第一篇:日文精美短文中日對照《瞼を透かして》
日文原版
定期健診で採血された。注射器に吸い上げられる私の血を見て、嫌な気がした。「こんなに黒いんですか、私の血は」と聞いたら、女醫さんは「靜脈の血は誰でもこんなです」と言った。なんだか信用できない。血は赤いはずなのに、私の血はどす黒く見える。私の血はこんなに汚れている。私は自分が汚く思えて、ひどく落膽した。もっと赤いと思っていたのに、私の中にはこんな褐色の血が流れていた。幻滅であった。
「もっと綺麗なものじゃないでしょうか」と聞いたら、女醫さんは私の顔を見た。「動脈の血は綺麗ですよ。これは靜脈の血だから、體內の汚れを集めて戻るので、こんな色なんですよ。皆さん同じですよ」と慰めてくれた。
どうも安心できない。のべつにあんな色の血が私の中を流れているのか、と疑った。身體全體が腐っているような気がして、憂鬱になった。
少年の頃、河原にねころんで目をつぶると、太陽の光が、瞼を透かして、真っ赤に見えた。それは、とても明るく透明な赤であった。
これが血の色だ、と思った。比べるものもないほどに美しい赤色というよりは、赤い光であった。それは生命の美しさの極限のように尊く見えた。
瞼を透かして見える赤い血の、一點の汚れもない赤い光に、若い生命を見る感動があった。
ワインカラーなどというものではない。限りなく澄んで、燃えている炎にも優れるあの赤い光は、生命の尊さそのもののようだった。
採血の何日か跡で、私は庭の芝生にねころんで、秋の日の直射を受けて、瞼を閉じてみた。意外だった。少年の日のあの赤い光があった。昔のままの美しい色だった。
閉じた瞼を透かして、少年の日の、あの美しい赤い光が燃えていた。嬉しかった。
生きている限り、血の色は澄んでいる。本當にありがたいことだ。
しばらく、そのまま目を閉じていた。中文對照
定期體檢的時候,我做了抽血檢查。看到注射器里抽出來的血,我感到很不舒服。我問醫生:“我的血怎么這么黑啊?”醫生說:“無論誰靜脈血都是這樣的。”我將信將疑。血本來應該是紅的,我的怎么這么黑。我的血太臟了。突然感覺自己是這么的骯臟,不禁有些沮喪。一直以為我體內的血液是鮮紅鮮紅的,怎么會是這般顏色,我絕望了。
我又問:“應該更干凈一點吧。”醫生看著我的臉,安慰道:“動脈血是很干凈的。但是因為這是靜脈血,它吸收了體內的臟東西,才變成這個顏色的。大家都是一樣的。”
我還是無法安心,一個勁兒地胡思亂想,“我的體內流著這么骯臟的血,我的全身開始腐爛了”,越想越壓抑。
記得小時候,躺在小河邊,閉上眼睛,太陽光透過眼簾,我看到了鮮紅的顏色。那是明亮而透明的鮮紅。
我想,這就是血的顏色。無與倫比的美麗,與其說是色彩,不如說是美麗的光。那個時候,我看到了生命的美的極限。
當我透過眼簾,看到那沒有一點瑕疵鮮紅的光的時候,就猶如看到年輕的生命一般感動。
那鮮紅,并非葡萄酒的顏色。那是無限清澈,猶如燃燒著的火焰一般耀眼的鮮紅的光,是生命本來的顏色。
采血后過了幾天,我躺在院子里的草坪上,迎著秋日的陽光,閉上了眼睛。意外的是,我又看到了那鮮紅的光,跟兒時一模一樣。
透過眼簾,我又看到了童年時那美麗的鮮紅的光在燃燒,好美。
只要我活著,我的血液就是清澈的。我不禁感恩于生命的美麗。
就那么閉著眼,我看了很久。
第二篇:中日對照歌詞:あの素晴らしい愛をもう一度(多么希望美好的愛情 可以再次降臨)
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
“北山修”和“加藤和彥”合作發表于1971年,當時此歌家喻戶曉,是日本有名的民謠曲,很多合唱都選此歌;此歌也被收錄在日本中學教科書中,其改編版本層出不窮,同時也被反復翻唱。
《愛與誠》映畫 武井咲
(中日)
命(いのち)かけてと 誓(ちが)った日(ひ)から
從那天發誓 愿意為你不顧一切
素敵(すてき)な 思(おも)い出(で)殘(のこ)してきたのに
我的生命里就充滿了美好的回憶
あの時(とき)同(おな)じ花(はな)を見(み)て
那時 看著同一朵花
美(うつく)しいと言(い)った二人(ふたり)の
我們感嘆過它的美麗
心(こころ)と心(こころ)が 今(いま)はもう通(かよ)わない
可如今 你我不再心心相印
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
赤(あか)トンボの唄(うた)をうたった空(そら)は
青控制下 依舊在唱著紅蜻蜓之歌
なんにも変(か)わっていないけれど
一切都未改變
あの時(とき)ずっと夕焼(ゆぅや)けを 追(お)いかけていった二人(ふ
たり)の
遙想那時 我們曾在一起追逐夕陽
心(こころ)と心心(こころ)が今(いま)はもう通(かよ)わない
可如今 你我不再心心相印
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
広(ひろい)い荒野(こうや)にぽつんといるよで
遼闊的荒野里 孤獨的我
涙(なみだ)が知(し)らずにあふれてくるのさ
淚水不知不覺開始泛濫
あの時(とき)風(かぜ)が流(なが)れても 変(か)わらないと言(い)った二人(ふた
り)の
那時 我們說過 即使狂風來襲 也不改變
心(こころ)と心心(こころ)が今(いま)はもう通(つうじ)わない
可如今 你我不再心心相印
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
あの素晴(すば)らしい愛(あい)をもう一度(いちど)
多么希望美好的愛情 可以再次降臨
【 おわり 】
(日羅馬字母)
命かけてと 誓った日から inotikaketeto tikattahikara
すてきな思い出 殘してきたのに sutekinaomoide nokositekitanoni
あの時 同じ花を見て anotoki onajihanawomite
美しいと言った 二人の心と心が
utukusiitoitta hutarino kokorotokokoroga
今は もう通わない imaha moukayowanai
あの素晴しい愛を もう一度 anomotoharesiiaiwo mouitido
あの素晴しい愛を もう一度 anomotoharesiiaiwo mouitido
赤トンボの唄を うたった空は akatonbonoutawo utattasoraha
何も変って いないけれど nanimokawatte inaikeredo
あの時 ずっと夕焼けを anotoki zutto yuushouwo
追いかけていった 二人の心と心が
oikaketeitta
今は もう通わない imahamoukayowanai
あの素晴しい愛を もう一度 anomotoharesiiaiwo mouitido
あの素晴しい愛を もう一度 anomotoharesiiaiwo mouitido
広い荒野に ぽつんといるようで hiroi aranoni potuntoiruyode
涙が知らずに あふれてくるのさ namidaga sirazuni ahuretekurunosa
あの時 風が流れても anotoki kazega nagaretemo
変らないといった kawaranai toitta
二人の心と心が
hutarino kokoro to kokoroga
今は もう通わない imahamoukayowanai
あの素晴しい愛を もう一度 anomotoharesiiaiwo mouitido
あの素晴しい愛を もう一度 anomotoharesiiaiwo mouitido