)所標(biāo)明引用的資料和內(nèi)容之外,本論文中不包含有任何已經(jīng)被其他高等教育機(jī)構(gòu)所接受的學(xué)位或?qū)W歷論文資料,也不包含有其他任何人已經(jīng)正式出版的資料內(nèi)容。
簽字:
日期:2009年6月
摘 要
動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)作為新興的文化產(chǎn)業(yè)已受到世界各國(guó)的廣泛關(guān)注,動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)作為能耗低、無(wú)污染、利潤(rùn)高的一個(gè)新興產(chǎn)業(yè)被稱為是繼IT產(chǎn)業(yè)后的又一綠色環(huán)保產(chǎn)業(yè)。日本的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)則是非常的發(fā)達(dá),已經(jīng)成為日本的第三大產(chǎn)業(yè),對(duì)日本政府的財(cái)政收入做出了很大的貢獻(xiàn)。日本的漫畫和動(dòng)畫片等不僅在日本本國(guó)受到歡迎,在世界各地也很有人氣。當(dāng)然,日本現(xiàn)如今的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)規(guī)模并不是一朝一夕之間形成的,在它成功的背后是有許多必要因素的。本文以近兩三年來(lái)取得極大成功的《死亡筆記》為參考,分析日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)的成功原因。
第一、日本動(dòng)漫在內(nèi)容上充滿人性與生活性,題材豐富、大膽。日本動(dòng)漫把漫畫定位在“國(guó)民全都可以看”的位置上,兒童、成人都可以看。
第二、日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)已形成完備的產(chǎn)業(yè)鏈,產(chǎn)業(yè)的運(yùn)營(yíng)方式也走在世界的前列。
第三、日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)宣傳方式的多樣性與長(zhǎng)期性。
第四、政府對(duì)動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)大力支持,不僅僅重視,還制定了各種優(yōu)惠政策。
與之相比,中國(guó)的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)存在許多問(wèn)題。雖然有內(nèi)容單調(diào),宣傳方式落后,沒(méi)有形成產(chǎn)業(yè)和政府的過(guò)度干預(yù)等問(wèn)題,但從長(zhǎng)遠(yuǎn)來(lái)看,中國(guó)的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)在市場(chǎng)、文化和發(fā)展空間上還是擁有很大的優(yōu)勢(shì)。中國(guó)的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)不斷吸取日本的先進(jìn)運(yùn)營(yíng)方式及經(jīng)驗(yàn),結(jié)合本國(guó)的發(fā)展優(yōu)勢(shì),其騰飛指日可待。
關(guān)鍵詞:動(dòng)漫產(chǎn)業(yè);宣傳方式;產(chǎn)業(yè)化經(jīng)營(yíng);《死亡筆記》
Ⅰ
要 旨
漫畫産業(yè)は新興な文化産業(yè)として、世界各國(guó)に広く注目された。漫畫産業(yè)は消耗が低く、汚染がなく、利潤(rùn)が高い新興産業(yè)として、IT産業(yè)に次いでの第二番目のグリーン産業(yè)と稱される。世界範(fàn)囲から見れば、近年、漫畫産業(yè)を代表とする日本文化産業(yè)の発展は目覚しく、漫畫産業(yè)はもう日本の支柱産業(yè)になりつつあるといっていい。日本の漫畫産業(yè)の成功は文化と商業(yè)の完璧な結(jié)合から來(lái)ている。日本の漫畫は産業(yè)化が完成し、そして、完備な産業(yè)チェーンと成熟な市場(chǎng)が形成されている。日本では、漫畫産業(yè)は非常に発達(dá)していて、すでに一種の産業(yè)となり、國(guó)家の財(cái)政収入に大きな貢獻(xiàn)をしている。日本の漫畫は日本國(guó)內(nèi)だけではなく、世界のほかの國(guó)でも大変人気がある。もちろん、日本現(xiàn)在の漫畫産業(yè)の規(guī)模は一朝一夕で形成したものではなく、漫畫産業(yè)の成功にはいろいろな要素が要る。日本の漫畫産業(yè)の成功に以下の理由があると思われる。
第一、日本の漫畫は內(nèi)容の面で人間性と日常性に満ち、題材も豊かで、大膽である。日本の漫畫産業(yè)は漫畫を「年齢、性別を問(wèn)わず、全國(guó)民のもの」に位置づける。
第二、日本漫畫産業(yè)はすでに完備した産業(yè)チェーンが形成され、運(yùn)営方式も世界の先端を走っている。
第三、日本漫畫産業(yè)の宣伝方式が多様で、長(zhǎng)期にわたるものである。
第四、政府は漫畫産業(yè)を重視し、支持するだけではなく、様々な優(yōu)遇政策も出している。
これに対し、中國(guó)の漫畫産業(yè)はかなりの問(wèn)題を抱えている。內(nèi)容の単調(diào)化、宣伝方式の立ち遅れ、産業(yè)チェーンの不備と政府の過(guò)度な介入などがあるが、將來(lái)性から見れば、中國(guó)の漫畫産業(yè)はやはり市場(chǎng)、文化、発展空間などの有利な面もある。中國(guó)の漫畫産業(yè)は日本の漫畫産業(yè)から先進(jìn)的理念と経験を取り入れ、わが國(guó)の漫畫産業(yè)の自立発展を目指せば、中國(guó)の漫畫産業(yè)のテークオフもそう遠(yuǎn)くはないだろう。
キーワード:漫畫産業(yè);宣伝方式;産業(yè)化経営;?デスノート?
Ⅱ
目
次
はじめに????????????????????????????1 1日本漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀について??????????????????????1 1.1日本漫畫の発達(dá)史および國(guó)の関連政策????????????????1 1.2日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀――『デスノート』を例に??????????2 2中國(guó)の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀?????????????????????????4 3日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由分析及び中國(guó)への示唆?????????????6 3.1日本の漫畫産業(yè)発の理由??????????????????????6 3.2 中國(guó)への示唆???????????????????????????7 終わりに?????????????????????????????????8 參考文獻(xiàn)????????????????????????????????9 引用文?????????????????????????????????10 謝辭??????????????????????????????????11
Ⅲ 日本の漫畫産業(yè)及び中國(guó)の漫畫産業(yè)への示唆について
はじめに
私は小さい頃から、ずっと漫畫が大好きである。名探偵コナン、ドラえもん、犬夜叉 など相當(dāng)の漫畫とアニメを読んだり、見たりしていた。私の読んだ、見た漫畫とアニメはほとんど日本のものである。中國(guó)のアニメも見たことがあるが、あまり好きではない。なぜ日本の漫畫産業(yè)はそんなに成功しているか。中國(guó)もアニメがあるが、なぜ中國(guó)の漫畫産業(yè)は日本に及ばないか。日本の漫畫産業(yè)の成功の教訓(xùn)を中國(guó)の漫畫産業(yè)に紹介し、中國(guó)の漫畫産業(yè)の発展に助言したいと思って、本論文を作成するわけである。日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀について
日本の漫畫産業(yè)は日本國(guó)內(nèi)にも國(guó)際にも、大きな影響力を持っている。日本の漫畫とアニメは、圧倒的な魅力でマレーシア、韓國(guó)、シンガポールなど世界各地で、はやっているが、中國(guó)では、更に大きいブームを起こしている。
1.1 日本漫畫の発達(dá)史および國(guó)の関連政策
日本の現(xiàn)代漫畫産業(yè)の発生は歴史上の特殊な事件とは密接な関係がある。第二次世界大戦後、米軍は日本の戦時(shí)の法規(guī)、法令を廃止し、日本は國(guó)民経済の非軍事化を?qū)g行すると同時(shí)に米國(guó)の文化を代表した西洋文化の影響を深く受けた。その時(shí)米國(guó)の漫畫産業(yè)はとても発達(dá)していた時(shí)期であり、これは直接日本の漫畫産業(yè)の発展を刺激し、そしてその後の日本漫畫産業(yè)の全面的な発展に強(qiáng)固な基礎(chǔ)を打ち立てた。
一方、戦後、日本は急速な発展に入り、人々は高い効率を求める社會(huì)で生きている。競(jìng)爭(zhēng)も激しくなった。これを背景に、漫畫とアニメなどはその人間性と生活性のあるストーリー、気楽な表現(xiàn)形式と簡(jiǎn)潔な視聴覚効果で、國(guó)民の心身をリラックスする需要に迎合し、戦後の世界平和の発展の潮流にあって、人々がより早く、よりよい情報(bào)を得ることができた。そのため、日本の漫畫などは日本社會(huì)で高い人気を得た?,F(xiàn)在では、日本の漫畫産業(yè)はすでに一種の産業(yè)チェーン、完備した産業(yè)チェーンも形成された。人材も豊富だし、技術(shù)も市場(chǎng)(國(guó)內(nèi)市場(chǎng)と國(guó)際市場(chǎng))も成熟である。「デスノート」はその大きな背景において、成功と遂げた。
政府の積極的な推進(jìn):アニメーション映畫の國(guó)際上の販路を拡大して、海外で日本文化の伝播と影響を加速して、壯大するために、日本政府と東京政府はすべて日本のアニメーション産業(yè)に対して支持政策を?qū)g施する。日本政府はアニメーションを重要な輸出産業(yè)とするだけではなくて、獨(dú)立な文化として育成して、政策、資金、組織で大きく手伝う。4月10日の「朝日新聞」によって、日本外務(wù)省はまた「政府開発援助」中の24億円の「文化無(wú)償援助」資金を利用してアニメーション製作商からアニメーションの放送版権を買って、そしてこれらの買って來(lái)たアニメーションを無(wú)償で発展途中の國(guó)のテレビ放送局に提供して、巨額の資本を使ってアニメーションの放送権を買うことができない発展中國(guó)も日本のアニメーションを放送できるということを決定した。外務(wù)省はこうすれば、海外に日本のアニメーションの文化を広めるだけではないことができて、更に日本は外國(guó)の青尐年の間での影響を広げることができて、更に多くの「日本流」を育成いて、一挙に多いと思っている。
1.2 日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀――『デスノート』を例に
まず、ストーリー自身から見れば:中國(guó)の新聞「新京報(bào)」2006年11月25日の「《死亡筆記》:“灰色”也能走紅」という文章の中で「デスノート」の成功原因については、以下のように述べた。ストーリーの設(shè)定は非常にユニークである。名門校の優(yōu)等生夜神ライトは自分の方法と能力で世界に公正を獲得させようと思って、しかし彼が「私が新世界の神になる」と言い出す時(shí)、悪と正義の區(qū)分がそんなに明らかではないということになった。「法律の外で制裁を加える」のような極端のやり方は一方では反逆を尊ぶ青尐年を満足させ、一方も大人の観衆(zhòng)に心配と感じさせる。幸いに映畫は単に恐怖の元素を強(qiáng)調(diào)していなくて、多くの深さのある思考も加えた。陰気な灰色のストーリーはまさに「デスノート」の超人気の原因である。
それで、「ミステリーの物語(yǔ)として結(jié)構(gòu)トリックが効いてたりして、とても尐年誌の漫畫とは思えないところもある」と日本の小説家乙一が高く「デスノート」を評(píng)価した。
それから、漫畫を描く小畑健は非常に有名な漫畫家であって、優(yōu)れた才能を持っている。彼は「500光年の神話」で第30回手塚賞準(zhǔn)入選(1985)。2003年、手塚治蟲文化賞新生賞受賞。作者の知名度もある程度で作品の人気を高める役割を果たしている。最後、華麗な畫風(fēng)と先進(jìn)の制作
技術(shù)によって、「デスノート」の漫畫とアニメの畫面が非常にきれいである。
「デスノート」の成功から日本漫畫産業(yè)の成功原因を分析する研究が今はほとんどない。本稿では、「デスノート」の成功をきっかけに、四つの方面から、日本漫畫の成功原因を分析する。
「そのノートに名前を書かれた人間は死ぬ」という力を持つ、死神が落とした恐れるべき「デスノート」。天才的な頭脳を持ち、退屈を持て余していた高校生 夜神ライトがそれを拾った時(shí)から、すべてが始まった。デスノートを使って、世の中に溢れる犯罪者たちに次々と死の制裁を下ろしていくライトは、いつしか「キラ」と呼ばれるようになる。殺された人數(shù)の増加につれて、FBIに頼まれた天才ともいえるLが殺人事件の真実を調(diào)べ始めた。天才VS天才の戦いが始まった。果たしてライト=キラは、世界を救う救世主なのか、それとも獨(dú)裁的な殺人者なのか。キラを崇拝するもの、その行為を否定するもの。世界は大きく揺れ動(dòng)いていく…。①
第一、「デスノート」の內(nèi)容は非常に大膽で、ユニークである。まず、名前を書き、人を殺すこと自身は非常に不思議で、想像できないことだと思われる。人を殺すことはそんなに簡(jiǎn)単なことなのかと人々に深く考えさせる。それから、被害者が犯罪者で、そういう人たちを法律外で懲罰することはいったい正義なのかと人々が読めば読むほど自然にそういう問(wèn)題を考えるようになる。最後、死神の神秘的な存在も「デスノート」の高い人気の原因の一つ。
第二、內(nèi)容には殘酷と血なまぐささが満ち、ある程度で現(xiàn)代人のストレスが解消できる?,F(xiàn)代社會(huì)の速い発展のため、競(jìng)爭(zhēng)が激しくなる。激しい競(jìng)爭(zhēng)の中で、自分の発展を図る人々の圧力も大きくなる。毎日忙しく働いている人々が一種の重苦しい狀態(tài)の中にあり、ストレスのはけ口が尐ないといわれている?!弗钎攻惟`ト」の內(nèi)容には殘酷と血なまぐささが満ち、それを見て、ある程度で心理的には一種のストレスのはけ口となる。
第三、主人公は二人の優(yōu)秀な男を設(shè)定し、今の尐女たちの「BL情緒」に想像の空間を與える。今、「耽美」という言葉がよく見られる?!傅⒚馈工悉猡趣猡取该坤摔栅堡陿Sしむこと」の意味である。でも、60年代から、この語(yǔ)はだんだん漫畫用語(yǔ)となり、「耽美漫畫」つまり「BL漫畫」の意味である。そのような漫畫は尐女たちの中で非常に人気がある。インターネットで「デスノート同人」を入力し、検索したら、數(shù)ページが出てくる?!弗钎攻惟`ト」の同人誌を売るオンラインショップも多い。Lとライトは立派な男であり、それを見ている尐女たちは二人の間の「ピンク」を探し、二人は何か曖昧な関係にあると思ってしまった。漫畫のそういうところはちょうど尐女たちの「BL情緒」に想像の空間を與え、尐女たちの目を集め、最後、作品の人気も高まってくる。
第四、ストーリーが込み入り、複雑である。警察とキラの戦い、ライトとLの頭脳戦が非常に観客の目を集めた。ライトのまとまった殺人計(jì)畫とLの殺人事件を分析する能力はみんなポイントである。Lはライトを疑ったが、証拠がないので、ライトを監(jiān)視する行動(dòng)をとった。ライトはLの監(jiān)視行動(dòng)を知ったので、Lの疑いを解消するように、対策もとった。監(jiān)視されているが、ライトはポテトチップスを取るふりをし、パッキングに手を伸ばし、その中にあるデスノートの紙に、犯人の名前を書き、人を殺した。この作品の中で、このような心理戦と頭脳戦が何回もあり、大変受けがよい。
第五、青尐年の心理問(wèn)題も反映された。ライトは非常に優(yōu)れている學(xué)生で、どうしてそんなに極端な手段をとったのか。外見から前向きで、優(yōu)等生であるが、內(nèi)心は黒い。このようなアニメ 映畫を見ることによって、社會(huì)は青尐年の心理教育を考え始めた。
日本漫畫産業(yè)はすでに産業(yè)チェーンが形成された。
「デスノート」の成功から、日本漫畫の産業(yè)化経営も見られる――週刊尐年ジャンプ で連載→単行本の出版→映畫「デスノート」前編→アニメーション―映畫「デスノート」後編→文化関連商品とその二次元商品:本(漫畫、雑誌、同人誌など)、映像化商品(ビデオ、VCD*OVAなど)、キャラクター商品、カレンダー、ノート、ポスターなどの販売→「デスノート」の大成功。②
漫畫雑誌と漫畫の単行本の出版を通じ、人気のある漫畫が出てくる。そして、その過(guò)程の中で、書類の販売によって、第1ラウンドの値上がりが実現(xiàn)できる。その後、それらの人気漫畫をOVAあるいはTV版のアニメーションに改編し、成功の後でも劇場(chǎng)版のアニメーションを作って映畫館で放送することができる。改編する時(shí)に、広告會(huì)社は若干放送前で広告を差込みたい企業(yè)を組織して共に出資することができる。資金の一部分は広告費(fèi)として、他の部分はテレビ局がアニメーション會(huì)社に手渡して制作費(fèi)として、第2ラウンドの値上がりが実現(xiàn)できる。同時(shí)に、アニメーションの音響製品、ビデオ製品、アニメーション形象の使用権、ゲームの改編権もアニメーション製品の価値をその他の市場(chǎng)に連れて入り、またもう1ラウンドの値上がりができる。これが日本漫畫産業(yè)の運(yùn)営モードつまり産業(yè)チェーンである。中國(guó)の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀
中國(guó)の漫畫産業(yè)は完備した産業(yè)チェーンがない。人材が乏しく、漫畫を描く人材を養(yǎng)成する學(xué)校が尐ない。消費(fèi)市場(chǎng)が十分に開発されていない。中國(guó)では、「動(dòng)漫」(アニメ 漫畫)というと、まだまだ「子供のもの」というイメージが強(qiáng)い。
中國(guó)政府もアニメを「國(guó)の産業(yè)」と認(rèn)識(shí)し、國(guó)産アニメの保護(hù)と育成に力を入れ始めた。2004年3月31日に國(guó)家?guī)陔娋t局は各省、自治區(qū)、直轄市の広播影視局及び新疆生産建設(shè)兵団広播電視局に、「子供チャネル開設(shè)に関する通知」を出した。この中で、2004年の內(nèi)に三分の一の省級(jí)テレビ局及び副省級(jí)テレビ局が、子供チャネルを開設(shè)、そして、2005年の年末までに、更に三分の一の省級(jí)テレビ局及び副省級(jí)テレビ局が、そして2006年年末までには全國(guó)すべての省級(jí) 副省級(jí)テレビ局が子供チャネルを開設(shè)するよう目標(biāo)つけられている。③ この発表から五、六ヶ月の間に、天津、上海東方,南京,江蘇で子供チャネルがスタートし、更に湖南、北京、上海で大型のアニメ専門チャネルがすでに放送を開始した。しかし、中國(guó)では アニメは子供が安心して見られるコンテンツでなければならない ため、アニメの描寫(性的なもの、暴力的なものなど)に対して厳しく制限が設(shè)けられている。2004年の通知は、単にアニメを中心とする子供番組のコンテンツの推進(jìn)を図るだけではなく、子供が大人向けの番組を見て成長(zhǎng)に有害な影響を受けないよう、子供向けの良質(zhì)なコンテンツを?qū)熼Tに放送するチャネルを開設(shè)する目的が大きいといえる。その結(jié)果、大人向けの市場(chǎng)が無(wú)視された。
海外のコンテンツを中國(guó)に輸入するためには、輸入の審査や申請(qǐng)が繁雑な上に時(shí)間がかかる。更にテレビ放送においては、海外コンテンツの放送はアニメ番組全體の4割以內(nèi)と規(guī)定されている。また、ソフト販売、キャラクター商品販売においては海外版問(wèn)題も深刻である。海外のアニメの輸入については、その內(nèi)容審査が厳しいだけではなく、輸入できる機(jī)構(gòu)も広電総局が指定した機(jī)関、もしくは批準(zhǔn)された機(jī)構(gòu)と厳しく規(guī)定されている。そして、輸入できる量も、自社で制作している國(guó)産アニメの量を超えることができない。また、輸入だけではなく、放送に関しても、海外アニメは総アニメ放送の4割を超えてはならない、という規(guī)定があり、輸入 放送ともに厳しく制限されている。あまりにも自國(guó)の漫畫産業(yè)を保護(hù)し、あえて新しい技術(shù)、経験を?qū)Wぶチャンスがなくなる。海外からの競(jìng)爭(zhēng)と刺激が尐ないので、発展する意欲がだんだん弱くなってくる。中國(guó)は今漫畫産業(yè)発展の必要性を認(rèn)識(shí)したが、かなりの問(wèn)題點(diǎn)もある。視聴者の位置づけとか、政府の過(guò)度介入とか、自國(guó)漫畫産業(yè)の過(guò)度保護(hù)など、これらの問(wèn)題を解決しないと、中國(guó)漫畫産業(yè)の十分な発展はありえない。中國(guó)では、漫畫産業(yè)があるが、産業(yè)チェーンがまだ形成されていない。日本ではまず漫畫雑誌での連載があり、単行本になり、人気の新作がアニメやドラマになり、更に映畫になり、その過(guò)程でキャラクター商品がヒットするというアニメ業(yè)界が連鎖して一つの作品に関わっているのに対し、中國(guó)ではどれでも単発的である。早く産業(yè)チェーンを形成しないと、発展はそのまま足踏みだけである。日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由分析及び中國(guó)への示唆 3.1 日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由
日本漫畫産業(yè)の成功には共通の原因がある。その共通の原因については、中國(guó)の研究者が以下のように分析している。
1.文化の特性:日本漫畫産業(yè)の発展は、まずその文化の単一性のおかげである。日本は単一民族とも言え、99%以上の國(guó)民が大和民族の人である。単一民族は統(tǒng)一の文化観と価値観が形成しやすく、人々により広い範(fàn)囲と高い程度で同じものを受けることができる。日本漫畫産業(yè)の発展はまさに日本國(guó)內(nèi)で広範(fàn)囲の普及度と頑丈な基礎(chǔ)を前提にしている。また日本漫畫産業(yè)の発展はその文化の開放性のおかげである。日本の漫畫などは、様々な外來(lái)文化を吸収し、その中で、中國(guó)の古典文化の影響が一番大きい。
2.強(qiáng)力な運(yùn)営モード:普通、漫畫産業(yè)チェーンはアニメ?漫畫の出版物と音響映像製品、アニメの放送あるいは上映とキャラクター商品を含んでいると思われる。
日本の漫畫産業(yè)の発展戦略はテレビ番組の広告の収入を漫畫?アニメの創(chuàng)作資金に當(dāng)て、玩具などの二次元商品の巨額利潤(rùn)でテレビ局のアニメーションの番組制作に投資し、更に再度新しい漫畫?アニメのキャラクター商品の開発を動(dòng)かし、映畫、テレビ、音楽、出版、テーマパークの発展を推進(jìn)する。④
現(xiàn)在日本の漫畫産業(yè)はすでに完備した産業(yè)チェーンと熟した産業(yè)の運(yùn)営モードができた。そして巨大な経済利益を得る。
3.すばらしい製作: 漫畫の製作は秒の価値によって計(jì)算する高い投入産業(yè)である。宮崎駿、大友克洋、押井守のような漫畫大家達(dá)の投入製作した漫畫映畫はややもすれば數(shù)10億円のである。漫畫の吹き替えをした人員(日本で聲優(yōu)と稱される)も専門的な訓(xùn)練を受けて、スターとして舞臺(tái)に登る。全ての日本の漫畫は細(xì)かい點(diǎn)の処理の上でも完璧に近い。唯美的な流暢的な畫面、空いっぱいに飛び舞う桜と羽、主人公の生き生きとしている顔の表情など、いずれも人に深い印象を與える。それの外に、いいアイデアのあったシナリオも漫畫の強(qiáng)大な核心と支柱である。日本の漫畫は近年なぜそんなに人気があるか。美しい畫面という原因の外に、よいシナリオは一番重要な原因である。情熱、夢(mèng)想、奮闘などいつもあり、また忠誠(chéng)、裏切り、妥協(xié)、選択、愛(ài)と恨み…こもごも入り交じる?!溉共妗?、「頭文字D」、「名探偵コナン」、「EVA」などの作品は多くの中國(guó)人の好感を得ている。日本の漫畫と比べて、中國(guó)で放送された漫畫はまったく幼稚園の水準(zhǔn)で
ある。畫面が粗雑で、生気がなく、段階が鮮明ではない。青尐年にとって、魅力はぜんぜんない。政府の様々な規(guī)定があるから、中國(guó)の漫畫は多くの制限を受ける、4.漫畫のとらえかた:日本の漫畫の內(nèi)容はあらゆるものを網(wǎng)羅していて、童話、サイエンス フィクション、冒険、愛(ài)情、スポーツ、歴史、科學(xué)、経済、宗教、娯楽から文蕓小説、ノンフィクション文學(xué)、政府の文獻(xiàn)、學(xué)生の課外指導(dǎo)材料…ないものはない。日本漫畫作品の影響力の巨大さと販売量の多さは世界でも前列に並ぶ。
1990年の統(tǒng)計(jì)によれば、日本で漫畫週刊、隔週刊は78種類、月刊が2246種類、合わせて2324種類もあるという。毎月、漫畫の単行本は約300種類出版される。年間漫畫の書籍と雑誌の販売量は35,889,全部の書籍と雑誌の販売量の45%をしめる。⑤ 漫畫の読者の年齢構(gòu)造は幼児から40歳ぐらいの中年人までである。日本の出版界で有名なスローガンのひとつには「三歳から八十歳までの人にはすべて漫畫を見させる」というのがある。日本の漫畫は20世紀(jì)八、九年代から題材が三つのタイプに分けられた。それはつまり尐年のアニメ、尐女のアニメ、成人のアニメで、実際はそれは三つの視聴者の価値指向を代表しているので、非常に重要なことである。中國(guó)の漫畫はまだ説教の程度に止まり、子供の漫畫と捉えられている中國(guó)漫畫は大部分の青年、成年を含む社會(huì)主流群體の承認(rèn)を得られないのも無(wú)理がない。
3.2 中國(guó)への示唆
日本の漫畫とアニメは読者と観客によって、明確に分類されている。児童向け漫畫、尐年漫畫、尐女漫畫、青年漫畫、レディースコミックと青年向け漫畫(18禁漫畫)に分けている。⑥ 漫畫とアニメは日本では全國(guó)民が誰(shuí)でも見るものである。でも、中國(guó)では、漫畫の內(nèi)容は主に神話とか寓話とかのような教育性の強(qiáng)く、子供向けのもので(《大鬧天宮》、《海爾兄弟》など)、大人はあまり見ないのである。それゆえ、中國(guó)の漫畫の対象は子供たちに限られ、內(nèi)容も狹まっている。もっと、幅広い範(fàn)囲で、すべての人に向ける漫畫を作ることが求められている。また、中國(guó)では、漫畫とアニメから改編した映畫が尐ないし、漫畫のため、わざとホームページを作ることも尐ない。「デスノート」の宣伝方式から見れば、まずインターネットでの宣伝が非常に重要になった一環(huán)である。漫畫や映畫などのため、公式サイドを作ることは中國(guó)ではほとんどない。それから、日本國(guó)內(nèi)と海外香港での同時(shí)上映もポイントの一つ。日本國(guó)內(nèi)だけではなく、海外の人気も集まった。最後、「デスノート」の宣伝日記によると、「デスノート」の宣伝活動(dòng)は非常に緊密で、計(jì)畫性がある。最新情報(bào)は3月14日のことである(検索した日は3月20日である)。
2006年に上映された映畫だが、今も情報(bào)を更新している。中國(guó)の映畫の宣伝と違って(中國(guó)の映畫の宣伝活動(dòng)は主に上映直前と公開中に集中している)、長(zhǎng)期間の宣伝である。
中國(guó)の漫畫産業(yè)はもっとインターネットを利用し、まとまった宣伝計(jì)畫を立て、自分の作品を中國(guó)全國(guó)あるいは世界に広げるべきだ。
中國(guó)の漫畫産業(yè)の発展も自分にとって有利な面もある。
1.市場(chǎng)の未來(lái)性:中國(guó)の漫畫産業(yè)は十分に発展していないため、発展の空間も大きいし、他の國(guó)から経験を汲み取ることもできる。マスメディアの発展はアニメーションに巨大な発展のチャンスを與え、映畫からテレビまで、また、インターネット、移動(dòng)通信まで、アニメーションはメディアの一つの內(nèi)容として巨大な需要に直面している。非常に未來(lái)性があるし、多様な可能性がある。
2.文化の奧深さ。文化の方面、中國(guó)は豊かな文化資源を持ち、アニメーションの題材の最大の基地となった。中國(guó)の文化は長(zhǎng)い歴史の発展の中で、外來(lái)の文化の長(zhǎng)所を吸収し、ずっと自分の獨(dú)立性も維持し、世界の獨(dú)特な文化のタイプになっている。その影響は世界の文化にも巨大な貢獻(xiàn)をもたらした。日本のアニメ?漫畫は多くの方面で中國(guó)の文化から受ける影響が見える。また、中國(guó)のアニメーションの制作者は米國(guó)のアニメーションの製作技術(shù)を中國(guó)の民族の蕓術(shù)を結(jié)合し、各種のその他の手法(水墨畫、折り紙蕓術(shù)、人形など)を試みる。これも中國(guó)のアニメーション制作の大きな優(yōu)位である。
終わりに
中國(guó)と日本は、國(guó)の事情が大いにことなっている。もちろん、漫畫産業(yè)の背景も違っている。したがって、中國(guó)はこれらの新しいメディアのプラットフォームの上に巨大な創(chuàng)作の基礎(chǔ)があり、また、巨大な市場(chǎng)の消費(fèi)空間があり、更に一歩一歩完備されている政策とあいまって、中國(guó)の漫畫産業(yè)のテークオフが遠(yuǎn)くないと思われる。
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私はこの拙い卒業(yè)論文の完成に當(dāng)たり、ご指導(dǎo)の海洋大學(xué)日本語(yǔ)學(xué)科の張秀梅先生に心から深く感謝を申し上げます。最初の論文の構(gòu)想から論文テーマーの確定、論文資料の準(zhǔn)備、疑問(wèn)の解答、論文の修正まで、張先生はずっと熱心に辛抱強(qiáng)く指導(dǎo)してくださいました。この半年の長(zhǎng)い間、張先生は何回もわざわざ時(shí)間を作って、論文についていろいろ指摘してくださいました。張先生のおかげで、私の卒業(yè)論文は計(jì)畫通りに完成いたしました。張先生のご指導(dǎo)は私にとって、大きな助けになってきました。もう一度感謝のことばを述べさせていただきます。